トラック&バスの歴史03 【1970〜1979】

ハイウェイ時代に対応した性能アップ

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“国鉄専用型式”の衝撃

 1963年、尼崎〜栗東間71.1kmの名神高速道路の開通によって、日本も本格的な高速時代を迎える。1965年7月には小牧〜西宮間193.9kmの名神高速道路が全通。関東と関西を結ぶ東名高速道路(東京〜小牧間346.8km)も1969年5月に全通し、高速道路網は日本列島を貫く大動脈となった。

 これにともないバス&トラックの高速化にも拍車がかかる。バスのポテンシャルアップに貢献したのは、国鉄(現JR各社)だった。日本国有鉄道自動車局(国鉄バス)は、東名の全通にともない“東名ハイウェイバス”の運行を計画。その専用車両として各メーカーに“国鉄専用形式”によるバスの開発を依頼した。国鉄はすでに名神高速で高速バスの運行を実施していた。運行車両は国鉄バス開発道(白棚線)でのテスト走行を繰り返して仕様を決定した専用モデルで、採用メーカーは日野と三菱ふそうの2社だった。国鉄は名神高速バスの運用・保守実績から、東名ハイウェイバス用として、さらに高速バスに特化した特別設計の車両導入を決定。国鉄専用型式として各メーカーに1966年に仕様を提示し、開発を依頼したのだ。

基準は最高出力320psオーバー

 国鉄専用型式は、当時のバスの常識を大きく超える性能を要求していた。エンジン出力は自然吸気で320ps以上(当時の標準レベルは230〜280ps)、3速で80km/hまでスムーズに加速可能なギアリングを持ち、高速走行に対応したブレーキ性能(排気ブレーキ4速で100km/hから60km/hが22秒以内)、冷房装置用サブエンジン、チューブレスタイヤ、車内トイレ、高速対応ワイパーなどの装備が求められた。しかも絶対的な高性能だけでなく“30万kmノンオーバーホール”など、高い耐久性も求められた。テスト車は実際に名神高速道路で100km/hでの連続20万km走行試験が実施され、この課題をクリアーすることが前提条件となったという。

 国鉄の厳しい要求に対して日産ディーゼル、日野自動車、三菱ふそう、いすゞの4メーカーが試作に着手する。1969年に27台が採用された日産ディーゼルV8 RA120型は2サイクル8気筒(340ps)の9.9Lエンジンを搭載。車体は富士重工製で、名古屋を中心に昼行便で使用された。一方49台が採用された日野RA900P型は水平対向12気筒(350ps)を搭載しトップスピード141km/hを誇った。ボディは帝国車体製だ。

いすゞ製バスは4輪ディスクブレーキ採用

 62台と最も多くの車両が導入されたのは三菱ふそうB906R型。定評あるV6ユニットを連結したV型12気筒(400ps以上)を搭載し、乗用車以上の高速性能を誇った。車体は日産ディーゼルと同様の富士重工製である。いすゞは残念ながら2台しか採用されなかった。国鉄用にV型8気筒(330ps)ユニットを新開発したものの、国鉄側のテストで320psという提示出力に達していないことが判明、同じく新開発の4輪ディスクブレーキも予想以上にパッドの消耗が激しく、採用が見送られたからだった。しかしゼロヨン加速を23秒台で走り切るなどパフォーマンス自体は優れたものだった。

 国鉄専用型式で得られたノウハウは、通常のバス開発にも生かされ、バス全体のポテンシャルは大きく改善されることになる。ちなみに実際に運行された国鉄高速バスは、乗車記念として乗客がさまざまな車内装備を持ち帰り、パーツの補充に追われたという。灰皿やトイレットペーパーはもとより、シートのリクライニングレバーやシートベルトの金具などまでなくなる例が後を絶たなかった。

トラックの高速化はターボで対応

 バスと同様、トラックも積極的に高速化に対応する。トヨタの“看板方式”に代表される在庫を持たない「ジャスト・イン・システム」浸透もトラック輸送への依存度を一段と高めた。トラックに求められたのは、余裕あるパフォーマンスと、長距離走行でも快適なドライビングを約束する快適なキャビン、そして大量の貨物を一度に運べる大容量化だった。

 パフォーマンスの向上はターボの採用が一般化することで成し遂げられた。日野HG311型高速トラクタは排気量14LのEA100型280psユニットを搭載。フル積載でもトップスピード110km/hを可能にした。ターボの採用は中型クラスにももたらされた。4トンクラスの日産ディーゼルのコンドルGFは170psを発生するED6型エンジンを搭載。取り回し性と高速性能を見事に融合していた。

大型トレーラー形式で多くの荷物を運搬

 快適なキャビンではパワーステアリングやリクライニングシートをはじめ、オーディオにも凝った豪華仕様が登場。さまざまなオプションの装着で自分だけの快適空間を作り上げることが可能となった。大型クラスではキャビン後方に仮眠スペースを設け、車内でのリフレッシュを可能にしていた。

 大容量化はセミトレーラー、フルトレーラー、ダブルトレーラーなど、トレーラー方式の採用で実現する。一度に大量の荷物を運べることで重量当たりの輸送コストも下がるため、荷主にとっても好都合だった。コンテナが船舶輸送の基本パッケージとなってきたこともトレーラー化加速の要因だった。同時に輸送の効率化を図るトレーラーヤードの設置や、荷物載せ替えのための複合ターミナルの建設など、トラック輸送を主軸にした物流トータル・システムの整備も本格的にはじまり、トラック輸送が完全に経済の基盤となったのもこの頃だった。