コンマース 【1960,1961,1962】

次世代乗用車のメカニズムを先取りしたFF商用車

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先進のクルマ作りに積極的だった日野自動車

 1960年の時点で最も先進的なコマーシャルカーを作っていたのは、現在はトラック専業メーカーとなっている日野自動車だった。日野自動車はフランスのルノー公団と契約を結び、ルノー4CVの国産化を行ったことで有名である。戦前からの歴史を誇る自動車メーカーだけに技術レベルは高かった。1959年末に、現在の目で見ても画期的なワンボックス型のコマーシャルカー、コンマースを発表し、翌1960年2月から販売を開始した。

 ルノー4CVのノックダウン生産で最新のクルマ作りを学んでいた日野自動車だけに、コンマースはルノー4CVのメカニズムを利用したコマーシャルカーと考えるのが自然だ。しかしコンマースの駆動方式は、ルノー4CVのRRとは真逆のFF。しかも先進のモノコックボディ&4輪独立サスペンションを持つ完全な日野オリジナルだった。当時の技術スタッフによるとコンマースは、将来の乗用車にとってRRとFFのどちらの駆動方式が理想的かを知るために製作した実験車の性格が強かったと言う。ルノー4CVで学んだRRの日野オリジナルは、コンテッサというネーミングの4ドアセダンとして1961年にデビューすることが当初から決定されていた。そのためFFの日野オリジナルは、コンテッサとの競合を避けるために乗用車ではなく、あえてワンボックス型のコマーシャルカーとされた。

すべてが先進だったコンマースのメカニズム

 コンマースは商用車という括りではあるものの、その狙いは将来の乗用車の方向性を探ることにあった。生粋なコマーシャルカーとして企画されたのであれば、トラックに転用が楽なようにモノコック式ボディではなく頑丈なフレーム構造としたはずだし、駆動方式もオーソドックスなFRを採用していただろう。それをあえて未知のFFを選び、さらに斬新なメカニズムを満載したのだ。コンマースに投入した先進技術を見るだけでも、重要な使命を帯びたクルマだったことはよく分かる。当時のカタログで「コンマースは乗用車の機構を充分に生かし、時代の要望にそって全く新しく設計製作された、用途の広い万能商用車です」と説明していた。確かに乗用車の機構、それも将来の乗用車の機構を使ったコマーシャルカー、それがコンマースの本質だった。

 コンマースが独創的だったのは、前述の通り時代に先んじたFFレイアウトを採用していたことだった。現在ではFFは最も一般的な駆動方式だが、コンマースが誕生した1959年当時は少数派。日本ではホンダが1972年にシビックでFFを小型車のものとするまでは、軽自動車やスバル1000などの例外はあったものの一般的な方式ではなかった。世界的に見ても同様で、シトロエンを除きFFレイアウトの量産車はごく僅かだった。そんななかでのFFの採用である。コンマースがいかに先進的だったかが理解できる。しかもコンマースはFFというだけでなく、軽量なモノコック式ボディと、ロードホールディング能力に優れた4輪独立式サスペンションまで実現していた。当時は乗用車でも、まだまだトラック派生のシャシーが一般的だった時代である。そんななかでコンマースの先進性は際立っていた。

優れたスペースユーティリティが生んだ多彩なラインアップ

 メカニズムがシンプルなFFの利点を生かし、コンマースのユーティリティは圧倒的と呼べるレベルだった。ラゲッジスペースの床の高さは僅か490mm。しかも余分な出っ張りがほとんどないスクエアで広大な空間を実現していた。ボディサイズは全長3940mm×全幅1690mm×全高1910mmとコンパクトだったが、ひとクラス上のモデルと同等の積載能力を誇ったのである。

 広大な室内スペースは、多彩なバリエーションも生みだした。2名乗り最大積載量500kg積み標準型バンを基本に、折り畳み式の後席を備えた5名乗り300kg積みバン、10名乗りミニバス、11名乗りミニバス、病院車などが選べたのだ。将来の乗用車の技術で構成されたコンマースの場合、荷物を積載するバンよりも、人を運ぶミニバスや病院車のほうがキャラクター的にはぴったりだったようだ。

 パワーユニットは、当初がコンテッサ用ユニットの母胎となる836ccの直列4気筒OHVエンジンで最高出力は28ps/4600rpm。その後1962年に35ps、1963年には40psへとパワーアップされた。トランスミッションはコラムタイプの4速マニュアルが組み合わされていた。

高い信頼性。しかし登り坂での発進に苦戦

 FFレイアウトでは前輪が操舵と駆動の両方を司るため、等速ジョイントの設計が肝になる。コンマースはこの点がよく煮詰められておりトラブルはほとんど発生しなかったという。しかし荷物を満載した状態では、駆動輪である前輪荷重が減るため登り坂での発進が苦手で、とくに雪道では発進が難しいというクレームが数多く寄せられたらしい。

 コンマースの販売は苦戦。1962年11月にひっそりと生産を終了する。しかし、もし日野自動車がトヨタの傘下に入らず、乗用車からの撤退の道を選ばなければ、コンマースの教訓を生かした画期的なFF乗用車が生まれていた可能性が高い。ひょっとしたらシビック以上にアバンギャルドなFFベーシックカーが1960年代に生まれていたかもしれない。