205 【1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998】

プジョーのV字回復を担った俊敏スポーツハッチ

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新世代Bセグメントカーの企画立案

 1980年代初頭のプジョーS.A.(現グループPSA)は、非常に困難な状況に直面していた。1978年に買収したクライスラーの欧州部門(シムカ)の経営がなかなか軌道に乗らず、また市場の競争激化や生産設備の旧式化による生産性の低下、さらに従業員数の過剰などにより1980年には15億フランもの赤字を計上し、その後も低迷が続いていたのだ。

 打開策として経営陣は、不採算事業からの撤退や人員削減など、経営の徹底した合理化を進める。一方で開発現場では、大量販売が見込める新型車、具体的には104と305のあいだを埋めるBセグメントのニューモデルを鋭意企画した。車両レイアウトについては、同セグメントのベンチマークであるフォルクスワーゲン・ゴルフと同様のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)2BOX車に仕立てる旨を決定。同時にエンジンやサスペンションなどのメカニズム類に関しては、コスト削減を狙って可能な限り既存のコンポーネントを改良して使うこととした。

スタイリングはピニンファリーナと共同開発

 プジョーの新世代Bセグメント車は、「205」の車名を冠して1983年2月に市場デビューを果たす。スタイリングは社内のデザイン部門であるスタイル・プジョーとカロッツェリア・ピニンファリーナが共同開発した2BOXフォルムで構成。丸みを帯びたスタイリッシュかつ新鮮な3/5ドアハッチバックのルックスは、既存のプジョー車のイメージとは一線を画していた。また、このスタイリングは空力特性にも優れており、空気抵抗係数(Cd値)はクラストップレベルの0.35を実現する。

 ボディ自体には弾性限界の高いHEL鋼や合成材料などを採用し、高剛性と軽量化を高次元で両立。同時に、亜鉛メッキプリコートパネルとプライマー塗装、カチオン電着塗装といった最新の耐腐蝕技術を駆使して耐久性を向上させた。
 懸架機構はフロントにL型ロアアームを持つマクファーソンストラット/コイルを、リアにトレーリングアーム/横置きトーションバーを採用し、上級モデルは前後ともにアンチロールバーをセットする。同時に、前アンチロールバーのストラットへの直付け、後トーションバーの幅広化、搭載エンジンおよびグレードの性格に合わせたセッティングの緻密化などを行い、路面との高い接地力やロール剛性の向上を実現した。さらに、リアダンパーを後傾配置とすることでラゲッジルームの拡大を成し遂げる。操舵機構はラック&ピニオン式で、ドライバーが正確かつしっかりとした手応えが得られるようにチューニング。また、一部グレードにはパワーアシスト機構を装備した。

 フロントに横置き搭載されるエンジンは、改良版のオールアルミ製直列4気筒OHCのX系ガソリンユニットの4機種、XV8型954cc(45ps)/XW7型1124cc(50ps)/XY7型(60ps)およびXY8型(ツインキャブ仕様、80ps)1360ccと、XUD7型1769cc直列4気筒OHCディーゼル(60ps)を設定する。組み合わせるトランスミッションは4速MTが基本で、XY8型エンジンには5速MTも採用された。

 インテリアは、2420mmというクラストップレベルのロングホイールベースを活かして広いキャビンルームを創出する。インパネには人間工学に基づいてレイアウトしたスイッチ類や視認性に優れるveglia製メーターなどをセット。また、調整幅を拡大させたドライバーズシートや可倒機構を内蔵したリアシートなどを組み込んで利便性を引き上げていた。

高性能バージョン「GTI」のデビュー

 車種展開としてはBase/GL/GR/SR/GTでスタートし、遅れてディーゼル仕様のGLD/GRDを追加した205シリーズは、そのスタイリッシュなフォルムと実用性に富んだインテリア、そして快適な乗り心地などが好評を博し、販売台数を急速に伸ばしていく。自動車専門誌などでは、スタイル的にはやや地味だったプジョーのイメージを払拭する画期的な1台、などと評された。この上昇気流をいっそう高いレベルに押し上げようと、プジョーは矢継ぎ早に205の新バリエーションを市場に放っていく。そのイメージリーダーとなった仕様が、1984年にデビューした高性能モデルのGTIだった。

 205シリーズのスポーツモデルに位置づけられたGTIは、3ドアハッチバックのボディをベースに、ハロゲンドライビングランプを埋め込んだフロントスポイラーやルーフエンドスポイラー、ブラックアウト化したフェンダーおよびBピラー、赤いラインを入れた前後バンパー&幅広サイドプロテクター、スピードライン製5.5J×14アルミホイール+185/60HR14タイヤといった専用アイテムを装備してスポーティ感を強調。また、エアロパーツの効果によってCd値は0.30を実現する。一方でインテリアについては、ブラック&レッドのカラーリングを基調に専用デザインの2本スポークステアリング(当初はプラスチック製で、後に本革巻きに変更)や油温/油圧計などの補助メーター、バケットタイプのフロントシートなどを採用した。

トップスピード190km/h! 鮮烈な速さを誇ったGTI

 205GTIの搭載エンジンは燃料供給装置にボッシュLジェトロニックを組み込んだXU5J型1579cc直列4気筒OHCユニットで、10.2という高圧縮比から105ps/13.7kg・mのパワー&トルクを発生する。トランスミッションには専用ギア比の5速MTをセット。足回りでは、ダンパーの減衰力アップやコイルスプリングのバネレート変更、前後スタビライザーの見直し、フロントブレーキのベンチレーテッドディスク化などを実施する。公表された性能は、最高速度が190km/h、0→100km/h加速が9.5秒に達した。

 GTIの発売と同年には、3ドアハッチバックの量販モデルとなるXEやXLDなどもリリースされる。以後、ベーシック仕様は3ドアが“X”、5ドアが“G”のグレード名を冠することとなった。またこの年、世界ラリー選手権用グループBマシンのベースモデルとなる205ターボ16を発売する。生産台数はホモロゲーション取得のための200台限定だった。

ピニンファリーナ製作のカブリオレを設定

 205が起爆剤となり、1985年にはついに経営の黒字化を果たしたプジョー。その好調さを持続させようとプジョーは、1986年には3台もの205の新バリエーションを市場に放った。
 まずは、イージードライブ仕様となるAUTOMATIC(オートマチック)。トランスミッションはZF製の4速ATで、搭載エンジンには専用セッティングのXU51C型1579cc直列4気筒OHCユニット(80ps)を採用する。エクイップメントは上級仕様に準拠。ボディタイプはデビュー当初が5ドアハッチバックのみの設定で、後に3ドアハッチバックもラインアップした。

 2台目は、カブリオレ仕様のCTおよびCTIだ。開発と製造はカロッツェリア・ピニンファリーナが担当。オープンボディは車体中央にロールバーを設置したうえで各ピラー類やドア回りなどを補強し、2カ所のロック機構を配したソフトトップを架装する。また、リアシート形状を変更してトップ収納時の後部スペースの狭小化を抑制した。搭載エンジンはXY8型(CT)とXU5JA型(CTI)の2機種を用意。XU5JA型は従来のXU5J型のヘッド形状やカムプロフィールなどを変更して最高出力を115psにまで引き上げた新ユニットで、これはGTI1.6にも搭載された。 

 3台目は高性能モデルの最強バージョンとなるGTI1.9だ。搭載エンジンにはXU5JA型のストロークを延長したXU9JA型1904cc直列4気筒OHCユニットを採用。パワー&トルクは130ps/16.8kg・mを発生し、専用ギア比の5速MTを介して206km/hの最高速度を発生する。また、制動機構にはリアディスクブレーキを装備。シューズも6.0J×15アルミホイール+185/55VR15タイヤに換装した。

世界的なベストセラーカーに成長

 205の車種強化は、さらに続く。1987年には搭載エンジンをX系ガソリンユニットの進化版となるTU系のTU9型954cc(45ps)/TU1型1124cc(55ps)/TU3型(65ps)およびTU3S型(85ps)1360ccへと換装。1988年にはインパネデザインの変更などを実施して新鮮味をアップさせるとともに、プライベートのラリーストに向けたTU24型1294cc直列4気筒OHCエンジン(103ps)を搭載するRallye(ラリー)を発売する。さらに1990年になると、XUDT7型1769cc直列4気筒OHCディーゼルターボエンジン(78ps)を採用するDターボをラインアップに加えた。

 205は日本市場においても高い人気を誇った。1986年からオースチン・ローバージャパンの手によって輸入販売を開始。1988年には鈴木自動車工業(現スズキ)を通した販売がスタートし、これに日商岩井自動車販売も加わった。また、505などを輸入していた西武自動車販売も205の販売に参画する。そして、1990年からは日本法人のプジョー・ジャポンが輸入元となった。導入されたモデルはGTIを筆頭にCTIやAUTOMATIC、ベーシックモデルのXSおよびSI(日本専用グレード)など。ラコステやブロンシュといった特別仕様車もリリースされた。

 1990年代に入っても市場の要請に即した改良や車種設定の増強を図っていった205は、最終的に1998年まで販売される。生産台数は527万8300台あまりと、プジョー史上で最大を記録した。Bセグメントにおける世界的なシェアを一気に拡大させるとともに、プジョー車のイメージをスポーティやスタイリッシュへと変化させたエポックメイキング車−−。それが205の名車たる理由なのである。