ホンダ
1990年代

CR-Xデルソル

前衛オープンスポーツに変身
FFライトウエイトスポーツという 新カテゴリーを構築したCR-Xは、 1992年にフルモデルチェンジを実施する。 意気揚々とデビューした新型は、 開閉可能なハードトップを持つ オープンクーペへと一新していた−−。
ホンダ
1980年代

プレリュード

誰もが憧れたスペシャルティカー代表
先駆モデルを象徴する“前奏曲”の車名を纏った ホンダ製スペシャルティカーのプレリュードは、 1982年11月に全面改良を行って2代目に移行する。 “FFスーパーボルテージ”というキャッチを冠し、 ワイド&ローのスポーティかつ瀟洒なスタイルと 先進メカニズムをフルに盛り込んだ第2世代は、 若者層を中心に幅広いユーザーから熱い支持を獲得。 総生産台数60万台以上の大ヒット作に発展した。
ホンダ
1960年代
1970年代

ホンダの歴史2 第二期/1965-1975

“チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
Sシリーズや軽トラックなどで 四輪車への進出を果たしたホンダ技研は、 1960年代半ばからいよいよ大衆車の開発を始める。 最初に手掛けたのは、軽規格の乗用車だった。 その後も魅力的なモデルを次々と発表。 排ガス規制にはいち早く新技術を投入する――。
ホンダ
1950年代
1960年代

ホンダの歴史1 第一期/1946-1964

チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
現在の企業スローガンが、ホンダの本質を表している。 クルマや飛行機など、人間の行動半径を広げ、 生活を豊かにする機械に対して、 限りないロマンを抱き続けた 本田宗一郎の情熱の原点が、“夢の力”であり、 それはそのまま、ホンダを形成した。 栄光の第一歩をご紹介しよう。
ホンダ
1980年代
1990年代

インテグラ

上級感も携えた初のVTECモデル
シビックとアコードとの間を埋める モデルとして登場したクイントから9年。 インテグラの名を冠する車種としては 2世代目となったモデルは、 上級な仕様へと進化して登場。 スペシャルティな個性が輝いた 魅力的な1台としてユーザーに支持された。
ホンダ
1980年代
1990年代

プレリュード

ホンダの最新技術を結集した3代目
中嶋悟選手がロータス・ホンダを駆って フォーミュラ1に進出した1987年、 ホンダ技研はFFスペシャルティカーの プレリュードをフルモデルチェンジする。 3代目に移行した新型モデルは、 当時の最新技術を目一杯盛り込んでいた。
ホンダ
1980年代
1990年代

シビック

卓越の走り。 “グランド・シビック”の進化
同クラスのベンチマークとして君臨した 1983年デビューのワンダー・シビック。 その後継モデルを開発するにあたり、 本田技研は新技術の積極的な投入を決断する。 内外装もいっそうの上質化を目指した。 4代目に当たる新型は1987年に発表される――。
ホンダ
1980年代

アコード・エアロデッキ

斬新造形の上級ハッチバックモデル
本田技研の中心車種であるアコードは、 1985年6月に3代目に移行する。 ボディタイプは従来型と同様に セダンとハッチバックを用意したが、 ハッチバック仕様には 「エアロデッキ」というサブネームが 新たにつけられていた。
ホンダ
1980年代

クイント・インテグラ

インテグラの名を加えた2代目クイント
1980年代は本田技研工業から スポーツスピリットあふれるモデルが 数多くリリースされた時代だった。 四輪進出時の原点回帰、F1イメージの踏襲── 自動車マスコミは様々な賛辞をおくる。 そんな最中、クイントが2代目に移行した。
ホンダ
1980年代

アコード ハッチバック

初代のコンセプトを巧みに継承した2代目
1976年にHBボディを纏い登場したアコード。 先進の技術と装備を備えてのデビューとなり、 後に4ドアを加え、世界90カ国で販売される ワールドカーに成長する。 2代目では、HBとセダンが同時に発売。 新時代の国際車として、さらなる進化を遂げる。 HBモデルは、分割リアシートを採用し、 小型車の新機軸となる。