コルベット(C4) 【1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997】

世界超一級のスーパースポーツを目指した第4世代

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第4世代の目標は「世界に通用するスポーツカー」

 GMの象徴的な高性能モデルであり、アメリカンスポーツカーの代表格でもあるシボレー・コルベット。第3世代となるC3は1982年モデルをもって生産を終了し、1982年終盤から1983年初頭を次期型の最終テスト期間にあてる。そして、43台ものプロトタイプを費やして入念な車両実験を繰り返し、1983年3月になってついに1984年モデルの第4世代コルベット、通称C4を発表した。

 C3からC4に切り替わるまでのあいだに空白期間が生じたのには理由があった。アメリカ車全体に厳しい排出ガス規制や省燃費化が課せられて十分な開発資金や人員が確保できなかったことに加え、チーフエンジニアおよびデザインディレクターの交代、さらには車両レイアウトの大幅な見直しがあったのだ。C4の企画は1970年代中盤にスタートしていたが、それを牽引したのは2代目に続いてチーフエンジニアに就いたゾーラ・アーカス・ダントフ(Zora Arkus-Duntov)だった。ダントフは次期型コルベットをアメリカ国内だけではなく、「世界に通用するスポーツカー」に仕立てるプランを計画。エンジンの配置は、コンセプトカーのXP-882(1970年発表)やXP895(1972年発表)などでトライしたミッドシップ方式を検討する。欧州製のスーパースポーツに対抗するためには、このレイアウトがベストと判断したのだ。しかし、ダントフは1975年に引退。さらに、長年タッグを組んでいたチーフデザイナーのビル・ミッチェル(William L. "Bill" Mitchell)も1977年にGMを退く。代わってC4プロジェクトのチーフエンジニアの重責に就いたのは、ダントフの下で辣腕を振るっていたデイブ・マクレラン(David R. McLellan)だった。また、チーフデザイナーにはジェリー・パーマー(Jerry P. Palmer)が就任した。

 1970年代後半は前述の排出ガス規制や省燃費化など、高性能を誇るスポーツカーにとっては受難の時代。こんな折に、米国で一定の人気と需要があるコルベットの車両デザインや走りの特性を大胆に変更するわけにはいかない−−そう判断したGMの首脳陣は、従来から好評を博すロングノーズのスタイリングやフロントエンジン・リアドライブの車両レイアウトを引き継ぐ決定を下す。一方、さらなるイメージ向上や拡販を目的に世界レベルのスーパースポーツに仕立てる方針は継続。つまり、マクレランやパーマーには、伝統に則りながら欧州製スポーツカーに対抗できる新型コルベットを開発する旨が必須課題とされたのだ。

新設計のボディ構造に洗練されたデザインを採用

 第4世代のコルベットは、基本骨格に角断面鋼管フレームとモノコック形状のキャビン部を組み合わせた新設計のユニフレーム構造を採用する。当初のボディタイプはクーペのみで、ホイールべースはC3より46mmほど短い2443mmに設定。サスペンションはフロントにショート&ロングアームの不等長ダブルウィッシュボーンを、リアに新設計の5リンクをセットし、アーム類にはアルミ鍛造材、前後の横置きモノリーフスプリングにはグラスファイバー材を用いた。搭載エンジンはL83型の5733cc(350cu.in)・V型8気筒OHVユニット(205hp)で、組み合わせるトランスミッションには2/3/4速にオーバードライブがつく4速MT(通称Doug Nash4+3)と4速ATを設定。操舵機構にはアルミ製パワーステアリングポンプを組み込んだラック&ピニオン式を、制動機構にはアルミ製ブレーキキャリパーを備えた前後ベンチレーテッドディスク式を採用した。

 ボディサイズは全長4483×全幅1803×全高1186mmと、C3よりもショート&ワイド&ロー化される。車重もC3比で150ポンド(約68kg)ほど軽量化。同時にエンジン搭載位置を前軸後部に設定した効果などで、前後重量配分はFRスポーツカーとしては理想的な49:51を実現した。エクステリアに関しては、コルベットの伝統であるロングノーズ&ショートデッキのフォルムを基本に、シャープさを増したボディラインの採用や徹底したフラッシュサーフェス化を実施。空気抵抗係数(Cd値)はC3の0.44から0.34へと向上する。リトラクタブル式のヘッドランプはC3の丸形4灯式から角形2灯式に切り替わり、格納方法には回転式を導入した。全体的には欧州製スポーツカーを彷彿させる、洗練された造形へと変身したC4。このデザインを実現できたのには、GMデザイン部門のディレクターであるチャック・ジョーダン(Charles M.“Chuck”Jordan)の力があったといわれる。

 ジョーダンはヨーロピアンデザインに造詣が深く、これがC4のスタイリングにうまく活かされていたのだ。一方でインテリアについては、航空機のコクピットを思わせる直線基調のインパネにデジタルおよびバーグラフ表示の速度計&回転計、様々な情報を提供するドライバーインフォメーションセンター、サポート性を高めたハイバックタイプのバケットシートを採用。ルーフにはタルガタイプの脱着機構を内蔵して利便性を高めていた。

1986年モデルでコンバーチブルが登場

 マニアの熱狂的な支持を受け好調な販売スタートを切ったC4。この気運をさらに上向かせようと、開発陣は精力的に中身の改良や車種設定の拡充を図っていった。
 オプションとしては、MT車に設定されたZ51パッケージが注目を集める。ハードタイプのスプリングとブッシュ、デルコとビルシュタインが共同開発したダンパー、P255/50R16サイズのタイヤ(標準はP205/65R15)、クイック化したステアリングギア比(15.5→13.0)、アルミ製のプロペラシャフトおよびドライブシャフトなどで構成したZ51パッケージは、C4のハンドリング性能をさらに高い次元へと引き上げることに成功していた。

 1985年モデルでは、搭載エンジンを350.cuのL98へと換装。チューンドポートインジェクション(TPI)の採用などにより、最高出力は230hpにアップする。また、乗り心地の向上を狙って足回りのソフト化を図った。1986年モデルになると、コンバーチブルが復活する。コクピット周囲やフロア部を補強したオープンボディに、耐候性の高い手動開閉式ソフトトップを組み込んだコンバーチブルは、久々のビッグオープンスポーツカーとして市場から熱い支持を集めた。1987年モデルでは、L98エンジンにローラー式バルブリフターを装備。最高出力は240hpに向上する。また、オプションとして標準とZ51パッケージの中間のセッティングを施すZ52パッケージを設定した。

 1988年モデルになると、フロントブレーキキャリパーの2ピストン化などを行って制動性能を引き上げる。さらに、ファイナルギア比3.07仕様のクーペはL98エンジンの排気系を変更するなどして最高出力を245hpへとアップさせた。そして1989年モデルでは、マニュアルトランスミッションをZF製の6速MTに換装。また、オプションとしてダンパーの減衰力が3段階で任意に切り替えられるセレクティブライド&ハンドリングやコンバーチブル用のFRP製ハードトップなどを新規に設定した。

ハイパフォーマンスモデルのZR-1を設定

 1990年モデルになると、ハイパフォーマンスモデルのZR-1がラインアップに加わる。搭載エンジンはロータス・カーズが開発したアルミ製のシリンダーヘッドとブロックを採用する350cu.in・V型8気筒DOHC32VのLT5ユニットで、燃料供給装置にはマルチポートフューエルインジェクション(MPI)をセット。圧縮比は11.25と高く設定し、最高出力は375hpを発生した。また、通常走行では210hp、センターコンソールに設けたもうひとつのイグニッションを捻るとフルパワーになるというエンジン出力制御機構を内蔵する。エクステリアについては、リアフェンダー部を膨らましたことが注目点。これにより、標準仕様よりも幅広いP315/35ZR17サイズのタイヤが装着でき、有効なトラクション性能を発揮した。また、トランスミッションには専用セッティングの6速MTを採用。サスペンションには可変機構付ダンパーを組み込んだ。一方、ZR-1以外の1990年モデルも改良を受け、可変吸気システムやカムシャフトの変更などによるエンジンの出力アップ(245hp)や内装デザインのリファインを実施した。

 1991年モデルでは外装デザインが刷新され、よりスリークなフォルムに変身する。また、Z51に代わるパッケージオプションとしてアジャスタブルサスペンションなどをセットするZ07パッケージを設定した。1992年モデルになると、搭載エンジンがL98からLT1へと換装される。350cu.in・V型8気筒OHVの形式は変わらないものの、MPIや電子制御イグニッション、新設計の吸排気システムおよびカムシャフトなどを採用し、最高出力は300hpにまで引き上がった。ほかにも、アクセラレーションスリップコントロール(ASR)の設定や装備のグレードアップ等を実施した。

13年に渡るロングセラーモデルに発展

 1993年モデルでは、エンジンのリファインが訴求点となる。LT1はバルブタイミングの変更などによって最大トルクが330ft-lbから340ft-lbへとアップ。LT5はヘッド機構やクランクシャフトの改良などによって最高出力が405hpへと向上する。1994年モデルになると、4速ATに変速時のエンジン制御機構を内蔵。シート表地やトリム類のアレンジも一新される。また、コンバーチブルのソフトトップのリアウィンドウをビニールからガラスに刷新した。1995年モデルでは、外装の一部デザインを変更したことがメインメニュー。同時に、制動機構には大径ディスクブレーキが装着される。また、ZR-1はこのイヤーモデルをもって生産を終了した。

 コルベットは1997年に全面改良して第5世代のC5へと移行したため、1996年モデルがC4の最終イヤーとなった。この年は6速MT車の搭載エンジンが350cu.inのLT4ユニットに換装されたことが注目点で、最高出力は330hpにまで向上した。C4は13年あまりに渡るロングセラーモデルとなり、36万6227台もの生産台数を記録。アメリカンスポーツを世界志向へと成長させた記念碑として、コルベット史に名を刻む名車である。