フェローMAX・HT 【1973,1974,1975,1976】

よりスタイリッシュに変身した軽スペシャルティ

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


社会の要請に応えマイナーチェンジ

 日本屈指のコンパクトカーメーカーであるダイハツ工業は、1971年8月に高性能版軽自動車の真打ちといえるモデルを発表する。軽カテゴリーでは初となるハードトップ仕様のフェローMAXをリリースしたのだ。当時の広報資料によると、軽自動車でハードトップボディを製作するのは非常に難しい作業だったという。三角窓とセンターピラーのないフルオープンウィンドウを支えるには、既存の軽ボディでは剛性不足。さらに、全開時に大きなガラスを収める場所も確保しづらかった。この難問に対して開発陣は試行錯誤を繰り返し、剛性の高いボディと広いガラス収納スペースを作り上げる。完成したハードトップボディは、ウエッジがきいたシャープなボディラインにオープンウィンドウの開放感、そして丸目4灯のアグレッシブなフロントマスクなどがスペシャルティ軽らしい個性を主張した。

 一方で開発現場では、時代の要求に応じたフェローMAXの改良を鋭意計画する。主な狙いは2つ。軽自動車の上級化に伴う内外装のリファイン、そして大気汚染問題に対処するための排出ガスのクリーン化と安全性の拡充だった。

より安全でクリーンなスペシャルティ軽に変身

 スタイリングに関しては、ハードトップならではの流麗でスポーティなムードにダイナミックさや力強さを加えて、存在感をより際立たせるようにアレンジする。フロントバンパーはフェンダーを大きく回り込む造形に変更。新デザインの丸目2灯式ヘッドランプやフロントフードとともに精悍な顔を演出した。リアバンパーもフロントと同イメージの形状とし、さらにコンビネーションランプやゲート部などのデザインを刷新して新鮮味をアップさせた。インテリアでは、インパネのアレンジをより上質にすると同時にコラプシブルステアリングやリアウィンドウデフォッガーなどを採用して安全性を引き上げる。また、新形状のフロントシートはヘッドレスト一体型で、左右席ともに2点式シートベルトを装備した。

 動力源には改良版の356cc・水冷2ストローク2気筒ユニットを採用する。排出ガス対策として燃料蒸発ガス排出抑制装置を新たに設置。さらに、エンジンロケーターやマフラー、マウントシステムを改良して振動と騒音を減少させた。仕様としてはツインキャブをセットした37psバージョンとシングルキャブを組み込む31psバージョンを用意する。圧縮比は2バージョンともに9.0に設定。トランスミッションには2ロッド方式のフルシンクロメッシュ4速MTを、クラッチには乾燥単板ダイヤフラム式を組み合わせた。前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの4輪独立懸架機構については、ゴムブッシュの変更などでロードホールディング性能を向上。また、制動機構にはフロントディスクブレーキやリアPバルブ付きリーディングトレーリング、ブレーキオートアジャスターを設定した。

軽自動車の新規格に移行を機にハードトップを廃止

 新時代のフェローMAXハードトップは、セダンとともに1973年5月に市場に放たれる。グレード展開は37psエンジンを搭載するGSL/SL、31psエンジンを積むGHL/GL/TL/Lという計6種類をラインアップ。カタログなどではマイナーチェンジの特長を「サラブレッドのような鋭い走りっぷりと華麗にして精悍なスタイリングの中に、安全をねがう心、きれいな空気をのぞむ心など“あなたの町への、小さな心づかい”をぎっしりつめこんで誕生した」と謳っていた。

 各部が改良された新フェローMAXハードトップ。しかし、販売成績はデビュー当初を除いてあまり振るわなかった。年々厳しくなる排出ガス規制とともに、1973年10月には第4次中東戦争を発端とするオイルショックが起こり、スペシャルティ軽に強い逆風が吹いたのだ。対応策としてダイハツは、1975年2月のマイナーチェンジ時にツインキャブ仕様を廃止して31psエンジンに1本化。同時にグレード展開の見直しなども行う。そして1976年1月に軽自動車の規格が改定されたのを受けて、ダイハツは同年5月にフェローMAXのビッグマイナーチェンジを実施し、新開発のAB10型547cc・4ストロークエンジンを搭載するフェローMAX550に移行。この時、ハードトップモデルはラインアップから外れた。

 スペシャルティ軽の象徴的な1台として市場で脚光を浴びたフェローMAXハードトップ。短命に終わったが軽自動車のカテゴリーにスポーツ志向を持ち込んだ記念碑として、その存在意義は非常に大きかったのである。