シビック 【2000,2001,2002,2003,2004,2005】

ボディタイプ別に個性を分けた“世界市民のクルマ”

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ワールドカーの性格を明確にした7代目

 2000年9月にデビューした7代目のシビックは、ワールドカーというシビックのキャラクターを象徴する存在だった。1972年7月にデビューしたシビックは、7代目のデビュー時までに世界生産累計が1330万台に達し、世界140以上の国と地域で販売されるホンダの大黒柱に成長していた。とくに伝統のハッチバックは欧州、セダンボディのフェリオは米国市場の戦略モデルだった。

 7代目の日本仕様は2つの個性を持っていた。バリエーションは、5ドアハッチバックと、セダンのフェリオの2ボディ構成。5ドアハッチバックは欧州マーケット向け、フェリオはアメリカ市場向けの造形に仕上げ、同じ7代目シビックながら、キャラクターをはっきりと分けていた。開発コンセプトは共通。両ボディともに「世界の市民のクルマ」という原点に立ち返り、初代モデルから受け継がれてきた「人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に」というMM(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)思想を一段と進化、「スマートコンパクト」をテーマにクラス最大の室内空間、優れた経済性と爽快な走り、クリーンな環境性能などを満たす新時代のベンチマークとして完成されていた。

ハッチバックはミニバンに学んだ室内が自慢

 5ドアハッチバックから見ていこう。ハッチバックは、単に“シビック”を名乗り、シビックの基本モデルであることを主張する。スタイリングはビッグキャビンの躍動的なスタイリングで構成。シビック伝統の合理的なパッケージングが実感できる造形に仕上げていた。ボディサイズは全長×全幅×全高4285× 1695mm×1495mm(FF)で、ホイールベースは2680mmの設定。

 特徴は圧倒的に広い室内空間にあった。2000年当時ホンダはステップワゴンなどのミニバンの開発を通して、乗員が快適と感じる室内空間作りを学んでいた。シビックにはその経験がフルに生かされた。エンジンのコンパクト設計に加えてサスペンションの改良、ハイマウント式ステアリングギアボックスの搭載により、まずエンジンルームを短縮。その上で床下のシャシー部品のレイアウトを工夫し、凹凸のまったくないフラットフロアを実現した。そのフロア上には低反発ウレタンを用いた大型形状の新開発シートを配置し、いままでにない居住性に優れた室内スペースを生み出した。室内長×幅×高さ1885× 1420×1230mmのゆったりとした室内は開放感に優れ、しかも使い勝手に優れていた。シフトレバーをインパネ部にマウントすることでコンソール部にフリースペースを出現させ、ミニバンのようなセンターウォークスルーが可能にしたのもポイントだった。

 パワーユニットは排気量1493ccと1668ccの直列4気筒OHC16V。燃料供給装置は電子制御インジェクションで、1493ccには標準(106ps/13.8kg・m)、VTEC仕様(115ps/14.2kg・m)、燃費に優れたリーンバーン仕様(105ps/14.2kg・m)の3種を設定。1793ccにはVTEC仕様(130ps/15.8kg・m)の1種を用意した。トランスミッションは1493ccが電子制御4速ATとホンダマルチマチックと呼ぶCVTの2種。1793ccはCVTのみ。ホンダを代表するモデルながらMTミッションを未設定としていた点が新しかった。駆動方式はFFと4WDが選べた。

フェリオは落ち着いたフォルムで上質感を表現

 一方のフェリオは、オーソドックスな3ボックススタイルが特徴。落ち着いた雰囲気で上質なイメージを訴求する。ボディサイズは全長×全幅×全高4435×1695×1440mm(FF)。ハッチバックと比較して長く、低いシルエットを持ち、ホイールベースは2620mmとハッチバック比60mm短くなっていた。
 フェリオもハッチバックと同様のフラットフロアキャビンを持っていたが、開放感はそこそこのレベル。ミニバンのような広々とした空間ではなくセダンらしいジェントルなイメージを大切にしていた。それでも室内長×幅×高さは1865×1380×1170mmとクラストップ級を誇った。

 パワーユニットは1493ccの標準(105ps/13.8kg。m)とリーンバーン仕様(105ps/14.2kg・m)と、1668ccのVTEC仕様(130ps/15.8kg・m)の3種。一般的なフロアマウントのトランスミッションは4速ATとCVTに加え、一部グレードで5速MTが選べた。

 7代目シビックは、卓越したスペース効率と優れた環境・燃費性能が評価され、2000-2001年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。シビックの名声を一段と高める。ただし日本での販売成績はさほど芳しくなかった。とくにハッチバックは、2001年6月にデビューしたシビックより一段とコンパクトでユーティリティに優れたフィットの影響を受け、いささか地味な存在となってしまう。残念だが、名車が、必ずしもヒット作にはならない好例である。

赤バッジのタイプRは英国生産の輸入車

 7代目シビックにはデビュー当初、スポーツグレードは設定されていなかった。シビックにとって走りは重要な要素。ユーザーはスポーツグレードの設定を熱望する。具体的にはサーキット走行を射程に収めた赤バッジのファインチューニングモデル、タイプRの復活を求めた。

 走りはホンダの重要なDNAである。ユーザーの要望にメーカーは積極的に応える。2001年10月にタイプRを設定したのだ。タイプRもまたはワールドカーの7代目シビックらしい存在だった。生産を担ったのはホンダの英国工場だったのだ。というのも日本でのシビックは5ドアハッチバックとセダンのフェリオのみ。タイプR用の3ドアハッチバックの用意がなかったからだ。3ドアハッチバックを設定していたのは欧州向け。そこで欧州向けの生産工場である英国工場で生産、日本に輸出したのである。日本仕様のタイプRは欧州向けのタイプRと基本的に共通仕様で、エンジンは2Lの直4DOHC16Vを搭載。215ps/20.6kg・mの圧倒的なパワーでハイパフォーマンスを誇った。トランスミッションは6速MT。レカロシートを標準装備した英国生産のタイプRは、マニアから絶大な支持を受ける。