ギャランΣ 【1980,1981,1982,1983】
キープコンセプトで登場した2代目
1980年4月、三菱自工はギャランΣをフルモデルチェンジし2代目を登場させた。新型の話題はメカニズムの刷新だった。とくに走りのポイントとなるエンジンについては、高性能・低燃費をテーマに徹底的にテコ入れする。フラッグシップのG63B型2Lユニット“アストロン”を110psにまでパワーアップ。G62B型1.8Lの“シリウス”も100psを発生させる。4D55型2.3Lディーゼルに関しては、NAのほかに同社初のターボチャージャー付きを開発した。一方、駆動方式は様々な検討がなされた結果、信頼性や走行性能を重視してフロントエンジン&リアドライブを踏襲することに決定する。
スタイリングについては、好評だった従来型の直線基調を踏襲しながら、スラントノーズを組み込んだ空力フォルムを構築した。さらにボディの大型化も実施し、室内空間の拡大と衝突安全性の向上を図る。サスペンションに関しては、上級グレードのリアに独立懸架のストラット式を採用した。
ギャランΣとしては2代目、初代ギャランから数えると4代目に当たる新型は、“三菱初”の機構を満載していた。前述したターボチャージャーのほかにも、電子制御式燃料噴射装置やドライブコンピュータ(VELNAS)を設定。内装の装備群も凝っており、後席パワーリクライニングシートやボックス型リアスピーカー、専用レザーシートを用意する。
市販デビューから半年ほどが経過した1980年10月、高性能化の真打ちといえるモデルが登場する。G63B型ガソリンエンジンにターボチャージャーの過給器を加えて145psにまで出力アップした2000GSRターボがデビューしたのだ。四輪独立懸架の足回りとブレーキは強化タイプで、ミッションのギア比も専用設定。内外装も他グレードと差別化してスポーティに仕上げる。翌1981年4月にはOD付きのAT車もラインアップに加えた。
メカニズムを一新し、車種ラインアップも充実させた2代目ギャランΣ。しかし、メーカーの予想に反して初代モデルほどの人気は得られなかった。
その原因は、時代背景にあるといえた。初代ギャランΣがデビューした1970年代中盤は他メーカーが排出ガス規制の対策に苦心惨憺していた時代で、まっさらな新型車の開発に予算と人員を割けなかった。一方の三菱自工は、クライスラー社との資本提携によって比較的予算に余裕があった。ライバルメーカーがインパクトのある新型車を出せないときに登場したギャランΣ。しかもこの時期に新販売網のカープラザ店までも設けて、販売シェアの拡大を図る--。こうした背景が、初代Σをヒット作に成長させた。
2代目Σがデビューした1980年代初頭は、ライバルメーカーも新型車の開発に豊富な予算と人員を当てていた。その結果、キープコンセプトの2代目は魅力的な競合車のなかに埋没してしまったのである。
三菱自工の開発陣は打開策として、2代目Σの細かな改良や車種展開の変更を図っていく。1981年11月にはマイナーチェンジを実施して“ブラックテール”の後期型に移行。同時にターボモデルの設定も拡大させる。1982年10月には1.8Lモデルにターボ仕様とGLサルーンADを追加した。