名勝負/スカイラインR32GT-R 【1990,1991,1992,1993】
最強マシン!全日本ツーリングカー選手権29連勝
1989年、16年の歳月を経て甦ったR32型スカイラインGT-Rは、開発段階からグループAレースでの勝利を意識した生粋のサラブレッドだった。600ps以上を可能にする2.6LのDOHC24Vツインターボ・エンジン、ハイパワーを余すことなく伝える電子制御4WDシステム、冷却性能を重視したフロントの造形、有効なダウンフォースを生む大型リアウィング、そしてワイドホイールの装着を可能にした精悍なブリスターフェンダー……すべてがグループAの車両規定のなかで最高のパフォーマンスを生むための配慮だった。GT-Rの“R”はまさにRacingを意味し、勝つことにすべての照準が合わされていたのである。
1990年シーズン、スカイラインGT-RはいよいよグループAに参戦する。開幕戦となった山口県美祢の西日本サーキットには4万1000人もの観客が詰めかけた。新生GT-Rの復帰の瞬間に立ち会うためである。挑戦するのはカルソニックスカイライン(星野一義/鈴木利男選手組)と、リーボックスカイライン(長谷見昌弘/A・オロフソン選手組)の2台。予選はカルソニックがポールポジションを獲得する。昨年までのグループAの王者、フォード・シエラRS500よりも1.8秒も速いタイムを叩き出したのだ。1.8秒の差は1周で約70m近い差が生じることを意味していた。予選2位もシエラRSに1.2秒の差をつけてリーボックが入る。予選からGT-Rの高いポテンシャルは際立っていた。
レースはGT-Rの圧勝だった。スタートの1周で2台のGT-RはシエラRSに約1秒の差をつけ、その後もリードを拡大。とくにカルソニックの速さは驚異的でレースの4分の1を経過するころには、もう1台のGT-Rであるリーボックを除きすべてのマシンを周回遅れにしてしまったのだ。
レース終盤、リーボックにトランスミッション・トラブルが発生しペースがやや遅くなったものの、トップのカルソニックは最後まで独走体制を崩さず見事に優勝。2位にもリーボックが食い込んだ。ちなみに3位のシエラRSはカルソニックに2周以上の差をつけられていた。グループAの王者は、シエラRSからスカイラインGT-Rに完全に切り替わったのである。
GT-Rは2戦以降も圧倒的な速さを見せつけ全6戦中、5戦でカルソニックが優勝。リーボックも3戦の鈴鹿で一矢を報い優勝を飾る。1990年シーズンのグループAレースの優勝はすべてGT-R。GT-R快進撃はここにスタートした。
1991年は、GT-Rの参戦が大幅に増える。開幕戦は4台だったが最終的には7台のGT-Rが覇を競った。2年目のGT-Rは速さよりむしろ耐久性の向上を目指したリファインが施されていた。すでに圧倒的な速さを身に付けていただけに、残る課題はその速さをいかに安定して発揮するかだけだったからである。
1991年も、カルソニックとリーボックの強さは群を抜いていた。開幕戦はカルソニック、リーボックの1-2体制で終え、カルソニックがまさかのサスペンション・トラブルでリタイヤを喫した第2戦はリーボックが優勝。リーボックは第3戦、第5戦でも優勝を飾る。一方カルソニックも第4戦と第6戦で優勝を飾り、リーボックと同様に3勝を挙げた。年間チャンピオンに輝いたのはリーボック。カルソニックと優勝回数は同じだったものも、カルソニックに優勝を譲ったレースでも2/2/4位と健闘したのがプラスに働いた。
リーボック、カルソニックともにメインドライバーである長谷見昌弘選手、星野一義選手は、かつて日産ワークスチームに在籍し第1期スカイラインGT-R黄金時代を支えた勇者だった。彼らが再び築いたGT-Rの第2期黄金時代である。マニアの熱狂は格別だった。
そして3年目の1992年。グループAレースは、完全にGT-RとGT-Rの戦いの場に変化した。しかも長谷見、星野選手に加え、名手高橋国光選手のGT-Rも優勝争いに加わるようになりマニアの関心は一段と高まった。
ドリキンの異名で知られる土屋圭一選手とコンビを組んだ高橋国光選手のSTPタイサンGT-Rは、緒戦のTIサーキット英田でレース中ファステストタイムをマーク。スポンサーの変更で名称をJECSスカイラインに変えた長谷見選手、カルソニックの星野選手らと死闘を演じた。最終的に優勝を勝ち取ったのは長谷見選手だったが、高橋選手、星野選手のGT-R同志のバトルは見ごたえたっぷりだった。
1992年もGT-Rは連勝記録を順調に伸ばす。しかしカルソニック、リーボックの2強が実力で秀でていた前年までと様相が異なり、優勝マシンはレースごとに変わった。第2戦は共石スカイライン、第3戦はカルソニックがシーズン初優勝を飾ったものの、第4戦はAXIAトランピオが優勝。GT-R同志の下克上ともいえる壮絶なバトルがレースごとに展開されるようになった。シリーズチャンピオンはJECSスカイラインが獲得したものの、年間2位には新進気鋭のAXIAトランピオ、3位に共石が食い込み、カルソニックはまさかのシリーズ4位に沈んだ。
グループAレースの最後の年となった1993年。戦いはさらに激化する。性能が拮抗した7台がレースごとに優勝を奪い合った。しかし激戦のなかで安定した速さを見せつけたのは前年の雪辱に燃えるカルソニック。第1戦、第5戦、第7戦、第8戦で優勝を飾り、見事に年間チャンピオンに返り咲いたのだ。カルソニックは、第5戦から新車で製作したニューマシンを投入。その効果でシリーズ後半を盛り返した。シーズン中にあえてニューマシンを投入する必要があるほどGT-R同志の戦いは激化していたのである。ちなみに高橋国光選手がドライブするSTPタイサンは第2戦で優勝。JECSは第4戦で優勝を飾った。
1990年から1993年までグループAレースで29連勝を成し遂げたR32型スカイラインGT-R。あまりに速く偉大な存在だっただけにライバルが生まれず、結局グループA自体の終焉を招いた。しかしそれもGT-Rが獲得した勲章のひとつだった。R32GT-Rは、初代のGT-R以上に“負けるとニュースになる”存在だった。いや一度も負けなかったのだから“頂点君臨の王者”そのものだった。