ハイパーミニ 【1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003】

“一緒に暮らすパートナー”を目指したコンパクトEV

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新コンセプトEVの企画

 地球規模での異常気象が世界的な問題になり、気候変動枠組条約締約国会議での提案が次第にクローズアップされるようになった1990年代中盤、自動車業界でも環境対応車を本格的に開発する機運が急速に盛り上がり始めていた。

 この状況下で日産自動車は、動力源にモーターを採用するゼロエミッション電気自動車の企画に取り組む。開発テーマは「人と街と一緒に暮らすパートナー」。当時の電池は充電効率がまだまだ低く、1充電で数百kmの長距離ドライブを行うのは困難で、しかも地方で充電施設を整えるには大きなコストがかかることが予想された。そのため日産のスタッフは、都市部での使用を想定したコンパクトなEV(Electric Vehicle)の開発を目指したのである。

都市型の理想をめざした渾身の開発

 都市型EVの基本骨格には、小型・軽量で高い剛性も確保したアルミ押し出し材のスペースフレーム構造、“HYPER BODY”を採用する。また、衝突時のエネルギーを効率的に吸収するためにフレーム配置と造形にも工夫を凝らした。さらにバンパーやフェンダーなどの樹脂部品には、使用済み車両から樹脂を分離し、再利用して作ったリサイクル材を採り入れる。

 動力源には、33ps(24kW)/13.3kg・m(130Nm)のパワー&トルクを発生する新開発のネオジム磁石同期モーターを積み込む。また、モーターとインバーターを一体化して軽量・コンパクト化を達成。その上で理想的な重量配分となる前49:後51のリアミッドシップレイアウトを採用し、駆動方式はRRとした。
 電池に関しては、エネルギー密度90Wh/kg、パワー密度300W/kg、サイクル寿命1000サイクル超のリチウムイオンバッテリー(90Ah×4個)を車両中心付近のフロア下に搭載する。充電システムには、非接触電磁誘導方式のインダクティブ充電を採用。フル充電には約4時間(200V)を要する。この機構は通電部の摩擦や腐食がなく、しかも機器自体の耐久性も高いことが特徴だった。

 新設計の都市型EVは、走行性能についても磨きをかける。サスペンションには4輪ストラットの独立懸架を採用。また、操舵機構には車速感応式の電動パワーステアリングを組み込む。ブレーキはフロントがベンチレーテッドディスクで、リアがディスク。タイヤにはスペア用の搭載を省く(=車両重量の増加を抑制する、スペース効率を向上させる)目的でランフラットタイヤを奢った。

型式認証を受けて市場デビュー

 日産が提案する都市型EVは、まず1997年開催の第32回東京モーターショーでプロトタイプが公開される。車名は「従来のクルマの概念を超越した超小型電気自動車」の意味を込めて、“Hypermini”(ハイパーミニ)と名づけられていた。ちなみに、ハイパーミニのショーデビューから1カ月半ほどが経過した1997年12月、京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)において、気候変動に関する国際連合枠組条約の“京都議定書”が議決される。自動車業界においても環境対応車の推進が急務となり、結果的にハイパーミニの実用開発にも拍車がかかった。

 ハイパーミニはショーデビュー後、前述した新機構を盛り込みながら、完成度を高めていく。そして1999年9月には、ついに生産モデルの発表(発売は2000年2月から)にこぎつけた。ただし販売は一般ユーザー向けではなく、試験的な意味合いが強いものだった。車両規格は軽自動車で、乗車定員は2名。価格は固定式充電器込みで400万円、キャスター付き充電器を加えた仕様が401万5000円の設定だった。

 1km走行当たりの燃料代が1円ほどで、CO2の排出量は小型ガソリン車の約4分の1(発電時の発生量も含む)。しかも最高速度は100km/hで、航続距離も最高115kmに達するハイパーミニは、当時の最先端EVとして業界から大きな注目を集める。また、共同利用システムの実験として横浜みなとみらい21地区での「都心レンタカーシステム」や海老名市(神奈川県)での「海老名プロジェクト」、京都市での「京都パブリックカーシステム」などが行われ、その際にはICカードのキーシステムを使った先進の車両管理も実施された。

 最終的にハイパーミニは2003年3月まで生産が続けられ、200台以上が市場に送り出される。型式認証を受けた日産初の量産EV。その開発および生産工程、さらにユーザー調査で得たノウハウは、後の日産製EVにも鋭意、活かされていくこととなるのである。