ランサー・エボリューションVIII 【2003】
6速MTとスーパーAYCを採用した第8世代
三菱自動車工業は2000年にダイムラー・クライスラーと提携に関する契約を締結し、経営基盤を安定させることで業績回復を目指した。開発現場では気持ちを新たに新型車の企画に邁進。同社のイメージリーダーの1台となるランサー・エボリューションの全面改良にも鋭意力を注いだ。
2003年1月になると、第8世代のランエボとなる「ランサー・エボリューションⅧ」が市場デビューを果たす。「ドライバーとの関係を、さらに高次元に」というキャッチを冠したランエボⅧは、従来と同様に“速さ”を徹底追求するとともに、あらゆる速度域や路面状況でドライバーとクルマの一体感を高める“走りの質感”の向上にも努めていた。
ボディについては、最小限の重量増で最大の効果が得られる部位に的を絞ったボディ補強を実施する。センターピラー下部のインナーおよびアウター両側のパネルには大型リーンフォースメントを追加し、アッパーとアンダーのボディ結合を強化。また、フロントストラット上部とリアホイールハウス上面および側面へのリーンフォースメントの追加やスポット溶接の増し打ちによってパネル同士の結合も強化する。同時にストラットタワーバー中央部とボディ側の取り付け部分を補強し、サスペンションの剛性を向上させた。
エクステリアの刷新も訴求点だ。フロントマスクはグリルを二分したうえでボンネット先端へとつながる大きな三角形の台座にスリーダイヤの三菱マークを配した、いわゆる“ブーレイ顔”を採用する。ブーレイは2001年より三菱自工のデザイン部門トップに就任していたオリビエ・ブーレイに由来。筆頭株主のダイムラー・クライスラーから移籍してきたブーレイは、三菱車の新しいアイデンティティを構築するために生産車のフロントマスクの統一化を計画し、ランエボにもその造形を取り入れたのだ。
ランエボⅧでは、パフォーマンス向上のためのデザイン変更が随所に施される。フロントバンパーは中央部の開口面積を10%ほど拡大してインタークーラーの冷却効率をアップ。同時にバンパー左右下部の開口部をダクト形状とし、エンジンオイルクーラーの冷却効率を向上させた。さらに、ボディ下部にはベンチュリー&デュフューザー付のフロント大型アンダーカバーを、リア部には水平翼および垂直翼の全面にCFRP(カーボン繊維強化樹脂)を用いたスポイラーを装備。空力と冷却を高次元でバランスさせた。
インテリアについては、オフブラックのモノトーンを基調色にダークチタン調塗装のパネルを効果的に配することでスポーツドライビングにふさわしいコクピットを創出する。また、インパネ上部とシート座面をブルー系カラーでコーディネートしてスペシャル感を強調。さらに、MOMO製本革巻き3本スポークステアリングや270km/hフルスケールスピードメーター、レカロ製フルバケットシートといったスポーツパーツを豊富に盛り込んだ。
搭載エンジンに関しては、進化版の4G63型1997cc直列4気筒DOHC16Vツインスクロールターボを採用する。改良内容は多岐に渡り、ツインスクロールターボチャージャーの過給特性の見直しによるトルクアップ(最大トルク値は従来比+1.0kg・mの40.0kg・m)、トルクアップに対応したウォーターポンプの容量アップとターボチャージャーの水室拡大による冷却性能の向上、アルミ鋳造製ピストンおよび鍛造鋼製コンロッドの採用による耐久信頼性の引き上げ、エンジン本体の軽量化などを実施した。
組み合わせるトランスミッションには、新開発の6速MTとスーパークロスギアの5速MT(RS)をラインアップする。6速MTは発進加速を重視した1速、追越加速とギアの繋がりを重視した2~5速、最高速の向上を狙った6速で設定。また、リバースギアは誤操作を防ぐ目的でプルリングタイプを導入した。
駆動系については、三菱独自のオールホイールコントロールシステムであるACD(Active Center Differential)+AYC(Active Yaw Control)+スポーツABSをいっそう進化させたことがトピックとなる。最大の注目点はデファレンシャル機構をベベルギア式から遊星ギア式に変更したスーパーAYCを採用したことで、これにより後輪左右のトルク移動量を従来のAYC比の約2倍に引き上げて旋回性能とトラクション性能を同時に向上させた。
懸架機構には細部の見直しを図った前マクファーソンストラット式/後マルチリンク式を採用する。装着タイヤはハイグリップコンパウンドと高剛性カーカスを内蔵したアドバンA046の235/45ZR17サイズ。ブレーキ機構にはブレンボ製ベンチレーテッドディスク(F対向4ポットキャリパー/R対向2ポットキャリパー)をセットした。
ランエボⅧは三菱自工のモータースポーツ活動の再編中にデビューしたため、主戦場となる世界ラリー選手権(WRC)の舞台には参戦しなかった。そのぶん新設のMMSPによる時間と手間をかけた、徹底したテストが行われる。つまり、後に登場する新世代WRカーの「ランサーWRC」の実験モデルとして大いに活用されたのだ。WRカーとして新しく生まれ変わるための試金石--それがランエボⅧの真の役割だったのである。
ランサー・エボリューションⅧがデビューした2003年、三菱自動車工業はWRCへの参戦を一時休止する。モータースポーツ活動全般の再構築を図るためだ。再構築の主軸を担ったのは、2002年11月にドイツのトレバーに新設したモータースポーツ統括会社のMMSP(Mitsubishi Motors Motor Sports)GmbH。
2003年夏に正式に組織化されたMMSPは、WRCのほかにCCR(ワールドカップ・クロスカントリーラリー)への参戦やモータースポーツ車両の開発などを事業の骨格に据えた。チーム活動についてはWRCが英国のラグビー、CCRがフランスのボン・ド・ボーに拠点を置き、ドイツのトレバーは両方のプログラムに参戦する出場車両の設計、開発、運営に全責任を負うこととする。また、MMSPは欧州の様々なラリーアートも統合。ラリーアートを通じた一般ユーザーによるモータースポーツ活動の支援やアクセサリー類の管理および販売促進、さらに日本の開発部門(岡崎)との共同作業によるハイパフォーマンスカーの企画なども担った。