チェリー1200X-1 【1970,1971,1972,1973,1974】

欧州で評価された“超えてる”FFコンパクト

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1970年に登場したチェリーは
クラスレスの魅力を発散する“革新”の小型車だった。
エンジン横置きのFFシステムをはじめ、
メカニズムはすべてが新しく、スタイリングも新鮮。
旧プリンスの設計チームが手がけただけに
時代をリードする新しさに満ち溢れていた。
とくにスポーツモデルのX-1は、鮮烈な走りのマシン。
欧州でも高い評価を受けたエポックモデルだ。
文:横田宏近
革新的なシビルカーが開発目標!?

 コンパクトサイズながら、上級車を凌駕する居住性と走りを持ち、さらに圧倒的に経済的な新時代のクルマ、それが1970年9月21日に発表され、10月17日から発売を開始した初代チェリー(E10型)だった。開発を担当したのは東京・荻窪の日産第三設計部。つまり旧プリンス系の開発陣で、日産自動車との合併前の1966年初頭に本格開発がスタートしている。しかしチェリーの開発チームは天皇の御料車となった「ニッサンプリンス・ロイヤル」も担当していたため、当初はロイヤルの最終仕上げが優先され、開発が軌道に乗ったのは合併後のことだったという。

 チェリーの開発コンセプトは当時のプレスリリースによると“1970年代にふさわしい最も新しい感覚を盛り込んだシビルカー”。具体的には1)美しい革新的なスタイル 2)広く快適な室内 3)優れた走行安定性と信頼性 4)万全の安全・公害対策 5)高い経済性と使いやすさ、の5項目が重点目標として掲げられていた。ここで注目したいのは、ホンダ・シビック(1972年7月デビュー)に先駆けて“シビルカー”という概念が用いられていること。1970年当時の代表的な大衆モデルは、サニーとカローラである。両車はともにチェリーと同様に“最良の大衆車=シビルカー”を目指していたが、その開発目標は“上級車を凌駕する”ことではなく、“上級車の忠実の縮尺版となる”こと。メカニズムは上級車に範を取ったものばかりで、独自のチャレンジはほとんどなかった。スタイリング面でもオーソドックスを旨としていた。すべての面で、あえて冒険を避けたクルマがサニーとカローラだったのだ。いってみれば“保守本流”の重鎮である。

しかしチェリーは“革新”だった。いままでの常識に捕らわれない斬新な考え方を導入することで、1970年代に相応しいシビルカーを創造することを目標としていた。初代シビックよりひと足早く、クラスを超えた価値と新しさを持つクルマを目指したのがチェリーだった。

日産初のエンジン横置きFF。すべてが挑戦!

 チェリーの新しさの根幹はエンジン横置きの前輪駆動(FF)システムにあった。エンジンやトランスミッションなどのパワートレーンをひとまとめにするFFシステムは、走行安定性に優れ、広い室内を実現できるのが大きなメリット。すでに欧州ではBLMCミニや、プジョー、フィアット各車に続々と採用され1970年代のスタンダードと認識されていた。日本でも1967年に登場したホンダN360でFFのクラスレスな魅力は一般的になった。チェリーの開発陣は当初からFFの採用を念頭に開発に当たったという。

 旧プリンスの主力モデルはスカイラインやグロリアなど上級モデルである。コンパクトカーの設計にはあまり経験がないように感じられるが、実は1950年代後半から積極的にコンパクトカーを研究していた。1958年には日本初のモノコックボディと4輪独立サスペンション(前ストラット/後セミトレーリングアーム)を持つRR駆動の「DPSK」を開発。DPSKは全長3180mm、全幅1360mmと当時の軽自動車規格よりやや大きなボディを持ったクルマでエンジンは水平対向2気筒の601cc(24ps)を搭載していた。その後エンジンを640ccまで拡大し形式も水平対向4気筒に改めた「CPSK」に発展し、完成度を引き上げる。

CPSKは走りの面でも室内の広さでも当時の常識を打ち破る先進モデルだったが、プリンス(当時の社名は富士精密)の企業規模にとっては生産化にあたっての投資が巨額すぎ、残念ながら量産化が見送られた。しかし、CPSKの生産見送り以降もコンパクトカーの開発は継続され、1960年1月からは1200ccのモノコックボディ採用モデル「EZSP」の設計を手がける。EZSPも諸般の事情から生産化は実現しなかった。しかしチェリーの開発チームがすでにコンパクトカーに対して、多くの知識と経験を持っていたことは確かだった。当初からエンジン横置きのFFレイアウトにすることを念頭に置いていたのは、コンパクトカーの国際的な潮流を認識していたことのなによりの証明である。

じゃじゃ馬X-1のエンジンはレギュラー仕様

 チェリーはエンジンをボディ前方から見てほぼ中央、側面から見て前車軸線より前に5度傾斜して搭載した。エンジン横置き方式でネックとなるエンジン冷却は、ラジエターをボディ前面の左側に置き、エンジン前面に配置したファンとの間をダクトで結び、ホイールアーチへ熱気を抜く合理的な方式で対応している。トランスミッションはBLMCミニのようにエンジンの下部に配置する方式だが、エンジンと別個の潤滑システムを持ち、クラッチアッセンブリーをエンジン搭載のまま交換できるように工夫していた(BLMCミニはミッションとエンジンの潤滑が共通で、エンジンを下ろさなければクラッチ交換は不可能)。日産初のエンジン横置きFF車ながら、各部の設計は国際的に見ても入念で、高度なものだった。旧プリンス設計陣の技術レベルの高さが存分に発揮されたと言っていい。

 パワーユニットは当初830ccの新規開発エンジンを搭載する予定だったが、日産との合併の結果、サニー1000用の988ccのA10型(58ps)と、サニー1200GX用の1171ccのA12型(80ps)の2種を搭載することになった。830ccのエンジンが検討されたのは、830cc以下はアメリカの排出ガス規制の対象外になるため。ちなみにスポーティ版のX-1グレードが採用した1.2Lユニットは、サニー用より圧縮比を下げ(10→9)、レギュラーガソリン仕様としていた。80psの最高出力こそサニー用と比べ3psダウンしていたが、シビルカーのチェリーにとって、レギュラーガソリン仕様の経済性は大切にしたいポイントだった。当時レギュラーガソリン仕様のスポーティモデルは稀。チェリーX-1はこの点だけを見ても、開発陣の良心が結実した作品といえた。

スカイラインを凌ぐ広い室内を実現

 サスペンションはフロントがストラット式、リアがトレーリングアーム式の4輪独立システムで、ステアリングはシャープなラック&ピニオン式(ギア比17.95)。全車、600kg台に収めた超軽量設計と相まって、チェリーの走りは群を抜いていた。とくに最上級モデルのX-1のパフォーマンスは圧倒的で、カタログ公表のトップスピードは160km/h。ゼロヨン加速は17.3秒で掛けぬけた。あのミニ・クーパーSよりも速く、実力は1.6L級のスポーツモデルに匹敵した。まさにクラスを超えた存在だった。

 室内も広かった。ボディのスリーサイズは3610×1470×1380mmとコンパクトだったが、ホンダ1300よりも85mmも長い2335mmのロングホイールベース設計により広々とした室内空間を実現。実質的な室内の広さはS50&54型スカイラインを凌ぐほどで、邪魔なホイールハウスの張り出しのない後席は大人3名乗車でも決して窮屈ではなかった。

 開発コンセプトどおりの“革新”をすべての面で実現したチェリー。メーカーでは発表前から大々的なティーザーキャンペーンを展開し、ユーザーの期待感を煽った。しかし結果的に販売成績はそれほど目覚しくはなかった。スタイリングが進みすぎていたのかもしれない。当時の日本の道路環境ではその性能の素晴らしさが実感しづらかったのかもしれない。しかし、チェリーのパフォーマンスと合理性は欧州市場で評価される。とくに英国では人気モデルに成長した。欧州市場で走りの良さで評判になった初めての国産車、それがチェリーだった。

COLUMN
多彩なオプションでも時代をリード! ドレスアップが楽しめた個性派
 チェリーは当初から2ドア&4ドアセダンとバンの3ボディに多彩なグレードを組み合わせるワイドバリエーションを展開していた。ユーザーのニーズに合わせて“選ぶのが楽しい”クルマだったのだ。さらに“ドレスアップが楽しい”クルマでもあった。内外装に多彩なオプション・アイテムを設定し自由に装着できかからである。とくに推奨オプションを1セットにしてユーザーが選びやすくしたのがポイントだった。オプションセットは“パル=友達”の専用ネーミングを持ち、「ヤング・パル」「カスタム・パル」「ファッション・パル」「ファミリー・パル」の4種を用意していた。どれも個性的な内容だったが、たとえばヤング・パルはレーシングミラー、アクセントストライプ、ハロゲンフォグランプ、木製ステアリング&シフトノブ、3点式シートベルト、高速ワイパーブレードがセットされ、装着するだけでスポーツムード満点に変身した。