バイオレット・リベルタ 【1981,1982】

FF化で全面刷新した 3代目モデル

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不人気を脱却するために−−

 ブルーバードUとサニーの狭間を埋めるモデルとして、1973年1月に意気揚々とデビューした710型の初代バイオレット。しかし、デザイナーが思いを込めて描いた曲線基調のスタイリングは「アクが強い」と不評を買い、結果的に販売成績は伸び悩む。この反省を踏まえ、1977年5月には直線基調のルックスに仕上げたA10型2代目バイオレットを発表するが、今度は凡庸なメカニズムが災いして、ユーザーの大注目を集めるまでには至らなかった。
 3度目は失敗できない−−。開発陣は大きなプレッシャーのなか、3代目の企画を練っていく。メカニズム面では、広い室内空間を確保できるフロントエンジン&フロントドライブ(FF)を導入する決断を下した。このレイアウトに合わせてシャシーも新設計し、足回りは四輪ストラットの独立懸架を採用する。内外装にも力を入れ、80年代のモデルにふさわしい上質なインテリアとクリーンで洗練された欧州調のエクステリアを構築した。

サブネームをつけて登場

 1981年6月、3代目となるT11型バイオレットが市場デビューを果たす。同時に兄弟車のオースターとスタンザも新型に切り替わった。3モデルともFFという新しいメカニズムを採用した先進性を強調するために車名にサブネームを付け、バイオレットはリベルタ、オースターはJX、スタンザはFXを冠していた。
 バイオレット・リベルタの車種ラインアップは、4ドアセダンと5ドアハッチバックの2ボディーに、CA16型1.6L・OHCとCA18型1.8L・OHC、そしてインジェクションを組み込んだCA18E型1.8L・OHCの3機種の新世代エンジンを搭載する。組み合わせるミッションは5速と4速のMT、さらにニッサンマチックと呼ぶ3速ATを設定した。
 FF方式に転換した効果は、室内空間に最もよく表れていた。ライバル車を大きく凌いだうえに、同社のセドリック/グロリア並みの広々としたスペースを確保していたのである。しかも、内装の仕立ては非常に上質だった。

時代の先を行きすぎた!?

 開発陣が精魂込めて開発した3代目バイオレット。しかし、販売成績は初代や2代目と同様に不調だった。
 当時の営業マンに話を聞くと、「ブルーバードの影響が大きかった」という。バイオレット・リベルタは日産系のディーラーで販売されたが、当時の同店には910型ブルーバード(6代目。1979年11月デビュー)という中核車があった。1.6Lから2Lまでのエンジン排気量が選べ、しかも同排気量で比べると価格帯はバイオレット・リベルタより数万円高いだけ……。もちろん、車格はブルーバードのほうがワンランク上だった。

 四輪ストラットの足回りによる走りや広い室内空間は高く評価されたものの、結局バイオレット・リベルタはブルーバードの影に隠れた中途半端な存在となってしまう。そのため、デビューから1年あまりで生産は中止。代わって同社のパルサー・サルーン(4ドアセダン)をベースにした日産店向けの「リベルタ・ビラ」が実質的な後継車として発売される。車格は見た目も価格帯もブルーバードの下で、エンジンは1.5L(E15/E15E型)だけに絞られていた。
 日産の車種拡大の狭間で生まれ、その波に飲まれていったバイオレット。車名は“すみれ”の意だが、その花言葉通りに「謙虚」すぎたクルマだったのかもしれない。