レンジローバー 【1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996】

ランドローバーの上級バージョンとして開発された“魔法の絨毯”



BL傘下のローバー社は1970年6月、
英国南西部にあるミュードン・ホテルにて
まったく新しいランドローバー車を発表する。
従来のランドローバーで培った4WD技術に、
多用途性を考慮した2ドアボディと快適性に富む
キャビンルームを採用したニューモデルは、
「レンジローバー」を名乗り、
その後、世界屈指の高級4WDに成長する。
万能4WD、ランドローバーの誕生

 第2次世界大戦の終結から間もない1945年、イギリスは莫大な戦費や戦災の余波から深刻な経済危機に直面していた。打開策として政府が考案したのは、外貨獲得のための輸出政策の推進。その流れは自動車産業に波及し、輸出向けのクルマを造るメーカーに鉄鋼などの資材を多く割り当てる旨を決定した。

それまでは国内向けの中型サルーンなどを中心に製造していた英国自動車メーカーの老舗のひとつであるローバー社は、この政府方針に危機感を覚え、早急に輸出に適した新しいクルマの開発をスタートさせる。目指したのは、アメリカ製のジープに範をとった万能タイプの4輪駆動車。発案したのはローバー社の技術部長の任に就いてたモーリス・ウィルクスで、その案を受けて企画を推し進めたのが同社の重役でありモーリスの兄でもあるスペンサー・ウィルクスだった。

 強固なラダーフレームおよびシャシーのうえに機能的なアルミ製オープンボディを架装し、パートタイム4WDの駆動機構を組み込んだニューモデルは、「ランドローバー」の車名をつけて1948年4月開催のアムステルダム・ショーで初披露される。“Go anywhere vehicle(どこにでも行けるクルマ)”などとマスコミ界で称賛されたランドローバーは同年7月より販売が開始され、各国から多くの注文が舞い込む。メーカー側もこの人気に応えるように、車種の拡充や機構の改良などを相次いで実施。結果として、ランドローバーの世界的な販売台数は大きく伸びていった。

乗用4WDの開発、レンジローバーの胎動

 1950年代に入るとイギリス経済は回復軌道に乗り始め、それとともに鋼材の割当制は廃止。また、ほかの資材や工作機械も入手しやすい状況となり、ローバー社はランドローバーに加えてサルーン車の生産も再開した。一方、開発現場からは新たな企画が提案される。ランドローバーの開発で培った技術を活かした乗用タイプのモデルを造れないか−−。この構想は前述のモーリス・ウィルクスの主導のもと、「ロードローバー(道路を動き回るもの)」と名づけた先行開発車によって進展していった。

 当初はサルーンのローバーP4のシャシーを用い、ランドローバー・ベースの改良版ボディを被せてエステートカー風に仕立てたロードローバーは、1952年に最初のプロトタイプが造られ、その後試験を重ねて完成度を高めたシリーズIIが1956年に製作される。新プロジェクトに情熱を燃やす開発陣。一方で販売部門のスタッフは、些か冷やかな視線を投げかけていた。ユーザー層が見えない、採算性に乏しい……。経営陣も販売部門への同調者が多く、結果的に1959年にはプロジェクトの中断が決定された。

開発陣の努力は水泡に帰すかと思われたが、時の情勢がそれを反転させる。1960年代になるとイギリスの経済不振や社会保障負担などが深刻化。いわゆる“英国病”に対して、政府は産業構造の見直しなどを画策するようになった。

この状況に再び危機感を募らせたローバー社は、販売台数が伸ばせる新たなモデルの設定を計画。開発コストや期間を鑑み、技術的な蓄積のあるロードローバーを新型車のベースとすることとした。

多用途性に優れる内外装の創出と高度なメカニズム

 ロードローバーの新プロジェクトは、1965年より本格的に開始される。総責任者の任に就いたのは、ガスタービンエンジンなどの先行技術やサルーン車のP6の開発に従事した名エンジニアのチャールズ・スペンサー(スペン)・キングだった。

スペン・キングは実務派の設計者であるゴードン・バシュフォードや造形能力に優れるデザイナーのデビッド・バッシュ、駆動系のスペシャリストであるジェフ・ミラーといった社内の有能なスタッフをプロジェクトチームに引き入れ、自身にとっての万全の体制を構築する。また、マーケティング部門のリーダーであるグラハム・ブランノックから適宜、助言を受けられる環境を整えた。

 スペン・キングは新しいロードローバーの商品コンセプトとして、「すべての道路を快適に走れる4輪駆動車」を掲げる。従来の「オフロードも走破できる乗用車」から方針転換したわけだ。

基本的な仕様書が出来上がったのは1966年。この翌年にはローバー社が大手のレイランド・モーターズ社に買収されるが、レイランドの首脳陣たちは新ロードローバーに興味を示し、またスペン・キングの巧みな口説きもあって、プロジェクトは続行された。

そして同年半ばには最初のプロトタイプ、通称“コンセプト・オイスター”が完成。各種テストはいっそうの進展を見せるようになった。しかし、1968年になると開発チームに衝撃が走る。

スペン・キングの能力を高く評価したレイランド社の会長が、彼を傘下のトライアンフの開発リーダーに任命したのだ。驚きの人事異動によりスペン・キングはロードローバー・プロジェクトから外れ、代わってバシュフォードが実質的な指揮を執ることとなった。

新4WDはパワフルなV8ユニット搭載

 時を経るに従って、ロードローバーは完成度を高めていく。フレームは頑強なボックスセクションに2本のサイドメンバーと5本のクロスメンバーを組み込んで高い剛性と耐久性を確保。鋼板製のボディはゴムブッシュを介して架装し、ここに2枚のアルミ製ドアやフェンダー、上下2分割式のテールゲートなどを取り付けるという、いわゆるスケルトン構造を導入した。

 インテリアについては、機能性を重視しながらクッションの厚いシートや上質なフロアカーペット、有効なベンチレーション機構などを配して乗用車ライクな快適空間に仕立てる。ドライバーがボディの周囲を容易に把握できるように、広い視界を確保した点も特徴だった。

 搭載エンジンは、当初ローバー製の3L直6ユニットの採用を予定していた。しかしパワー不足だったことから、動力源の変更が検討される。最終的に開発陣が選んだのは、GMからライセンス製造権を買い取って生産していたビュイック215ユニットをベースとする3528cc・V8OHVエンジン。シリンダーブロックとヘッドともにアルミ合金材で仕立てた同ユニットは、130hp/5000rpmの最高出力と25.6kg・m/2500rpmの最大トルクを発生した。

組み合わせるミッションは専用セッティングの4速MTで、駆動機構にはセンターデフ式のフルタイム4WDを導入する。サスペンションは前後ともにコイルスプリングによるリジッドアクスル方式で、フロントはリーディングアームとパナールロッドで、リアはトレーリングアームとセンターAアームで位置が決められる。制動機構には2系統ラインで構成する前後ディスクブレーキを装備した。

「レンジローバー」の車名を冠して市場デビュー

 世間ではイギリス議会総選挙が話題となっていた1970年6月、量産型のロードローバーがついに市場デビューを果たす。車名は“範囲”や“山脈”を意味するRANGEと従来からのROVERを組み合わせた「レンジローバー」を名乗った。発表会場はイギリス南西部のコーンウォール半島にあるミュードン・ホテル。当初は同年3月に開催されたジュネーブ・ショーにおいて初披露する予定だったが、最終段階での詰めに時間がかかり、結果として3カ月遅れの発表となった。

 1970年10月に一般販売を開始した最初のレンジローバーは、後にいわれる“高級4×4”ではなく、開発コンセプトに則した“多目的4×4”というイメージで売り込みが展開された。

一方、レンジローバーに即座に注目したのは貴族階級をはじめとする富裕層で、彼らは昼間に農場の視察や狩猟でオフロードを走り回り、夜はドレスアップしてレストランや劇場に乗りつけるという使用パターンを、同車で敢行する。ここからレンジローバーが“お金持ちのクルマ”として認知され、メーカーもこれに応える形でクルマ自体のさらなる高級化を行い、やがて真の高級4×4のイメージが定着していったのである。

ラグジュアリー性を強調しながら進化・発展

 市販に移されたレンジローバーはメーカーが想定した以上の受注を獲得し、また1971年に輸出を開始すると販売の勢いはさらに増していく。1979年にはパワーステアリングの標準装備化やクーラーの設定などを実施。1980年になるとスイスの実業家であるピーター・モンテヴェルディの要請に応えて4ドアモデルを開発し、これを限定で販売する。

レンジローバーの改良は、まだまだ続く。1982年には3速AT車が、翌1983年には5速MT車がデビュー。1984年になると全車の三角窓を省略して左右各1枚ガラスとする。1985年にはATを4速化。翌1986年にはディーゼルエンジン仕様(イタリアのVMモトリ社製2393cc直4ディーゼルターボを採用)をラインアップに加えた。

1987年になると最上級モデルの「VOGUE SE」を設定。また、同年には北米での正式販売も開始し、同市場に合わせて高級路線をいっそう進めた。1988年にはメカニズムを中心とした大改良を敢行する。ガソリンエンジンは排気量が3947ccにまで拡大され、駆動機構は従来のベベルギア式センターデフから差動制限付きのビスカスカップリング式センターデフへと変更。さらに、制動機構にはABSを組み込んだ。1989年にはディーゼルエンジンも2498ccに排気量アップする。

 1990年になると、いよいよ日本での正規輸入が始まる。当初はVOGUE SEのみの販売で、需要が確認されてからは徐々にグレードを増やしていった。4278cc・V8エンジンを積むロングホイールベース版(2740mm)が登場したのは1992年で、日本では“バンデンプラ”のグレード名でリリースされる。またこの年、電子制御エアサスペンションの採用やディーゼルエンジンの変更(自社製の200TDi。2495cc直4ディーゼルターボ)なども行った。

 1994年になると、内外装デザインが近代化され、同時に多くの電子制御機構を組み込んだ第2世代のレンジローバーが登場する。ここで車運が尽きるかに思われた初代モデルだが、熱烈なファンの後押しもあり、初代は「レンジローバー・クラシック」として継続販売された。そして2年ほどが経過した1996年には、2代目が市場で浸透してきたことも踏まえ、クラシックの生産中止が決定される。高級4×4のマーケットを切り開いた記念碑の総生産台数は、31万7615台であった。

COLUMN
クルマでは唯一となる、4つの“ロイヤルワラント”を授かる
 初代レンジローバーのカタログなどでは、表紙や車名の上に4つの紋章が載せられている場合がある。 これは“ロイヤルワラント”、すなわち英国王室御用達を示す証だ。紋章はエリザベス2世女王、エディンバラ公、チャールズ皇太子、エリザベス皇太后(2002年3月にご逝去。後にワラントは取り外される)のもので、この王室関係者は定期的に物品やサービスを納入する企業および個人にロイヤルワラントを授与。ワラント保持社(者)は、各方の紋章を“BY APPOINTMENT”(御用達)の文字とともに表示することができる仕組みだ。 ひとつのワラントを授かるだけでも栄誉なことなのに、ランドローバーではレンジローバーの納入によって4つすべてのワラントを獲得。もちろん、クルマでは唯一無二である。 ちなみに、ロイヤルワラントは1155年にヘンリー2世が織物の職人に初めて授与したことが始まりといわれ、1800年代には2000軒あまりの保持社(者)が出現。1840年には王室と企業の仲介役を担うロイヤルワラント協会も設立された。