120シリーズ(アマゾン) 【1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970】

頑丈で高品質。走りに優れたスウェーデンの名品

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PV444の後を引き継ぐ新世代乗用車の企画

 ボルボは、第2次世界大戦の最中から戦後を見据えた乗用車の開発を推進し、1944年には「PV444」という量産小型車を発表して業績を大いに伸ばした。スウェーデンを代表する自動車メーカーに成長した同社は、1950年代に入ると次世代に向けた乗用車の企画を本格化させる。

 本国のみならず海外市場、とりわけアメリカ市場での販売を重視したボルボの首脳陣は、マーケットのユーザー指向を入念に分析した。そして、PV444で好評だった要因、具体的には高い耐久性やリーズナブルな価格設定を確実に継承し、そのうえで、より上級で近代的なスタイリングの具現化や実用的な4ドアボディの設定、室内空間の拡大および快適性の引き上げ、走行性能の向上、安全性能の強化するという新型車の開発指針を導き出した。

4ドアセダンのボディを採用した乗用車を開発

 新型車の基本骨格は、良質なスウェーデン鋼を使った新設計のモノコックボディ構造を採用する。車両デザインは社内デザイナーのヤン・ウィルスゴードが主導。高度なプレス技術と高めのウエストライン、リアガラス上部まで覆ったルーフ形状などによって剛性を高めながら、同社初の4ドア・3ボックスフォルムを構築する。また、PV444以上に入念な防錆および防水処理を施し、ボディの耐久性を一段と向上させた。

 頑強なボディを支える懸架機構も新設計で、フロントにはテレスコピックダンパーとコイルスプリング、スタビライザーをセットした独立懸架のダブルウィッシュボーンを、リアにはダンパーとコイルスプリング、縦置ラバージャーナルサポートアーム+トルクロッドで構成したリジッドアクスルを組み込む。ホイールベースは2600mmに設定した。一方で操舵機構には専用セッティングのカム・アンド・ローラー式を、制動機構には4輪油圧ドラム式ブレーキを導入。ハンドブレーキレバーは、輸出仕様でのベンチシートの設定計画や安全性の観点からドライバーズシートの外側にレイアウトした。

 搭載エンジンはボア×ストロークを79.37×80mmとした新開発のB16A型1583cc直列4気筒OHVユニットで、ゼニスストロンバーグ製キャブレター1基との組み合わせにより66hp/4500rpmの最高出力を発生する。オイルフィルターは既存のバイパス式からフルフロータイプに一新。駆動レイアウトはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リアドライブ)で仕立て、トランスミッションには3速MTをセットした。

 スタイリングに関しては、アメリカ車のテイストを盛り込んだ3ボックスフォルムにフィン形状のテールライン、2分割で仕立てたうえで太い横バーを配したモダンなフロントグリル、ルーフセクションを塗り分けたツートンのボディカラーなどで新しいセダンデザインを創出する。ボディサイズは全長4450×全幅1620mmと、PV444に比べてひと回り大きくなった。インテリアについては、計器類をドライバー前にまとめたインパネ造形や各種補助メーターの設定、クッション厚を増やしたシートなどを特長とする。また安全機能を高めるため、インパネおよびドア上部へのパッディング処理や前席への2点式シートベルトの標準装備化、ウィンドスクリーンへのラミネート加工などを実施した。

“足の速いスウェーデン美人”のデビュー

 ボルボの新しい乗用車は、プロトタイプが1956年初頭に完成し、シェヴデで催した代理店会議を通じて披露される。車名はギリシャ神話に登場する黒海近くのスクチアに住んでいた女性戦士の一族に由来する「アマゾン(AMAZON)」と命名された。同年9月にはアマゾンのプリプロダクションモデルを発表。翌1957年2月から3月にかけて、量産型のアマゾンが代理店にデリバリーされた。

 キャッチフレーズに“足の速い、火のようなスウェーデン美人”を冠したアマゾンは、エレガントなルックスや広くて快適なキャビンルームなどが注目を集め、着実に受注を獲得していく。デリバリー当初は雨漏りなどのトラブルが発生したものの、生産ラインが安定するに連れて徐々に問題は解消していった。さぁ、次はいよいよ輸出の開始だ−−。しかし、ここで大きな問題が発生する。アマゾンの車名が西ドイツのモーターサイクルメーカーであるクライドラーによって商標登録されていることが判明したのだ。早急にボルボはクライドラーと交渉し、スウェーデン本国に限ってアマゾンの車名を使用する了承を得る。本国以外では型式にちなんで「120」シリーズを名乗ることとなった。

バリエーション充実。2ドアセダンとエステートカーを追加設定

 1958年になると、アマゾンおよび120シリーズの高性能モデルが登場する。B16系エンジンにツインSUキャブレターをセットし、同時に強化タイプのバルブ機構やカムシャフト、ベアリングなどを組み込んだB16Bエンジン(85hp)を採用する「アマゾンS」を追加設定したのだ。トランスミッションには新開発の4速MTが組み合わされ、さらに足回りなどのセッティングも変更する。輸出仕様のグレード名は既存のシングルキャブ仕様の「121」に対して「122S」を名乗った。また、1959年モデル(1958年8月発売)でのシリーズを通した改良として、量産車世界初採用となる3点式フロントシートベルトの装着を実施。さらに、ブレーキのデュオサーボ化やヒーターシステムのリファインなども行った。

 生産および供給が安定し、販売台数も大きく伸びていったアマゾン/120シリーズは、1960年代に入ると車種展開の拡大や各部の改良に拍車がかかっていく。まず1960年には、新型の3速/4速ギアボックスを採用。燃費の向上に貢献するオーバードライブ付きも選べるようになる。また、シートの設計も見直して快適性を向上させた。1961年になると動力源の換装が図られ、新たに5ベアリング式のB18系1778cc直列4気筒OHVエンジンが積み込まれる。最高出力はシングルキャブ仕様(B18A)が75hp、ツインキャブ仕様(B18D)が90hpを絞り出した。また各機構面の改良も行い、電気システムの12V化やサスペンション設定の見直し、フロントブレーキのディスク化、内外装デザインの一部変更などを実施した。

 1961年9月には、アマゾンの新しいバリエーションとして2ドアセダン(P130系)がラインアップに加わる。シャシーなどの基本メカニズムは4ドアセダンを流用。一方で4ドアに比べてフロントドアを長めにアレンジするとともに、前席のシートバックに前倒れ機構を内蔵して後席へのアクセス性を高めた。また、リアシート自体の形状変更やリアウィンドウ後端への開閉機構の追加なども行う。車両価格は4ドアモデルよりも500クローネほど安く設定し、ユーザー層の拡大を図った。

 1962年2月になると、3つめのバリエーションとなるステーションワゴンのエステートカー(P220系)が市場デビューを果たす。フロントセクションからドアピラーまでは4ドアモデルを基本とし、後部以降を伸ばして広い荷室ルームを構築。デザイン面ではアメリカ産のステーションワゴンを参考にして仕立てられ、上下2分割式のリアゲートやフィン形状のリアサイドエンドなどを採用した。さらに、リアサスペンションは荷室フロアを低くするために再設計。強化サポートアームを後部まで延長してアクスルの下側にレイアウトし、コイルスプリングには補助としてゴム製ブッシングを組み込む。また、リアシートには可倒機構を内蔵し、たたんだ時の荷室長は1830mm、幅は1260mmを実現した。

走りのイメージを強調したスポーツモデルGTの登場。

 アマゾン・シリーズの進化は、まだまだ続く。1963年にはトランスミッションにボルグワーナー製3速ATを追加。このモデルは、とくにアメリカ市場で好評を博す。また、全モデルに偏平タイヤを装着した。1965年になると、圧縮比の引き上げなどによりB18Dエンジンの最高出力が95hpへとアップ。同時に、前サスペンションとプロペラシャフトのジョイントのメンテナンスフリー化(グリス補給の省略)や後輪ブレーキへの減圧バルブの追加などを実施する。

 1966年には2ドアのボディにクーペモデルのP1800と同仕様のB18Bエンジン(115hp)を搭載したハイパフォーマンスバージョンの「123GT」が登場。オーバードライブ付4速MTのトランスミッションに強化タイプのサスペンション、そしてフォグランプやスポットランプ、ホイールトリム、専用ステアリング、タコメーターなどのスポーツアイテムを装備した123GTは、アマゾン・シリーズの高性能イメージをいっそう高めることに寄与した。またこの年には、既存モデルの出力向上も図られ、シングルキャブ仕様が85hp、ツインキャブ仕様が100hpにまで引き上がる。同時に、冷却システムやクラッチの改良も実施された。

総生産台数66万7323台。ボルボの高品質イメージを構築

 1967年になると4ドアセダンの生産が中止され、以後このカテゴリーは新型車の140シリーズが引き継ぐこととなる。一方で2ドアセダンとエステートカーは、排気システムの改良による排出ガスのクリーン化などを行いながら販売が続けられた。そして、1968年にはエンジンを新開発のB20系1986cc直列4気筒OHVエンジンに換装。最高出力はシングルキャブ仕様(B20A)が90hp、ツインキャブ仕様(B20B)が118hpを発生する。同時に、ブレーキシステムのデュアル回路化やオルタネータの採用などを実施した。

 1969年にはエステートカーの製造が終了し、以降は145エステートが後継を担う。残る2ドアセダンは1970年まで生産ラインに乗り、同年7月に最後の1台が工場から送り出された。ただし、このファイナルモデルは市場には出回らず、ボルボのミュージアムに直接運ばれた。約14年の長きに渡って、ボルボ車の耐久性と安全性の高さを誇示し続けたアマゾン・シリーズ。生産台数は66万7323台に達し、その半数近くが海外に輸出されてボルボ・ブランドのイメージ向上に貢献したのである。