名勝負/1971東アフリカ・サファリラリー 【1971】

240Zのタフ&高性能が掴んだ日産の勝利

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4台のフェアレディ240Zでサファリに挑戦!

 1969年にブルーバードSSSで総合3位、クラス&チーム優勝、1970年には念願の総合&クラス&チーム優勝の三冠に輝いた日産チームは、1971年の第19回東アフリカ・サファリラリーに万全の体制で臨んだ。マシンはフェアレディ240Zである。日産が目指したのはズバリ、優勝だった。

 サファリラリーに送り込んだ240Zは4台。このうち3台は地上高を180mmにまで上げ、徹底的なボディ補強を施したうえにサスペンションを硬く設定し、トップスピードを高めた最新仕様になっていた。最新仕様の3台をドライブするのはケニヤ在住のドイツ人、ヘルマン&シュラー組、欧州ラリーで豊富な経験を誇るアルトーネン&イースター組、そして地元ウガンダ系インド人、メッタ&ダウティ組である。もう1台の練習用マシンをモデファイした240Zはゲリッシュ&サイモン組がドライブする。

“ストップ・ザ・ダットサン”迎え撃つ欧州勢

 第19回サファリラリーの出場台数は全113台。日産チームのほか“ストップ・ザ・ダットサン”を合い言葉にイギリス・フォード、ポルシェ、ランチア、サーブなどのヨーロッパ勢が強力なチームと物量体制でサファリに挑んだ。とくにフォードとポルシェは積極的で、フォードは5台のエスコートTCで参戦。ドライバーも1965年のサファリを制したジョギンダー&シン組や、欧州チャンピオンのミッコラ&パーム組など最強の布陣を揃えていた。ポルシェも完全ワークスチューンの3台の911Sを送り込み、ドライバーには準欧州チャンピオンのアンダーソン選手を筆頭にワルデガルド選手、クリング選手などベテラン勢が迎え撃つ。

 コースは、ケニヤの首都ナイロビをスタートして、まず南回りに3500kmを走り、いったんナイロビに戻って、今度は北回りの2700kmを走破する。ケニヤ、ウガンダ、タンザニアの3国を回るコースで1971年は指示速度160km/h以上の区間が8ヶ所も設けられたため、サファリ史上最もハイスピードなラリーとなった。

ポルシェがトップ!日産は前半3位

 4月8日、ナイロビ・シティホール前から、ケニヤのジョモ・ケニヤッタ大統領の振り下ろす旗を合図に競技がスタート。序盤はアルトーネン&イースター組のフェアレディ240Zがペースメーカーとなり、ミッコラ&パーム組のエスコートTC、ワルデガルド&へルマー組のポルシェ、ムナーリ&ドルー組のランチアがトップグループを形成する。天気予報は雨となっていたが、天候は安定しておりコースはドライ。高速性能に優れるポルシェがしだいにリードを奪う。

 だがタンザニアのウサンバラ山に入ると強い雨が降り、たちまちコースは泥沼に変身した。追い越しは不可能な状態で、ほとんどのクルマが40分から1時間のタイムロスを喫する。この中でアルトーネン&イースター組のフェアレディ240Zがサスペンションを岩にぶつけ、修理に1時間を費やし大きく遅れた。南回りの中間地点、ダルエスサラームでの順位はワルデガルド&へルマー組のポルシェがトップ。2位はミッコラ&パーム組のエスコートTC、日産勢はヘルマン&シュラー組が4位につける。この時点ですでに16台がリタイアしていた。残念ながら練習用マシンをモデファイして出場したゲリッシュ&サイモン組もその1台だった。

 ダウエルサラームから西方に伸びるタンザニア平原は、サファリラリー有数の難所。例年多くのマシンが立ち往生する。1971年も例外ではなく、2台のワークス・ランチアをはじめ上位を走っていたプジョーもリタイアした。しかし上位陣はますます快調で、ワルデガルド&へルマー組のポルシェは失点ゼロでトップを快走。2位のミッコラ&パーム組のエスコートは失点2。3位にはヘルマン&シュラー組のフェアレディ240Zが進出した。

ポルシェ脱落!日産見事な総合優勝

 翌10日朝、ラリー車は続々とナイロビに戻ってきた。スタートした113台のうち生き残りは約50台。1971年のサファリは壮絶なサバイバルラリーの様相を呈してきた。トップは相変わらずワルデガルド&へルマー組のポルシェ、2位はヘルマン&シュラー組のフェアレディ240Z、3位にはアルトーネン&イースター組のフェアレディ240Zが食い込んだ。本命と目されたフォード勢は、ラジエターの液漏れ、ファンベルト切れなどのトラブルが続発してしだいに後退、4/9/10位と振るわない。

 後半の北回りコースは前半にも増して高速ラリーとなった。荒れたダートコースでも指示速度は160km.hオーバー。全車がポテンシャルのすべてを絞り出して激走する。そのなかで最初に脱落したのはトップを走っていたポルシェだった。ワルデガルド&へルマー組は夜間の高速走行中、ステアリング操作を誤りクラッシュ。ドライブシャフトを折り走行不能になってしまったのだ。

 代わってトップに立ったのはヘルマン&シュラー組のフェアレディ240Z。240Zは勝利に向かって猛烈なスパートを掛けライバルを一蹴。見事にトップでナイロビのゴールに飛び込んだ。最終ステージの240Zの平均速度は190km/hオーバーに達したという。2位もメッタ&ダウティ組の240Z。アルトーネン&イースター組も7位でフィニッシュした。3位はプジョー。フォードは4位、ポルシェは5位に終わり、日産は見事に2年連続で総合&クラス&チームの三冠を飾った。日産を三冠に導いたのはフェアレディ240Zの速さとタフさ、そして見事なチーム力があったからだった。日産チームはライバルの約3分の1の時間で的確な整備・修理を終え、マシンを送りだしていた。チーム全体が勝利に向けて結束したからこその勝利だったのである。