ホンダデザイン02 【1969,1970,1971,1972】
空冷エンジン最終期の独創的な車両デザイン
Nシリーズによって軽自動車カテゴリーで4輪乗用車への参入を果たした本田技研工業は、1960年代後半に入るといよいよ小型乗用車の開発を本格化させた。そして1969年5月になって、ついにホンダ1300 77/99を市場に送り出した。
ホンダ1300にはF1用ユニットの技術をフィードバックした二重空冷式1298cc直4OHCエンジン(H1300E型)が搭載された。他社の小型車用エンジンが水冷式を採用するなか、あえて空冷式を選択したのには大きな理由がある。同社の最高責任者である本田宗一郎が、空冷式に絶対の自信を持っていたからだ。水冷式でも最終的に水を冷やすのは空気。ならば水が通る複雑な機構をあえて導入する必要はない、と空冷方式を主導したのだ。ただし、冷却効率やエンジンノイズの面では空冷式は不利だった。これを解消するために開発陣は、DDAC(デュオ・ダイナ・エア・クーリング・システム)と呼ぶ一体式二重壁構造を設計する。スペックは競合車をリード。パワー&トルクは77のシングルキャブレター仕様で100ps/10.95kg・m、99の4キャブ仕様では115ps/12.05kg・mを誇った。
スタイリングに関しては「高級なムードのデザインに、ホンダ独特の精悍なイメージを加えた」と説明する。基本造形はオーソドックスな4ドアセダンだが、2分割式のグリルや存在感のあるリアビューなどで個性を主張していた。ヘッドライトについては、77が角目2灯式で99が丸目2灯式。さらに、99ではホイールキャップなしのデザインホイールや砲弾型フェンダーミラーといったスポーティなアイテムを装備した。
1970年2月になると“絢爛たるナイセストカー”を謳うホンダ1300クーペ7/9が登場する。シャシーは基本的にセダンと共通だが、超大型プレス鋼板を用いた2ドアクーペボディは専用品。鷹の顔つきを彷彿させる立体的な“イーグルマスク”や曲面構成の流麗なサイドライン、リア側面の空気の乱れを防ぐカンチレバールーフ、メーターやスイッチ類を立体三面に機能的にレイアウトした“フライトコクピット”などを採用してスポーティなイメージに仕立てた。
小型乗用車の開発を推し進める一方、本田技研の開発陣は軽自動車の改良とバリエーションの拡大にも力を入れる。
まず1970年1月には、Nシリーズの熟成版となるホンダNⅢが市場デビューを果たす。スタイリングに関しては「現代の“軽”を象徴するデザイン」をテーマに、フロントグリルやボンネット、ベンチレータールーバー、リアランプ、ホイールキャップなどを一新。都会的で気品あふれる新しいシルエットに仕立てる。また、11種におよぶ新感覚のボディカラーを設定した。
同年10月になると、軽自動車初のスペシャルティカーとなるホンダZが発売される。シャシーは基本的にNⅢ用を流用。その上に“プロトタイプルック”と称する低車高の2ドアボディを被せた。具体的には、低くて長いフロントビューに大胆にカットしたクーペ風テール、後に水中メガネと呼ばれる開閉可能なリアウィンドウ“エアロビジョン”、ファッショナブルなボディカラー群などを特長とする。内装のアレンジについても工夫が凝らされ、スポーティで豪華なコクピットデザインに新機構のベンチレーション、サポート性に優れるバケットシート、クラス初の衝撃吸収ハンドルなどが組み込まれた。
軽自動車での攻勢はさらに続く。1970年11月には「乗る人のアイデアによって、用途が無限に広がる」軽オープントラックのバモスホンダがデビューした。
バモスは同社の軽トラックであるTNⅢ360をベースに、大型一体プレス成型のフロントパネルとオープンタイプのキャビン&荷台、フロントパネル中央に組み込んだスペアタイヤ、オーバーライダー付きのフロントバンパー、前後席保護用ガードパイプ、後方一方開きのテールゲート、キャンバス製の防水シート、同じく防水タイプの丸形メーターを架装し、ユニークで個性あふれる内外装を創出する。車種バリエーションは幌が前席分のみのバモスホンダ2(2名乗り)、幌が前後席を覆うバモスホンダ4(4名乗り)、幌が荷台部分にまで達するバモスホンダ フルホロ(4名乗り)の3タイプを設定した。
小型車と軽自動車ともにオリジナリティあふれる空冷エンジン車をラインアップした1970年代初頭までの本田技研工業。ホンダならではの独自性にこだわるその開発姿勢は、排出ガス規制の対応に伴う水冷エンジン車の開発においても存分に発揮されることとなった--。