ロータス・セブン 【1957〜1973】

軽量&シンプル。スポーツカーの原点であり究極

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セブンがデビューするまでのロータスの歩み

 第2次世界大戦の終結から2年あまりが経過した1947年、英国ロンドン大学の学生で中古車販売業も手がけていたコーリン・チャップマンは、売れ残った1930年製のオースチン7を改造して自分用のレースカーに仕立てることを計画する。友人たちの協力を得ながらチャップマンの自宅ガレージ(バックヤード)で製作したスペシャルマシンは1948年に完成。学位の取得に追われながらも彼は自作マシンでトライアルレースに鋭意参戦した。

 その後、1949年に進化版のレースカーを製作し、マーク2と呼称する(これに伴い最初のモデルはマーク1と呼称)。同時に車名には、数あるオースチン7ベースのレースカーのなかで埋没しないよう、「ロータス」と名づけた。当初はフォード8、後により強力なフォード10エンジンを採用したマーク2は、数々のレースに出場して高い戦闘力を発揮。とくに、1950年にシルバーストーンで行われた8クラブ主催のレースにおいてGPマシンのブガッティ・タイプ37を相手に勝利した実績は、チャップマンおよびロータスの名をモータースポーツ界に知らしめる結果となった。

 レースマシンの製作に自信を深めたチャップマンは、新たな協力者としてマイケルとナイジェルのアレン兄弟を招き、販売を目的としたレースカーの開発に着手する。そして1951年に750フォーミュラカーのマーク3を、1952年にトライアルカーのマーク4を完成させた。さらに、750フォーミュラカーの進化版となるマーク5も企画したが、実際に製作されることはなかった。

最初のプロダクションモデル、マーク6の誕生

 レースカーの開発を進める一方で、チャップマンは一般路上を走れるプロダクションモデルの製作も計画する。そのために、1952年1月にはマイケル・アレンと共同出資で「ロータス・エンジニアリング」社を設立。翌1952年には同社初のプロダクションモデルとなるスポーツカーのマーク6を市場に放った。専用設計の鋼管スペースフレームに総アルミ合金製ボディを架装して、意気揚々とデビューしたマーク6。しかし、デビューから1カ月ほどが経過したときに、ナイジェル・アレンがマーク6を公道で運転中、横道から飛び出してきたクルマと衝突してしまう。これをきっかけに、アレン兄弟はロータスの経営から手を引くこととなった。

 創業メンバーを失ったチャップマンは、新たにフィアンセのヘイゼル・ウィリアムズを取締役とし、またエンジニアとしてマイク・コスティンを招き、1954年にロータスを株式会社に改組する。出資が増えた同社は、マーク6の生産規模を積極的に拡大。生産を取りやめる1955年までに100台強をデリバリーした。

「裏庭で組み立てられる軽量スポーツカー」の登場

 マーク6によってプロダクションモデルの開発・生産・販売のノウハウをしっかりとつかんだロータスは、1957年秋に開催されたロンドン・モーターショーでマーク6の後継モデルを発表する。車名に「セブン」の名を冠した新しいスポーツカーを雛壇に上げたのだ。

 セブンはマーク6のスタイルを基本的に踏襲していたが、中身は新しいメカニズムを満載していた。新設計の鋼管スペースフレームはマーク6用に比べてチューブ材を減らし、代わってフロアやプロペラ用のトンネル、ボディサイドおよびリアのアルミ合金製パネルなどをリベットで組み付けて全体の強度を高める。サスペンションはフロントにスタビライザーがアッパーアームの一部を兼ねるダブルウィッシュボーンを、リアに2本ずつのトレーリングアームとデフを支えるダイアゴナルリンクを配した。操舵機構には当初バーマン製のウォーム&ナットをセットし、後にラック&ピニオンに切り替える。ブレーキ機構には前後ともに8インチ径のドラム式を採用。ホイールには軽量スチールの4×15サイズを装着した。

 搭載エンジンはフォード100Eの1172cc直4SV(40hp)がベーシックユニットとして採用され、車名はセブンFを名乗る。ほかにも、同エンジンにツインSUキャブレターを組み込んだ輸出仕様のセブンF、コベントリー・クライマックスFWAエンジン(1097cc直4OHC/75hp)を搭載したスーパーセブンことセブンC、BMC-Aタイプエンジン(948cc直4OHV/37hp)を積んで1959年に加わったセブンAおよびセブンAアメリカなどが設定された。

 完成車に課せられる税金を省くために、キットカーをメインに販売されたセブンは、「裏庭で組み立てられる軽量スポーツカー」と称されるようになり、走り好きから熱い支持を集める。このモデル群は後にシリーズ1と呼称され、1957年末から1960年にかけて計242台が生産された。

シャシーやボディの緻密な改良を図ったシリーズ2

 「スポーツカーは進化が命」を肝に銘じていたロータスは、1960年6月になると改良版セブンのシリーズ2を市場に放つ。鋼管スペースフレームは設計を見直し、チューブ材の一部省略による軽量化や前後サスペンション結合部の強化を実施。ボディではノーズカウルとフェンダーの素材をFRPに変更する(初期の英国仕様は総アルミ合金製)。サスペンションはリアのダイアゴナルリンクをAブラケットに変更。ホイールは3.5×13サイズに小径化した。

 搭載エンジンのラインアップを従来以上に充実させた点も、シリーズ2の特長だった。フォード100Eエンジンを積むセブンF、BMC-Aタイプエンジンを採用するセブンA/セブンAアメリカ、セブンAの実質的な後継グレードでフォード105Eエンジン(997cc直4OHV/50hp)を積んで1961年に設定されたベーシックセブン、コスワースチューンのフォード109Eエンジン(1340cc直4OHV/85hp)を搭載して1961年に追加されたスーパーセブン、109Eエンジンを高圧縮比化して性能を高めたレース用限定車のSCCAコスワース、フォード116Eエンジン(1498cc直4OHV/66hp)を採用して1962年に登場したスーパーセブン1500、コスワースチューンの116Eエンジン(95hp)を搭載したスーパーセブン1500コスワースなどがリリースされた。
 多様なタイプを用意したセブンのシリーズ2は1968年まで造られ、生産台数はシリーズ1を大きく上回る1350台を記録した。

シリーズ3ではロータス製ツインカムエンジンを設定

 1968年9月になると、緻密なモディファイを施したシリーズ3に発展する。変更内容はリアアクスルの拡大(フォード・エスコート用がベース)にフロントディスクブレーキの採用(シリーズ2までは116Eエンジン仕様のみ)、新造形のダッシュボードの装着、エグゾーストパイプの延長、燃料タンクの容量アップ(31.8l →36.4l )、シートベルトの設定など。また、搭載エンジンはフォード225Eユニットの1298cc直4OHV(68hp)とクロスフロータイプの1599cc直4OHV(84hp)に切り替わり、前ユニット搭載モデルがエコノミー、後ユニット搭載モデルがスタンダードを名乗った。

 シリーズ3は1969年中盤になると、待望のロータス製ツインカムエンジン(1558cc直4DOHC)を搭載したモデルがラインアップに加わる。車名はセブンSS(スーパーセブン・ツインカム)で、外観ではフロントフードのスカットル直前に付くルーバーが特徴。105hp仕様とホルベイ・チューンの125hp仕様が用意された。

 熟成の域に達したシリーズ3は、ほかにもワンオフモデルのセブンXなどを加えながら1970年まで製造され、生産台数は350台あまりを数えることとなった。

シリーズ4は梯子型フレーム+FRP製ボディに一新

 セブンは1970年にシリーズ4へと移行する。しかし、その中身は全面改良といえるほど大きく変わっていた。シャシーは新設計の梯子型フレームで、ここに4つのブロックに分かれたFRP製ボディを組みつける。構成としては、当時流行していたデューンバギーの造りに似ていた。サスペンションも一新され、フロントにはロータス・ヨーロッパ用をベースとしたダブルウィッシュボーンを、リアには4リンクをセットする。操舵機構はバーマン製のラック&ピニオン式に改められ、インテリアデザインも1970年代のクルマにふさわしい雰囲気にモディファイされた。搭載エンジンは基本的にシリーズ3と同様で、モデル展開も同じ。ただし、スーパーセブンの名称は消えてしまった。

 より大きく、しかもファッショナブルに変身したシリーズ4は、レーシーなモデルを望む従来のセブン・ファンからは不人気だったものの、ユーザー層は確実に広がる。製造は1973年まで続き、生産台数はシリーズ2に続いて多い1000台あまりを達成した。

 セブンを進化させる一方で、ロータス本体はプロダクションカーの開発と生産を担当するロータス・カーズ、レーシングカーおよびパーツ類の開発と生産を受け持つロータス・コンポーネンツ、レース活動を行うチーム・ロータス、そしてそれらを統括するロータス・エンジニアリングというグループ体制を構築する。順風満帆に思えたロータスの経営環境。しかし、エリートの商業的な失敗に加え、イギリス経済の衰退などが同社を襲う。その傾向は、1970年代に入るとより深刻になった。結果的にロータスは経営を安定させるための方策を推し進め、その一環として1973年にセブンの製造および販売権と生産に必要な治具、コンポーネント、パーツ等の一切を、セブンの販売店であったケータハム・カーズに売却する。ケータハムでは当初シリーズ4を生産し、パーツの在庫が終了した後は、より生産性の高いシリーズ3をベースとするセブンを製造した。車名をケータハム・スーパーセブンとしたロータス・セブンの末裔は、世界中の愛好家から熱い支持を集め、21世紀に入っても鋭意生産が続けられることとなったのである。

“KAR 120C”のナンバーを付けた最も有名なブンの正体

 ロータス・セブンが活躍する映像作品といえば、1967年に放映されたイギリスのTVドラマシリーズ『the prisoner』(日本では1969年に『プリズナー№6』として放映)が有名だろう。

 実験的な要素を随所にちりばめたスパイアクションドラマのthe prisonerは、斬新な演出手法やミステリアスな構成などが話題を呼び、いまもなお多くのファンに支持を受けている。主演(および製作や監督、脚本なども担当)のパトリック・マクグーハン演じる№6が劇中で駆るクルマが、“KAR 120C”のナンバーを付け、黄色いノーズカウルとグリーンのボディを纏ったシリーズ2のセブンだった。

 毎週オープニングの映像に登場し、時には劇中でカーチェイスも演じたセブンは、謎めいた話の展開や凝った映像の雰囲気にとてもよくマッチしていた。プリズナー仕様のセブンは、後に伝説的なモデルに発展。ロータスからセブンの製造権を譲り受けたケータハム・カーズでは、リミテッド・エディションとして復刻モデルも製作した。