セドリック 【1981,1982,1983】

シャープなルックスに磨きをかけた5代目の後期型

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国産高級サルーンの軌跡

 日産のトップレンジであったセドリックは1979年6月に、1960年3月の初代のデビュー以来、4回目のフルモデルチェンジを受けて第5世代となった。セドリック(Cedric=小公子)と言う車名が、デビュー当時日産の社長であった川又克二氏が幼少のころに読んでいた童話の小公子に由来するものであることはよく知られている。

 セドリックは、兄弟車となったグロリアや、トヨタ クラウンなどとともに日本を代表する高級車となっていた。メインユーザーは法人やタクシー/ハイヤー、そして上級指向のオーナードライバーであった。ちなみに日本の極めて不合理な小型自動4輪車(5ナンバー枠)の設定は、代を重ねるごとに国産乗用車の健全な発展を著しく妨げることになる。自動車技術の飛躍的な発展と進歩は、法的な規制を大きく超えるところまで進んでいたのだ。今日でこそ5ナンバー枠は事実上撤廃されたが、当時のエンジン排気量の上限2リッターの高級車という存在は、きわめて不自然とも言えるものになってしまっていた。

 もちろん、5ナンバー枠の設定にはそれなりの大きな理由があった。ボディサイズで言えば、第二次世界大戦の終結後から1960年代までの時代では、日本で自動車が通ることのできる道路幅は狭く、そのため全幅1.7m以下が適当だった。エンジンの排気量も2リッター程度が生産面や性能面で十分と考えられていたからだ。

5代目は直線基調のスタイリングが特徴

 1979年6月に430型となった第5世代目のセドリックは、基本的には5ナンバーサイズいっぱいのボディに一部オーバー2リッターのエンジンを搭載する高級セダンとしていた。直線と平面を基調とした4ドア、3ボックス型のボディは、当時のプレス技術の最先端であり、同時に大量生産の容易さを狙ったものでもあった。奇しくも、同じ時期のトヨタ クラウンにも似たスタイルとなり、少なくとも遠目には見分けることが難しくなった。ボディバリエーションは3ボックススタイルの4ドアセダンと4ドアハードトップ、およびステーションワゴン、ライトバンの4車種である。2ドアハードトップは販売が低迷したことでカタログから消滅した。
 ボディはフルモノコック構造で駆動方式はオーソドックスなフロント縦置きエンジンによる後2輪駆動である。4輪駆動仕様の設定はない。

搭載されたエンジンはデビュー時はガソリン仕様が3種、ディーゼル仕様が2種あった。ガソリン仕様では排気量2753㏄に電子制御燃料噴射装置付き直列6気筒SOHC(L28E型、出力145ps/5200rpm)を筆頭に、同じく電子制御燃料噴射装置付き1998㏄直列6気筒SOHC(L20E型、出力130ps/6000rpm)、および排気量1998㏄にシングルキャブレター付き直列6気筒SOHC(L20型、出力115ps/5600rpm)となり、ディーゼル仕様は排気量2164㏄OHV(SD22型、出力65ps/4000rpm)、排気量1991㏄OHV(SD20型、出力60ps/4000rpm)があった。デビュー後、間もなく、2792cc直列6気筒SOHCディーゼル仕様(LD28型、出力91ps/4600rpm)と1998cc直列6気筒SOHCターボ(L20E・T型、出力145ps/5600rpm)が登場している。

「乗っている時が憩いの時」という、いささかアナログに過ぎるテーマでデザインされたインテリアは、1980年代へ向けての豪華さと快適性を実現していた。とくに意が注がれたのは、室内の静粛性であり、ボディパネルの結合から遮音材の使い方、ダッシュボードの取り付け方法、さらにはサスペンションなどの可動部分からのノイズの低減など騒音や雑音を徹底的に排除し、メーカー側のデータによれば、時速100km/hで走行中の騒音レベルを65デシベルにまで減らしたという。これは、当時のメルセデス ベンツ280Eよりも静かだった。装備も充実していた。セパレート仕様ではダッシュボードにラジオの選局から計算機機能まで備えたドライブコンピューターの装備も可能。ワゴン仕様車には後向きのサードシート(2人掛け)を組み込んでいた。

進化したリアサスペンションで乗り心地を改善

 430型となって大きく変わったのは、後輪サスペンションだった。旧型のリーフスプリングで担われたリジッドアクスルから5リンク形式とされた。これによって乗り心地は一段とリファインされた。とくに後席の快適性は抜群だった。ブレーキは前がベンチレーテッドディスク、後ろがドラム(上級車種はディスク)の組み合わせでサーボ機構を備える。ステアリングギアはリサーキュレーティングボール式でパワーアシストが付く。

 おそらく、この時代のセドリックをはじめとする国産車は、エンジン性能と高級車としての豪華さと居住性を最優先にデザインされたものとしては最後のモデルと言って良い。これ以降のモデルでは、省エネルギーを目指した燃費の向上と排気ガスのクリーン化、さらには車の内外での衝突安全性の向上など、クルマを取り巻く環境は厳しさを増す。それらを満足させるためのデザインは、結果として高級車としての個性を徐々に失わせることになる。430型の煌めきは本物だった。

ターボとマイナーチェンジでグレードアップ

 1979年12月にデビューを果たした日本初のターボエンジンはセドリックに新たな輝きを与えた。1998cc直列6気筒SOHCのL20型エンジンをベースに、ターボユニットを組み込んだもので、最高出力は145ps/5600rpm、最大トルクは21.0kg-m/3200rpmをマーク。NAエンジン(EGI仕様、後期モデル)と比較すると、最高出力は20psのアップ。最大トルクは実に4kg-mの向上を果たしていた。ターボは低燃費、低騒音、排出ガスのクリーン化など時代の要請に応える形で開発された。同時に出力アップの恩恵を生かし、ファイナルギア比の高速化を実施していた。10モード燃費は8.8km/L、60km/h定地燃費は16.0km/Lをマーク。NAユニットの10モード燃費9.1km/L、60km/h定地燃費16.0km/Lと同等だった。

 430系セドリックは、1981年4月にマイナーチェンジを受け、後期モデルへと移行する。外観ではブロアム系のバンパーがカラードウレタンと呼ばれる衝撃吸収仕様とされた。室内では一部車種に設定されていた木目パネルの色調が明るい色に変更された。

 エンジンでは、シリーズを通じてパワーアップが図られ、排気量2753㏄の直列6気筒SOHCのL28E型では電子制御燃料噴射装置の改良などで出力を10psアップの155ps/5200rpmへ向上した。また、1982年6月には3速のみであったオートマチックトランスミッションが電子制御によるオーバードライブを加えたロックアップ機構付き4速型となってライバルに追い付いた。この他、バリエーションの変更や機構の改良などが加えられた。
 1983年6月にフルモデルチェンジされ、セドリックは第6世代となるY30系となる。それは、旧き良き時代の終焉でもあった。