アコード 【1989,1990,1991,1992,1993】

多彩なバリエーションを誇った国際派

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新販売戦略の中核となった4代目

 バブル景気の絶頂期となる1980年終盤、本田技研は4代目となる次期型アコードの開発に邁進していた。モデルチェンジごとに車種ラインアップを増やしてきたアコードだが、4代目ではさらなる拡大展開を実施する決定がなされる。具体的には車種を2系統に分け、4気筒エンジンを搭載するセダン版のアコード/アスコット、縦置き5気筒エンジンを採用する上級ハードトップ版のアコード・インスパイア/ビガーを企画した。販売ディーラーはアコードとアコード・インスパイアがクリオ店、アスコットがプリモ店、ビガーがベルノ店の扱いとする。3つの販売網に満遍なくアコード・シリーズを設定し、トータルで市場シェアの拡大を狙った。
 主力車種となるアコードに関しては、“ワールドカー”にふさわしい先進性とホンダならではの走りの爽快感をテーマに掲げて開発する。ボディサイズは従来比で全長を115mm、全高を35mm、ホイールベースを120mm延長して広い居住空間を確保。さらにフロントウインドウ下端を従来型より150mm前進させて、乗員の広角視界と開放感を実現した。

 走りの中心となるエンジンは、F型系を新開発する。最大の特徴は16バルブ+ビッグボアという設計で、16バルブに関してはDOHCヘッドだけではなくOHCにも1気筒当たり4バルブを採用。ボア径については2L・DOHCが従来の81mmから85mmへ、2L・OHCが同82.7mmから85mmへ、1.8L・OHCが同80mmから85mmへと拡大した。また2L・DOHCには可変式デュアルインテークマニホールドや4-2-1-2のエキゾーストシステムを導入し、吸排気の両面で高性能化を達成する。吸気特性の向上に貢献するエンジン後傾マウント(10度)も新設計した。

キャッチフレーズは「90's ACCORD」

 渾身の新メカニズムを満載した4代目アコードは、1989年9月に市場デビューを果たす。グレード展開は2L・DOHCエンジンを搭載する2.0Siを筆頭に、2L・OHC+PGM-FIを採用する2.0EXL-i、2L・OHC+PGM-CARB(電子制御キャブレターシステム)の2.0EXL、1.8L・OHC+PGM-CARBを積むEXL/EX/EFを用意。CMや雑誌広告に冠したキャッチコピーは「90's ACCORD」で、1990年代に向けた先進のワールドカーに仕上げた事実を声高に主張していた。
 大きな期待を込めて市場に送り出された4代目アコード。しかし、ユーザーの注目度はシリーズ全体を通して予想外に低かった。バブル景気の絶頂期の中ではライバルメーカーがリリースするハイソカー群の影に隠れ、バブル崩壊後の1990年代初頭ではレクリエーショナルビークル=RVに人気を奪われてしまったのである。

ワゴンとクーペの追加

 アコード・シリーズの市場シェアを拡大しようと、本田技研は様々な作戦を繰り出す。1990年3月には2代目となる米国産のアコード・クーペを日本で発売。1991年4月にはこれまた米国産となるアコード・ワゴンを日本に上陸させる。1991年7月にはマイナーチェンジを実施し、2.0Si-Tグレードの追加や安全装備の拡充などを敢行した。さらに、1992年3月には英国産の4ドアハードトップ仕様をアスコット・イノーバの名でリリースする。
 ボディバリエーションを一気に拡大し、ユーザーの多様化に対応しようとしたアコード。しかしワゴンを除くと販売成績は振るわず、そのうちに会社自体の経営悪化が深刻化し始めた。結果的に本田技研は人気のRVに開発資金と人員を注力するようになり、アコードに関しては比較的好調な販売成績を記録する北米市場に的を絞ったクルマ造りを実践するようになるのである。