バラード 【1980,1981,1982,1983】

ベルノ店で販売したスタイリッシュセダン

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ユーザーの多様化に則した販売網の構築

 1970年代中盤の排出ガス規制をいち早く乗り越えた本田技研は、従来からの課題だった販売網の拡大に着手する。ユーザーのニーズが多様化し始めたこと、それに伴う車種展開の拡大などが、新ディーラー網構築の狙いだった。さらに当時のホンダのスタッフはこう振り返る。
「ホンダといえば、今も昔もモータースポーツのイメージが強い。それに直結するようなスポーティで、若々しいディーラーを作りたかった」
 1978年、新販売店のホンダベルノ店が設立される。イメージカラーは若々しさを狙った鮮やかなグリーン。看板にはグリーン地に“VERNO”の文字が大きく白抜きされた。

 ベルノ店の店舗に最初に展示されたニューモデルは、ホンダ初のスペシャルティカーとなるプレリュードだった。2ドアクーペのスタイリッシュなボディは、新ディーラーのイメージにとてもよくマッチしていた。さらに1980年2月にはシビックとアコードの中間に位置する5ドアハッチバックのクイントがベルノ店の専売車種として登場。そしてその6カ月後には、4ドアセダンボディのバラードがデビューを果たす。

ベルノ店向けの大衆車の登場

 バラードはベルノ店にとって、初の大衆車といえるモデルだった。当時の大衆車といえば4ドアセダンが一般的。ディーラーの販売台数や集客を伸ばすためには、4ドアセダンが必要だったのである。
 バラードのシャシーは2代目シビック、通称スーパー・シビックから流用された。つまりシビックの4ドアセダン(バラードの登場から16日後にデビュー)と兄弟車になるわけだが、ボディの外板や内装などは別仕立てだった。バラードのほうがより上級で、スタイリッシュなイメージを持たせていたのだ。

 エクステリアはウエッジラインをもとに、長めのノーズとワイド&ローの台形スタイルでスポーティ感を構築したのが特徴。シビックの丸目に対して角目のヘッドライトを採用したこともアクセントとして利いている。内装はコクピット感覚でスイッチ類を集中配置したインパネ、フルトリムのドアライニング、一体式のフロアカーペットなどで上質感を演出した。エンジンはEM型1.5L(80ps/FXT85ps)とEJ型1.3L(72ps)の2機種を用意。進化版のCVCC-Ⅱも組み込んでいる。

苦心したバラードのイメージアップ

 大きな期待をかけられてデビューしたバラードだったが、販売成績はそれほど奮わなかった。同クラスのライバルが多かったこと、そしてホンダ・ファンの目がどうしてもシビックに集まりがちだった点が、人気薄の要因だった。
 テコ入れ策として、開発スタッフは81年10月に小変更を実施。フロントグリルの中央に“H”マークを配するなど、ルックスのイメージアップを図る。さらに1982年9月にはマーナーチェンジを実施して、魅力度を高めた。