ジャガーMk-II 【1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967】

“スモール・ジャガー”の金字塔、傑作高性能サルーン

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“スモール・ジャガー”の登場

 ドイツ軍のハンガリー西部への攻勢、いわゆる春の目覚め作戦が失敗に終わり、また連合国軍によるドイツへの空襲が相次いで成功するなど、第2次世界大戦の欧州戦線において連合国側の勝利が確定的となった1945年3月、ウィリアム・ライオンズ率いる英国の自動車メーカーのSSカーズは社名をジャガー・カーズに変え、再出発を図る。生産車は戦前に製作していたモデルの焼き直しから始まり、その後1948年には大型サルーンのマークⅤとスポーツカーのXK120というニューモデルをリリース。1950年代に入ると、大型サルーンはマークⅦに発展し、またスポーツカーではXK120C(Cタイプ)やXK140などが生み出された。

 大型サルーンとスポーツカーの進化に注力する一方で、ジャガー・カーズはより幅広い層にアピールするスモールサイズのサルーンを新規に企画し、1955年10月に発表する。車名は「ジャガー・2.4」。市場では“スモール・ジャガー”と称された。

 ジャガー・2.4には斬新な機構が豊富に盛り込まれていた。基本骨格には同社初のスチール製モノコックを採用し、軽量かつ高剛性のボディに仕立てられる。外寸は既存のマークⅦ比で400mm短く、150mm狭く、140mm低く、ホイールベースが320mm短いディメンション(全長4590mm×全幅1700mm×全高1460mm/ホイールベース2730mm)となり、取り回し性や旋回性能が向上した。懸架機構も新設計で、フロントにはダブルウィッシュボーン/コイルとアンチロールバーを、リアにはトレーリングリンク/ラジアスアームにリーフスプリングをセットする。

 搭載エンジンには既存のXK型3422cc直6DOHCユニットのストロークを106.0mmから76.5mmに短縮(ボアは83.0mmのまま)した2483cc直6DOHCを採用し、ソレックス・キャブレター2基による燃料供給と8.0の圧縮比から112hp/5750rpmの最高出力と19.4kg・m/2000rpmの最大トルクを絞り出した。

高性能スポーツサルーン、3.4の登場

 運動性能が高まり、また車両価格も抑えられたジャガー・2.4は、主に欧州市場で高い人気を獲得する。一方、大きなマーケットであるアメリカ市場では、パワー不足が指摘された。対応策としてジャガー・カーズは、1957年2月に「ジャガー・3.4」を発売する。搭載エンジンは新たにハイリフトカムのBタイプヘッドを組み込んだXK型3442cc直6DOHCを採用。SU・HD6キャブレター2基による燃料供給と8.0の圧縮比から210hp/5500rpmの最高出力と29.9kg・m/3000rpmの最大トルクを発生した。エンジン以外の機構でも見直しが図られ、フロントサスペンションの強化やラジエーターの容量アップ、ディスクブレーキのオプション設定、3速ATの採用(従来は4速MTのみ)などを実施した。

 最高速度が2.4の163km/h(101.5mph)から193km/h(120mph)に、0→60mph加速が同14.4秒から9.1秒にまで引き上がった3.4は、やがて市場で“最速のサルーン”と称されるようになる。しかし、ジャガー・カーズはこの状況に決して満足はしていなかった。スモール・ジャガーのさらなる高性能化を目指し、着々と改良を図っていったのだ。

進化版となる「マークII」のデビュー

 1959年10月に英国で開催されたアールズ・コートショーにおいて、ジャガー・カーズは2.4/3.4の進化版となる「ジャガー・マークII」(以下マーク2)を発表する。一見すると、それほど変化していないように見えたマーク2だったが、その中身は大きな進歩を遂げていた。

 モノコックのボディは、使用パネルの強度を着実にアップ。同時に、旧式のプレスドアからサイドウィンドウ周囲にクロムメッキの細いサッシュを配した新タイプのドア形状に変更する。また、全ウィンドウの面積を拡大して視界の向上を図った。外装のデザイン自体もリファインがなされ、フロントグリルやオーバーライダー、スパッツ、リアコンビネーションランプなどの造形を一新。フロントのフォグランプも、グリル両脇への埋め込み式に変更した。内装については、速度計&回転計をセンター部からドライバー正面に移設した新造形のインパネを採用するとともに、ステアリングホイールやシートのデザインを変更。前席のシートバックには、格納式のピクニックテーブルを装備した。

エンジンと足回りを大幅に強化したマーク2

 メカニズムの面では、従来の2.4L と3.4Lのエンジンに加えて、3.8Lユニットを追加したことが最大のトピックとなる。3.4Lエンジンのボアを83.0mmから87.0mmにまで拡大(ストロークの106.0mmは共通)し、排気量を3781ccとしたBタイプヘッド仕様のXK型系直6DOHCユニットは、専用セッティングのSUキャブレター2基による燃料供給と8.0の圧縮比から220hp/5500rpmの最高出力と33.2kg・m/3000rpmの最大トルクを発生した。また、従来の2.4LエンジンにもBタイプヘッドが標準でセットされ、パワー&トルクは120hp/5750rpm、19.9kg・m/2000rpmへと引き上がる。組み合わせるミッションは、4速MTとオーバードライブ付き4速MT、3速ATをラインアップし、後にフルシンクロの4速MTも導入された。

 マーク2はシャシーに関しても入念な改良が施される。サスペンションにはフロントにジオメトリーを変更したダブルウィッシュボーン/コイルとアンチロールバーを、リアにセッティング見直したトレーリングリンク/ラジアスアーム+カンチレバー・リーフを採用。また、フロントは10mm、リアは83mmほどトレッドを拡大した。制動機構では従来型でオプション設定だった4輪ディスクブレーキを標準装備化する。操舵機構にはロック・トゥ・ロック4.3回転のリサーキュレーティングボール式(RB式)を採用し、後にパワーステアリングをオプション設定した。ちなみに、マーク2の登場以後、従来型の2.4/3.4は一般的に「マーク1」と呼称されるようになった。

モータースポーツの舞台で高性能を披露

 最高速度が201.2km/h(125mph)、0→60mph加速が8.5秒にまで向上したマーク2・3.8は、そのハイパフォーマンスを活かしてモータースポーツの世界で大活躍する。本格的に参戦したのはデビュー翌年の1960年シーズンからで、主要舞台はサルーンカー・レースやラリー。ドライバーにはS・モスやM・パークス、R・サルバドーリ、J・シアーズ、G・ヒル、J・サーティーズといった実力者が名を連ねたほか、ロータスの創始者であるC・チャップマンもステアリングを握った。

 マーク2・3.8の主な戦績を見ていこう。1960年シーズンでは、ノーフォーク・トロフィーでG・ベイリー選手が優勝したのを皮切りに、チューリップ・ラリーではJ・ボードマン選手が改造量産車クラスで、M・パークス選手が量産車クラスで優勝を果たす。さらに、イギリスGPではC・チャップマン選手が、ファーニンガム・トロフィーではJ・シアーズ選手が、ツールド・フランスではB・コンスタン選手が、ブリティッシュ・エンパイア・トロフィーではG・ベイリー選手が、RACラリーではJ・シアーズ選手が総合またはクラスで第1位を獲得した。

 1961年シーズンになると、M・パークス選手がイースター・ミーティング/ブリティッシュ・エンパイア・トロフィー/バンクホリデー・ミーティングなどを制覇。ツールド・フランスではB・コンスタン選手が2連勝を果たす(最終的に1963年大会まで4連覇を達成)。1962年シーズンでは欧州大陸の有名レースでの活躍が際立ち、ニュルブルクリンク6時間と12時間レースなどで第1位を奪取。また、英国内の主要レースではG・ヒル選手やM・パークス選手らのドライブで上位を独占した。

 1963年シーズンではヨーロッパ・ツーリングカップ(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権=ETCの前身)が開始され、ここにマーク2・3.8は積極果敢に参戦する。そして、ホッケンハイムやニュルブルクリンク、ゾルダーなどで優勝を果たし、見事に初代チャンピオンに輝いた。一方、英国内のレースでは新進のアメリカン・ストックカーに押され、苦戦を強いられる。それでもブランズハッチやグッドウッドなどで勝利を獲得した。

 1964年シーズンになると、前述のアメリカン・ストックカーに加えて、小排気量ながら運動性能と加速性能に優れるロータス・コーティナやアルファロメオ・ジュリアT.I.スーパーなどが台頭し始める。この時点でマーク2・3.8の戦闘力は急速に低下。結果的に、レースの第一線から退くこととなった。

改良版の240/340へとバトンタッチ

 ジャガーの高性能サルーンのイメージを市場で確立し、販売台数も伸びていったマーク2。しかし、1960年代中盤になると、会社本体の経営不振が顕在化した。打開策としてライオンズ率いる経営陣は、英国最大の自動車グループであるBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)との合併を決定し、1966年7月に発表する。新組織はBMH(ブリティッシュ・モーター・ホールディングズ)を名乗った。

 BMHに入ったジャガーは、翌1967年の10月にマーク2の改良版で、廉価モデルに仕立て直した「ジャガー・240/340」を市場に放つ。車名から推察される通り、搭載エンジンは2.4Lと3.4Lが採用され、3.8Lは落とされた。ただし、2.4Lエンジンは燃料供給装置がソレックスからSUに換装され、最高出力は133hp/5500rpmにまで引き上がる。一方、エクステリアでは細身のシングルバンパーや簡素な造形のプレス式ホイールなどに変更。インテリアではシート表地が本革からビニールレザーに格下げされた。

 240/340は、スモール・ジャガーの実質的な新世代モデルとなる「ジャガー・XJ6」が1968年9月に登場した後も1年ほど販売が続けられ、1969年になってようやくカタログから外れる。それだけシックでクラシカルなデザインが市場から根強く支持されたのだ。マーク2で高性能サルーンのイメージを確立し、240/340では愛らしいスタイルで地道な人気を博した“スモール・ジャガー”の金字塔--。最終的な生産台数は、マーク2が8万3976台、240/340が7234台にのぼったのである。