アスカ 【1994,1995,1996,1997】

ホンダ・アコードのOEM供給車となった3代目

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GM主導のワールドカーとして誕生した初代アスカ

 1983年に名車フローリアンの後継として誕生したアスカは、数奇な運命を辿った。初代はGMワールドカーの日本版として誕生。エンジンはいすゞ製だったが、基本デザインや足回りなどのパッケージングは、当時「Jカー」と呼ばれたGM設計のミドルクラスFFモデルと共用していた。アスカはいすゞのフラッグシップモデルであると同時に、当時提携していたGMの世界戦略を担う存在だったのだ。

 初代アスカは、合理的でインターナショナルな個性が評価され一定の成功を収める。しかしJカー全体で見るとGMが期待したほどの販売台数は達成できなかった。GMは、本国アメリカ市場でもJカー(シボレー・キャバリエ、ビュイック・スカイホーク、キャデラック・シマロン、オールズモビル・フィレンツァ)が、乗用車の主力になると期待した。しかし広大なアメリカで使うには、日本の5ナンバー規格に収まるJカーは、いささかコンパクトすぎたのかもしれない。Jカーは、子供の送迎用などのセカンドカーとして愛されたが、ついにGM製乗用車の主役の座に座ることはなかった。

 読みが外れたGMは、開発の主力をよりビッグサイズのモデルにシフトした。その結果Jカーの改良には消極的になる。ワールドカーとしてGM主導で次期モデルを開発することも見送られることになった。この決定はアスカに大きな影響をもたらした。いすゞは1985年に自社開発の2代目FFジェミニを送り出していた。2代目FFジェミニは、ジウジアーロが基本造形を手掛けたスマートなスタイリングを持ち、いすゞらしいお洒落なモデルとしてスマッシュヒットを記録する。しかし乗用車よりも商用車が主力のいすゞにとって、ジェミニに続きアスカも自社で開発するのは難しかった。資金的にも販売面でもそれを支える企業としての基礎体力はなかった。

2代目はスバル・レガシィのOEM車として登場

 初代アスカは幾度かのマイナーチェンジが実施され、商品力をキープする努力が図られた。しかし、ライバル各社が送り出す最新モデルと比較すると、しだいに見劣りするようになる。デビューから5年が経過した1987年頃には、いすゞファンだけが選ぶ「通のクルマ」というイメージになり、販売台数は極端に落ち込んだ。そして1989年春にひっそりと生産を終了する。

 2代目アスカは、初代の生産終了から1年以上が経過した1990年6月に「アスカCX」のネーミングで復活する。2代目はいすゞ設計でも、GM設計のクルマでもなかった。設計はスバル。初代レガシィ・セダンのOEM供給車だった。いすゞは1992年に乗用車の生産から撤退。SUVと商業車の専門メーカーに転身する。しかしそれ以前の1990年に上級サルーンの生産からは、手を引いていたのだ。

パートナーをホンダに替えた3代目

 1994年3月、3代目のアスカが登場する。3代目はネーミングから〝CX“が消え、再び「アスカ」の単独ネームとなる。肝心のモデルはホンダ設計。今度はアコードのOEM供給車だった。本家のホンダ・アコードには多彩なラインアップが用意されていたが、アスカはシンプル。エンジンは排気量1997ccの直列4気筒OHC16Vの電子制御インジェクション仕様(135ps/5700rpm)の1種で、トランスミッションは4速ATのみ。駆動方式はFFだった。グレード展開はベーシック版のLFと充実装備のLJの2タイプで、アコードとの相違点は、実質的にフロントグリルなどの細部にとどまった。ちなみに販売目標台数は年間4000台(月販約333台)に設定された。

 アメリカ市場を重視してワイドな3ナンバーボディ(全長×全幅×全高4675×1760×1410mm)を採用したアコード・ベースの3代目アスカは、広く快適で、走りもよかった。GMの影響でアメリカンイメージが濃くなっていたいすゞにとって、ある意味で理想的なアスカだったかもしれない。しかし、アコードとの差があまりにも乏しかった。そのため、あえてアスカを選ぶユーザーは少数にとどまった。

 1995年9月、アコードのマイナーチェンジに合わせてアスカも改良され、フロントグリル、バンパー、リアランプのデザインをリファイン、室内ではシート地やオーディオ関係の充実化が図られた。しかし改良を受けたにも関わらずこのタイミングで販売目標は、月販150台に改定された。運転席&助手席エアバッグが標準装備となった1996年7月以降は、月販100台まで目標台数が減らされる。販売力が弱いメーカーが、販売力の強いメーカーからOEM供給を受ける場合、差別性をきちんと図り、個性を明確にしないと販売が伸び悩む。アスカの販売状況は、そのことを示していた。単に機能に優れているだけではクルマは売れないのである。