クロノス 【1991,1992,1993,1994】

ワイドボディを採用したミドルクラスセダン

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新しいミドルクラスセダン像を目指して

 後にバブルといわれる好景気を謳歌していた1980年代末の日本の自動車業界。主要メーカーは豊富な資金を背景に、新型車の開発を積極的に押し進める。
 FFファミリアの大ヒットなどで上昇気流に乗っていたマツダは、国内第3位の地位を確かなものとし、さらに上位のトヨタと日産に迫るための大きな賭けに打って出る。販売網の大規模な増強だ。目指したのはトヨタが展開していた5チャンネル体制の構築で、そのための車種ラインアップの拡大も積極的に押し進めた。同時に既存車種の見直しも実施し、とくにミドルクラスの中核車であるカペラに関しては、市場の要求に則した“上級化”が必須課題となった。

 当時のGD型系カペラの後継車を企画するにあたり、マツダの開発陣は5ナンバーサイズのボディにこだわらず、徹底した上級化を志向するために3ナンバーボディへの移行を決断する。基本プラットフォームは新たにGE型を開発した。エンジンについてはK型系2.0L/1.8L・V6ユニットをFF用とし、フルタイム4WDにはFSDE型2.0L直4DOHCエンジンを搭載。さらに、GD型系カペラで好評だったRF型2.0L直4ディーゼル+PWS(プレッシャー・ウエーブ・スーパーチャージャー)も設定する。ミッションに関しては自社内で電子制御式4速ATを新開発し、上級モデルらしいスムーズな走りを目指した。さらにサスペンションにも工夫を凝らし、リア側にはトーコントロール機能付きのマルチリンク式を採用する。

豊富なバリエーション展開

 マツダの新しいミドルクラス車は、1991年11月に市場デビューを果たす。車名はカペラではなく、新ネーミングの“クロノス”と名乗った。ちなみにクロノスのボディタイプは4ドアセダンだけだったため、売れ筋モデルであるカペラのカーゴ(5ドアワゴン)だけは併売された。
 クロノスは当初の予定通り、3ナンバーサイズ(全幅1770mm)のボディとV6エンジンの搭載をアピールポイントに据え、広告コピーでは「V6 WIDE&COMFORT」と冠する。また内外装に関しては、滑らかな曲線を基調にして上質な雰囲気に仕上げた。
 大きな期待を込めて市場に放たれたクロノス。しかし、販売成績は振るわなかった。ユーザーの目がレクリエーショナル・ビークル(RV)に移っていた、端正なルックスに仕上がっていたものの個性や押し出しが弱かった、クーペ風に絞り込んだキャビンの演出によって室内空間自体はそれほど広くなかった、V6エンジンの割には回転フィールのスムーズさに欠けたーー。要因は色々と挙げられた。

カペラの復活とともに--

 開発陣は販売成績の伸長を目指して、クロノスに様々な改良を加える。1992年5月にはKLZE型2.5L・V6エンジンを積む最上級モデルのグランツーリスモ・シリーズを設定。1994年10月にはマイナーチェンジを実施し、内外装の意匠変更のほか、4W-ABSを全車に標準装備した。
 地道な改良を続けたクロノス。しかし、販売成績は回復せずに低調に推移する。この原因には、5チャンネル化した販売網でマツダの車種が一気に増え、クロノスの存在感が薄くならざるをえなかったという背景もあった。
 結果的にマツダはクロノスをミドルクラスの中核車に据えることを止め、1994年8月にはCG型プラットフォームを使った新しいミドルサルーンをデビューさせる。その新型は5ナンバーサイズでネーミングも“カペラ”の名を復活させた。一方のクロノスは1995年一杯まで販売が続けられ、その後モデルチェンジすることもなくカタログから消滅することになったのである。