サニー1000DX 【1966,1967,1978,1969】
大衆車時代を切り開いたフレッシュモデル
1966年4月、安価な新型ファミリーカーとして日産からダットサン・サニーが発表された。車名であるサニー(SUNNY)は、一般公募により決められた。全国からの応募数はおよそ850万通に達し、関心の高さを示していた。ちなみに、サニーとは陽気で行動的なイメージ、太陽がいっぱいという意味を込めた造語だった。発表時の価格はデラックス仕様が46万円、スタンダード仕様が41万円。これは軽自動車の上級グレードと同等の低価格であった。
サニー1000のような低価格ファミリーカー(=大衆車)が登場するようになったのは、日本が未曾有の好景気の時代に突入し所得が向上したことが大きな理由であった。耐乏型の軽自動車ではなく、たとえ小型でも良いから本格的な乗用車を望むオーナードライバーが爆発的な増加を見せ始めていたのである。いわゆる“モータリーゼーション”の到来である。このクラスはトヨタ・パブリカやダイハツ・コンパーノ、マツダ・ファミリアなど幾つかのパイオニアは存在していたが、市場はほとんど空白状態にあった。日産がブルーバードの下のカテゴリーに位置する新しい1リッタークラスの乗用車をデビューさせた狙いはその市場獲得にあった。
新型サニーは、全ての点でフレッシュで、しかも徹底した軽量化が図られていた。エンジンやトランスミッションは、ブルーバード・シリーズの流れを汲む信頼性優先設計。エンジンは新設計の水冷直列4気筒OHVで、排気量は988cc、一基のツインバレル・キャブレターを装備して56ps/6000rpmの最高出力を発揮する。車重がデラックス仕様で645kgと軽かったから、最高速度は135km/h、0→400m加速21.6秒(3速コラムシフト仕様)と十分なレベルにあった。
シンプルなスタイリングは、日産の社内スタッフに依るもの。直線と平面を多用したスタイリング・デザインは、クリーンかつフレッシュなもので、小型車の規範となるものである。ボディサイズは全長3800mm、全幅1445mm、全高1345mm、そしてホイールベースが2280mm。当初のボディバリェーションは2ドア・ノッチバックの5人乗りセダン(当初は2ドアのみ1967年4月に4ドアを追加)と商業車のバンの2種だったが、1968年3月に、ライバルのトヨタ・カローラ・スプリンター・のライバルとなる2ドアクーペがラインアップされた。
サニー1000は日本に本格モータリーゼーションをもたらした立役者だった。従来はステータスシンボルであり、夢の象徴だった乗用車を、一般大衆のものへと裾野を広げた。販売手法も斬新だった。その一例が“1家に1台”をイメージした専用カタログの製作である。
サニーは通常のスペックやスタイリングを紹介するカタログとは別に、ファミリーカー時代の到来を説明するカタログを作成する。そのターゲットは女性。冒頭の説明コピーでは「我国にもいよいよ“1家1台”時代がやってまいりました。クルマと女性、サニーと貴女、今年は、お宅でもサニー1000のある優雅な生活をご検討なさっては、いかがでしょうか。」と謳い、サニーの運転の容易さ、経済性、クルマがもたらす生活の広がりを積極的にアピールした。ビジュアルには女性ドライバーを積極的に使用し、ご主人を駅まで、あるいは子供を幼稚園に送り届けるシーンを掲載していたのも特徴だった。日産はブルーバードなどに女性仕様のファンシーデラックスを設定するなど、早くから女性ユーザーの需要性を認識していたが、サニーではさらに一歩踏み込んだ展開を実施していた。