昭和とクルマ10 【1977,1978,1979,1980,1981】

石油危機と排出ガス規制を乗り越えスポーツ車が復活

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国産スペシャルティの草分けが新世代に移行

 第1次オイルショックに端を発する低燃費化への流れと大気汚染問題に対する厳しい排出ガス規制の克服−−2つの大きな課題を乗り越えることに一定の目処がついた1970年代後半の日本の自動車メーカーは、それまで中断していた高性能モデルの開発に積極的に取り組む。

 1977年8月には、トヨタ自動車工業がスペシャルティカーのセリカを全面改良する。ボディタイプは従来モデルと同様に2ドアクーペと3ドアリフトバックを設定。エンジンは改良版の18R-GU型1968cc直4DOHCと2T-GEU型1588cc直4DOHCをメインに計6機種をラインアップする。シャシーに関しては基本的に従来モデルのリファイン版だったが、ボディサイズはひと回り大きくなった。ちなみに、1978年4月には6気筒エンジン(4M-EU型/M-EU型)を積む上級モデルのセリカを“XX”のサブネームを付けてリリースした。

 2代目セリカで市場が最も注目したのは「答えは風の中に−−」と称したスタイリングだった。スラントしたノーズに三次曲面のウィンドウ、空気力学を追求したラインなどで仕立てたエアロダイナミクスボディが、スペシャルティカーの新時代の到来を実感させたのである。

新世代ロータリースポーツ鮮烈デビュー

 1978年3月になると、東洋工業(現マツダ)が新世代ロータリースポーツの「サバンナRX-7」を市場に放つ。サバンナRX-7は運動性能を高める目的で、12A型573cc×2ローターエンジンの搭載レイアウトに“フロントミッドシップ”を採用。そのためのシャシーも新たに設計し、SA型と称するプラットフォームを完成させた。重量配分については、前50.7:後49.3というほぼ理想的な数値を構築する。

 スタイリングについても小型かつ低重心なロータリーエンジンの特長を巧みに具現化した。フロントノーズにはリトラクタブル方式のヘッドライトを組み込み、かつ思い切り低く設定。そこからテール部まで一気に強いウエッジをつけた。コクピット部は丸みを帯びたキャノピー(風防)型でデザインし、同時に車高を1260mmと低く設定する。リア部はフロントからのウエッジラインをすっぱりと切り落とした造形で構成。フロントからテールに至る空気の流れがスムーズに通るようにアレンジした。また、全体の空気抵抗係数(Cd値)は、0.36という優秀な数値を達成する。

日産はターボで新しい価値観を提唱

 高級車のカテゴリーでも、ハイパフォーマンス化が相次いで実施される。その代表格が、1979年12月に登場した日産の5代目セドリック/6代目グロリアのターボモデル(4ドアハードトップ/4ドアセダン)だ。
 既存のL20E型に排気エネルギーを活用するターボチャージャー機構を組み込んだL20E-T型1998cc直6OHCターボエンジンは、145ps/21.0kg・mのパワー&トルクを発生。同時に専用セッティングのミッションやハードサスペンションを組み込んだターボ仕様は、5ナンバー規格ながら3ナンバー仕様のL28E型エンジン搭載車より速いモデルとして、たちまちヒットする。そして1980年代初頭には、セドリック/グロリアのイメージリーダーに成長した。

 高評価を獲得したL20E-T型エンジンは、1980年4月になると5代目スカイライン(2ドアハードトップ/4ドアセダン)にも採用される。グレード名は2000ターボGT。カタログなどでは、最終モデルのGT-Rよりも0→100km/h加速で0.4秒、0→400m加速で0.7秒速い数値を記録したと謳っていた。
 ちなみに、既存のメカニズムを高性能化させる“ターボ”のイメージは一種の社会現象となり、クルマ以外の製品にも波及。掃除機やエアコン、ドライヤーなどの新しい家電製品にターボのネーミングが付けられるほどだった。

すべてが別格だった初代ソアラの衝撃

 1981年2月には“高級スペシャルティ”という新ジャンルの高性能車が登場する。トヨタ自工がリリースしたスーパーグランツーリスモの「ソアラ」だ。
 ソアラは先進のメカニズムを満載していた。4輪独立懸架の足回りを採用したシャシーは新設計で、しかも4輪ベンチレーテッドディスクブレーキやミシュラン製ラジアルタイヤなども組み込む。搭載エンジンは新開発の5M-GEU型2759cc直6DOHCが話題を博した。内外装の演出についてもトピックが目白押しだった。

 2ドアノッチバックのスタイリングは、台形フォルムを基本に流麗で端正なルックスを構築。Cd値は0.36をマークした。上質な素材で覆われたインテリアには、最新のエレクトロニクス技術を積極的に盛り込む。具体的には、エレクトロニックディスプレイメーター/デジタル式任意速度警報装置/マイコン式オートエアコン/スピークモニターなどの先進機構を組み込んでいた。

 ソアラは自動車文化にも大きな影響をもたらした。いわゆる“デートカー”の流行である。当時は女子大生がブームで、彼女たちは好きなクルマとして輸入車を押しのけてソアラを選んだ。ソアラの華やかなルックスとハイテクぶりは、男女を問わずに高い人気を誇ったのである。