ブルーバード・オーズィー 【1991】

5ドアハッチバックを採用したオーストラリア生産車

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ブルーバードの車種強化を目指して—

 後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた日本の自動車業界。各メーカーは豊富な資金を背景に、積極的に車種ラインアップを拡大していった。
 短い期間で効率的に車種を増やし、しかも近年流行の兆しを見せつつあるレクリエーショナル・ビークル=RVの需要に対応するためには−−。その具体的な方策として、日産自動車は海外拠点で生産したモデルを日本に輸入、すなわち“逆輸入車”の設定を画策する。日本からの輸出船の帰り便の空きを活用するうえでも、逆輸入車の選択肢は有効だった。日産はその方策の手始めとして、オーストラリアのビクトリア州クレイトン市に居を構えるNissan Motor Manufacturing Co.(Australia)Ltd.(略称NMCA)が生産する「日産ピンターラ」に白羽の矢を立てる。

 現地で2代目に当たるピンターラは、日本のU12型系ブルーバードをベースにした豪州市場での量販モデルで、1990年12月に市場デビューを果たしていた。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックを用意しており、このうち日本のU12型系ブルーバードには設定されておらず、多用途性も高い5ドアハッチバック仕様が逆輸入モデルとして選択された。

オーストラリア産ブルーバードの登場

 日産ピンターラの5ドアハッチバック仕様を日本仕様に仕立てるに当たり、日産の開発陣は日本の法規に則した部品を装着したうえで、日本のユーザーの好みに合わせたスポーティ指向の改良と快適装備の装着を実施する。
 エクステリアに関しては、オリジナルデザインのラジエターグリルにエアロパーツ類(フロントスポイラー/サイドスポイラー/リアスポイラー/リアアンダースポイラー)、カラードマッドガード、リアパネルフィニッシャー、14インチアルミホイール、電動格納式ドアミラー、専用エンブレムなどを標準で装備。

 インテリアについては、これまたオリジナルデザインのシートに平行リフター&ランバーサポート付き運転席、フルオートエアコン、本革巻きステアリング&シフトノブ、タイマー付きワンタッチパワーウィンドウ、車速検知式オート集中ドアロック、AM/FM電子チューナー一体型カセットデッキ+4スピーカー、PROアコースティックサウンドシステム、後席用ステレオヘッドホンなどを装着した。アピールポイントである広いカーゴスペースには、脱着が可能なトノカバーも採用する。さらに、オーストラリア産であることを強調するために、ボディサイドとインパネに豪州国旗のエンブレムを貼付した。

エンジンは日本専用2リッター、駆動方式はFF

 走りの機構については、オーストラリア仕様のピンターラに設定のないSR20DE型1998cc直4DOHC16Vエンジンを新規に搭載(ピンターラはCA20E型1973cc直4OHCとKA24E型2388cc直4OHCを搭載)し、そのうえで専用セッティングのフルレンジ電子制御4速ATを組み込む。フロントがトランスバースリンク式ストラット、リアがパラレルリンク式ストラットの足回りには、これまた専用チューニングのスポーティサスペンションを奢った。さらに、ABSやフロントビスカスLSD、ハイマウントストップランプ、前後席3点式シートベルト(後席中央は2点式)、サイドドアビームといった安全アイテムも標準で装備する。

 日本仕様に仕立てられたピンターラは、“ブルーバード・オーズィー”の車名を冠して1991年5月に発売される。オーズィー(AUSSIE)はオーストラリア人の愛称で、当時のプレスリリースには「雄大な自然が人々を魅了する国、オーストラリアの魅力的な雰囲気をイメージして命名した」と記載していた。

歴代日産車屈指の“個性派”に−−

 ブルーバード・オーズィーの車種展開は5ドアハッチバックのボディにSR20DE型エンジン+4速ATを積み込んだモノグレード構成で、車両価格は東京標準で216万円に設定される。ボディカラーはオーズィーホワイト/オーズィーブルーメタリック/オーズィーレッドの3タイプを用意していた。
 市場に放たれたブルーバード・オーズィーは、日産の逆輸入車ブームの先駆けとあって、業界から大きな注目を集める。また自動車マスコミからは、「既存モデルにはないスポーティな走りが楽しめる5ドアハッチバック車」と評された。

 一方、市場でのブルーバード・オーズィーの人気は今ひとつ。いくらスポーティに仕立て直したとはいえ、当時5ドアハッチバック車はやはり日本のユーザーには魅力的に映らなかったのだ。
 5ドアハッチバック車のブルーバード・オーズィーは、あまり販売台数が伸びそうにない……。そう判断した日産の見切り策は、非常に早く行われた。1991年9月になるとブルーバードのフルモデルチェンジが実施されてU13型系の9代目に移行するのだが、それを機にオーズィーの販売を取りやめてしまったのだ。短期間しか販売しなかった希少モデルで、しかも日本ではレアなスポーティ5ドアハッチバック車−−。ブルーバード・オーズィーは、まさに歴代日産車屈指の“個性派”なのである。