ジュリエッタ 【1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965】

イタリアの名門を量産車メーカーへと導いた記念碑

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高い技術力を活かした転身、その第一歩

 第2次世界大戦の後処理が続くイタリアは、本格的な復興を目指して自国の産業体制の再構築を画策する。その一環として、新法のもとに官民協調体制を築こうとしたIRI(産業復興公社)は、1948年に機械産業持株会社のフィンメッカニカ(Finmeccanica S.p.A.)を設立した。

 フィンメッカニカの管理下には、イタリア屈指の高性能車製造メーカーも名を連ねる。ミラノに本拠を構えるS.A.アルファロメオだ。同社は社名をアルファロメオS.p.Aに改組。同時に、クルマの開発および生産方針も一新する。戦前に培った高い技術力を維持・活用しながら、高級スポーツカーメーカーから一般ユーザーに歩みを寄せた量産自動車メーカーへと転身を図ろうとしたのだ。戦後の再興をいち早く成し遂げるため、自動車メーカーとして生き残るため、そしてさらなる発展を遂げるためには、この方策をとることが最善だったのである。

 アルファロメオは、戦後型のニューモデルとして1950年に1900シリーズを発表する。開発を主導したのは、1946年から主任設計者の重責に就いていたオラツィオ・サッタ・プリーガだった。1900シリーズは車両価格を抑えるために従来の少量生産車のような最新技術は盛り込まれなかったものの、それでもアルファロメオ車初のモノコックボディや新開発の1306型1884cc直列4気筒DOHCエンジンなどを採用して懸命の高性能化を図っていた。

量産小型車でも高性能なDOHCエンジンを採用

 1900シリーズで量産化をスタートさせる一方、サッタ率いる開発現場ではさらなる量産向けのモデル、具体的には上級小型車“Tipo750”の企画に邁進した。
 新しい量産小型車の基本骨格は、フロアパンを主体としたモノコックで構成する。懸架機構はフロントサスペンションにダブルウィッシュボーン/コイルを、リアサスペンションに左右トレーリングアームでアクスルを吊り、デフ上のA型トルクアームで位置決めするトレーリングアーム/コイルをセット。制動機構は前後ドラム式ブレーキだが、フロントのドラムには外周に深い冷却フィンを設けた。

 搭載エンジンは、アルミ合金製ブロックに2ステージのデュプレックスローラーチェーンで駆動する2本のカムシャフト、そして5個のベアリングで支持するクランクシャフトを組み込んだ新設計の直列4気筒DOHCエンジンを採用する。各気筒当たり吸気1×排気1のバルブは80度の挟み角でセットし、燃焼室は半球形で仕立てた。ボア×ストロークは74.0×75.0mmで、排気量は1290ccに設定。型式は1315を名乗った。組み合わせるトランスミッションはボルグワーナーのシンクロナイザーを内蔵したフルシンクロの4速MTで、ギアボックスケースにはアルミ合金を採用。室内のシフトレバーはコラム式でレイアウトした。

新しい量産小型車はクーペを最初に発表

 基本コンポーネントを完成させた開発陣は、4ドアセダン以外の派生デザインをイタリア国内のカロッツェリアに任せる方針を打ち出す。会社の経営状態や開発体制など、自社で複数のボディタイプを企画するのは困難なことが予想されたからだ。結果としてベーシックなセダンはフェルッツィオ・パラミデッシ率いる社内のデザイン部門が、スポーツ志向のクーペはカロッツェリア・ベルトーネが担当する。米国のインポーターであるマックス・ホフマンの要請により設定することが決まったオープンモデルのスパイダーについては、カロッツェリア・ピニンファリーナとベルトーネのコンペの結果、ピニンファリーナが手がけることになった。

 最初に登場したボディタイプは、最も順調に開発が進んだベルトーネ担当の2ドアクーペだった。1954年開催のトリノ・ショーにおいて、「ジュリエッタ・スプリント」のネーミングを冠して雛壇に上がる。ジュリエッタの車名は、アルファ“ロメオ”とウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』にかけて、ロメオの小さなジュリア=ジュリエッタ(Giulietta)としたものだった。

 ベルトーネの当時のチーフスタイリストであるフランコ・スカリオーネが造形を主導したジュリエッタ・スプリントは、軽快なファストバッククーペのスタイリングを基本に、伝統の盾形グリルと横長の左右グリルを配した端正なフロントマスクや伸びやかなサイドライン、両端を盛り上がらせた瀟洒なリアセクションなどによって存在感を主張する。インパネは楕円カウルのなかに3連丸形メーター(中央に回転計、右側に速度計、左側に水温などのコンビ計を配置)を組み込んだイタリアンスポーツの典型デザインを採用。キャビンルームは2シーターをベースとし、オプションで+2シートを追加することができた。搭載する1315型エンジンは燃料供給装置に2バレルのソレックス35PAIATキャブレター(後に35APAI-Gに換装)を組み合わせ、パワー&トルクは65ps/11.0kg・mを発生。最高速度は165km/hと公表された。

1955年トリノ・ショーで、本命ベルリーナ(セダン)が登場

 スタリッシュなエクステリアに高性能エンジンを備え、しかも車両価格は1900シリーズの3分の2程度というジュリエッタ・スプリントは、たちまち市場から大注目を集める。そして、この人気は1955年開催のトリノ・ショーでワールドプレミアを飾ったセダンボディのベルリーナによって、さらに勢いを増した。
 ノイズ対策などで完成までに時間がかかり、スプリントよりもデビューが遅れた量産ジュリエッタ本命のベルリーナは、実用性の高い3BOXボディに4枚のドア、スペアタイヤを右サイドに置くにもかかわらず十分な容量を確保したトランクルームなどを特長とする。1315型エンジンはシングルバレルのソレックス32BICキャブレターと組み合わされ、7.5に低めた圧縮比から53ps/9.5kg・mのパワー&トルクを絞り出した。

 1955年半ばになると、3つめのバリエーションが市場に放たれる。ピニンファリーナが開発と製造を担当した2シーターオープンのスパイダーだ。ホイールベースはスプリントやベルリーナの2380mmから2200mmへと短縮。そのうえで、先端をやや低めたノーズにキックアップさせたリアサイド、三角窓を排したクリーンなサイドウィンドウ(後に三角窓を設けてフロントガラス面積を縮小)などでスポーティなオープンスタイルを構築する。1315型エンジンはスプリントと同様のセッティング(65ps)を施していた。

高性能版のヴェローチェとTIを設定

 ベルリーナを中心に販売台数を伸ばしたジュリエッタ・シリーズは、その上昇気流をさらに高めようと、1956年から1957年にかけて3ボディの高性能モデルを設定した。まずは1956年デビューのスプリント・ヴェローチェとスパイダー・ヴェローチェ。1315型エンジンにはウェーバー40DCOEキャブレターが2連装され、9.0の高圧縮比から90ps/12.0kg・mのパワー&トルクを発生する。最高速度は180km/hとアナウンスされた。翌1957年にはベルリーナの高性能版となるTI(Turisomo Internazionale)が登場する。1315型エンジンはスプリントと同様のチューニング(65ps)が施され、最高速度は155km/hを発揮した。

 TIがデビューした1957年には、カロッツェリアが手がけた2台のスペシャルなプロトタイプモデルも発表される。ベルトーネが開発したジュリエッタSS(Sprint Speciale)とザガートが製作したジュリエッタSZ(Sprint Zagato)だ。2モデルともアルファロメオから送られたスパイダー用のショートホイールベースのシャシーとチューンアップしたエンジン(生産型の最高出力は100ps)を使用。SSは空力特性を重視した翼形断面のスタイリングで仕立てられ、流麗かつラグジュアリーなGT的ムードを創出する。一方のSZは、空力性能の向上と軽量化を狙ったアルミ製のボディを纏い、純スポーツカー然とした趣を醸し出していた。生産型はSSが1959年、SZが1960年(それまでにSVZなどを少量製造)に登場。シャシーなどの基本コンポーネントは後述のTipo101系を使用し、トータルでの生産台数はSSが1366台、SZが210台を数えた。

Tipo750から進化版のTipo101へと移行

 1950年代後半から始まったイタリアの好景気、いわゆる“Miracolo Economico=奇跡の経済”の勢いに呼応して、ジュリエッタ・シリーズは順調に生産を拡大していく。一方で開発現場では、1960年代に向けたジュリエッタのさらなる進化を画策。1959年モデルで大がかりなマイナーチェンジを敢行した。

 コードネームをTipo750からTipo101に変更した進化版ジュリエッタの変更内容は多岐に渡る。ますエンジンはクランケース長とクランクシャフト長、バルブガイド長を延長したうえで、アルミ合金ヘッドの肉厚アップやカムシャフトなどの改良を実施して耐久性を向上させた001系に換装する。セッティングなども大幅に見直し、スプリント/スパイダーの最高出力は80psにアップした。また、4速MTはより静かで信頼性の高いポルシェタイプのボークリンクシンクロに変更し、標準のベルリーナを除いて操作機構をフロアタイプに改める。さらに、スパイダーのホイールベースの延長(+50mmの2250mm)や全モデルのフロントマスクの刷新、リアコンビネーションランプの大型化、内装アレンジの変更などを行った。
 ジュリエッタ・シリーズは1961年にもマイナーチェンジを実施する。主な変更項目はグリルデザインの刷新やインテリア装備の充実化、ベルリーナ系の出力アップ(標準モデルが62ps、T.I.が74ps)など。とくに販売台数の多いベルリーナの改良は、ユーザーから大いに歓迎された。

 1962年になると、Tipo105のコードナンバーを冠したジュリエッタの実質的な後継モデルがデビューする。市場の上級化志向に即してエンジン排気量を1570ccへと拡大し、内外装の演出をより近代化した「ジュリア(Giulia)」が発表されたのだ。以後、ジュリエッタ・シリーズは徐々にラインアップを縮小。1965年には生産を中止する。Tipo750/101系トータルの生産台数は1900シリーズの9倍強となる約19万5000台にのぼった。アルファロメオの視点で見ると本格的な量産車メーカーへと躍進させた記念車、一方で自動車の歴史で位置づけるとDOHCという高性能エンジンを量産大衆車のレベルにまで拡大させたエポックメイキング車−−。ジュリエッタは間違いなく世界を代表する名車の1台である。