JAF-3 【1962~】

モータースポーツの振興に力を注ぐJAF

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モータースポーツの普及と振興を目指して

 1962年に発足し、翌1963年には社団法人化された日本自動車連盟、略称JAF(JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION)は、創立当初から国際自動車連盟(FIA)が1カ国に1団体だけ公認するモータースポーツ統括団体(オーソリティ・スポーツ・ナショナーレ。略称ASN)としての認定を受けている。事業の目的は、日本におけるモータースポーツの普及および振興、そして安全かつフェアな競技運営へのバックアップだ。

 具体的な業務内容を紹介しよう。まずはモータースポーツの開催に必要不可欠な諸規則の制定とライセンスの発給。諸規則は競技および車両の安全性や公平性などを踏まえて制定され、国内競技規則および国内競技車両規則としてまとめられる。これらの規定は要件に合わせて随時改正される仕組みだ。ライセンスについては、国内の運転者と参加者、公認審判員、レーシングカートに大別して発給を行う。このうち運転者は、すべてのJAF国内競技会に出場できる国内Aライセンスとラリーやスピード行事に限定される国内Bライセンスの2種類を設定している。

 次に、競技会の公認。各競技の内容を精査し、安全かつ円滑に競技が行えるように改善指導してから開催を許可する。また、主催団体および参加者間で紛争が発生した場合に、裁定なども行っている。ほかにも、クラブ(加盟/準加盟/公認)や団体(加盟/準加盟/公認/特別)の登録管理、競技用車両の公認および登録、競技における関係諸官庁との折衝、ライセンス所持者に向けた情報冊子の『JAF MOTOR SPORTS』の発行などを手がけている。

1964年に初めて国際競技を単独開催

 JAFと国内モータースポーツとの本格的な関わりは、1963年開催の第1回日本グランプリに端を発する。このレースの主催団体は日本自動車スポーツ協会(JASA)で、JAFは公認という形で関わった。これを機にJAF内部にスポーツ委員会が設けられ、モータースポーツに関する様々な規則を制定していく。そして1964年には、第2回日本グランプリを単独で主催。JAFにとって、初の国際競技会のメインイベンターとなった。また同年には、JAF公認のラリーが2回行われる。サーキットレースよりも手軽に始められ、かつ市販ベース車の実力とドライバーおよびナビゲーターの腕が目いっぱいに試されるラリーは、やがてサーキットレースよりも開催数が多い人気イベントに成長していった。

 モータースポーツが盛んになる一方で、JAFのスポーツ委員会はひとつの課題を抱えていた。本来は競技のトップカテゴリーになるべきフォーミュラカー・レースの普及が、思いのほか遅れていたのである。日本のモータースポーツのさらなる進展、そしてF1誘致を含めた国際化を果たすためには−−。最終的にJAFは、自身の冠をつけたレースイベント、「JAFグランプリ」を1969年に開催する。当初はエンジン排気量やシャシー規格が異なる混走レースのフォーミュラ・リブレ(FL)として実施され、優勝はロータス39・レプコをドライブするレオ・ゲオゲーガン選手が飾る。翌1970年大会ではF1チャンピオンのジャッキー・スチュワート選手が参戦し、ブラバブBT30・FCVを駆ってトップでチェッカーを切った。JAFグランプリは1971年から1973年にかけては開催されなかったものの、1974年に復活。これ以降は“日本一速い男”を決める場の一環として、F2000やF2、FP(フォーミュラ・パシフィック)のカテゴリーでレースが催される。1988年から1990年にかけてはスポーツプロトタイプカーのカテゴリーで競技会を実施。その後、20年の空白期間を経て、2010年からFN(フォーミュラ・ニッポン)→SF(スーパー・フォーミュラ)とスーパーGTのカテゴリーでJAFグランプリが行われた。

 一方、この間の1976年と1977年にはJAFが熱望していたF1レース(名称は'76年がF1世界選手権インジャパン、'77年がF1日本グランプリ)が日本で開催される。優勝を飾ったのは1976年がロータス・フォードを駆るマリオ・アンドレッティ選手、1977年がマクラーレン・フォードをドライブするジェームス・ハント選手だった。

広がるJAF公認のモータースポーツ競技

 長年に渡り日本のモータースポーツ活動を主導してきたJAFは、全日本選手権および地方選手権のレース/ジムカーナ/ラリー/ダートトライアル/レーシングカートなどのイベントの公認組織となっている。また近年では、主要なソーラーカーレースやドラッグレース、サーキットトライアル、ツイントライアル、オートクロス、ドリフトなどの競技にも認可を出すようになった。一方、全日本GT選手権を経て海外でも開催されるようになったスーパーGTに関しては、2005年よりFIA公認の国際シリーズに昇華した。

 日本のモータースポーツに常に寄り添い、発展を後押ししてきたJAF。今後はEV(電気自動車)やFCV(燃料電池自動車)の普及が見込まれ、レースやラリーの主力のひとつになると期待されている新世代自動車に対しても、その辣腕が存分に発揮されるに違いない。