NSX 【2001,2002,2003,2004,2005】

スタイリングを刷新。空力性能の向上を図った後期型

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スポーツカー完成形を目指した動き

 ホンダ初の本格的スーパースポーツモデルとして、1990年8月にアメリカで、翌9月に日本で市場デビューを果たしたE-NA1系のNSX。開発現場では、スポーツカーの命題である“進化”を目指して緻密かつ徹底した改良に心血を注いでいく。

 1992年1月にはユーザーの好みに応じた内装や外装色が選べる“カスタムオーダープラン”を創設。同年11月にはピュアスポーツモデルのタイプRを追加する。1993年2月には初のマイナーチェンジを実施し、助手席エアバッグの採用など装備の充実を図った。1994年2月には前16インチ/後17インチタイヤと強化ブレーキパッドを装着。1995年3月になるとアメリカ市場からの要望が強かったオープントップのタイプTを追加するとともに、電子制御スロットルのDBWやマニュアル感覚ATのFマチックを設定した。さらに1997年2月になると、6速MTを採用しMTモデル用エンジンを3.2Lに拡大。同時にスポーツドライビングの楽しさを際立たせたタイプSの追加などを行い、中期型のGH-NA2/GH-NA1系に移行する。そして1999年9月には、安全・快適装備の充実を図ると同時に搭載エンジンを平成12年排出ガス規制適合のHONDA LEV仕様に変更した。

後期型はスタイリングをモデファイ

 多様なリファインを手がけていった開発陣。しかし、10年あまりに渡って大きな変更を加えない部分もあった。高い評価を受けていたエクステリアだ。NSXを21世紀型のスポーツカーに仕立てるためには、空力特性のさらなる引き上げを図って走行性能を高める必要がある−−。そう結論づけた開発陣はついにスタイリングの刷新を決断し、2001年12月に後期型のLA-NA2/LA-NA1系を市場に放った。

 エクステリアは、“スマート&スポーツ”をコンセプトに一新する。ヘッドライトは、点灯時の空気抵抗の低減と軽量化を狙って従来のリトラクタブル式から3次曲面形状のレンズカバーを用いた固定式に変更。同時に、ライト自体をより高効率なタイプに改める。さらに、ホイール周辺からドア面にかけての気流を整流するフロントバンパーやボディサイドのフラット化を高めるサイドシルガーニッシュ&ドアガーニッシュ、車体後部の乱流発生を最小限に抑えるサブスポイラー&リアバンパースカートを採用。Cd値(空気抵抗係数)で0.30、Cl値(揚力係数)で前0.055/後0.020というクラス最上レベルのエアロダイナミクスフォルムを実現した。

 足回りのセッティングも徹底的に見直す。タイヤサイズは前215/40R17、後255/40R17へと変更。ホイールにはワシマイヤー社と共同開発したBBSブランドの新アルミ鍛造ホイール(前7JJ×17/後9JJ×17)を組み合わせた。また、新シューズの採用に合わせて4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションのチューニングを最適化。入念かつ厳しいテストを繰り返して設定値を決め、操縦安定性能やコーナリング時の限界性能を向上させた。

ピュアスポーツモデルのNSX-Rもバージョンアップ

 2002年5月になると、LA-NA2系のピュアスポーツモデルとなるNSX-Rがデビューする。
 約7年振りに復活したRモデルは、従来と同様にサーキット走行を念頭に置いたシャシーセッティングと徹底した軽量化、高精度のエンジンバランス取りを推し進めるとともに、標準車以上の空力性能向上をメインメニューに据える。具体的には、エアアウトレット付きカーボンボンネットフードとフィン付フロントアンダーカバーによってフロント側の、リアディフューザーとカーボンリアスポイラーによってリア側のマイナスリフトを達成。さらに、フロントバンパー開口率を低減させてボディ内部への空気流入を制限する。Cl値では全体−0.100/前−0.040/後−0.060となり、高速走行時にボディが沈みこむ力=タイヤの接地力を高めるダウンフォースが格段にアップしていた。

最後のマイナーチェンジでイモビライザーを追加

 2003年10月のマイナーチェンジではイモビライザーの追加やCDチェンジャーの標準装備化(NSX-Rを除く)、新色のニューインディイエローパールの設定などを行ったLA-NA2/LA-NA1系NSX。しかし、生産は2005年12月末をもって終了することとなった。全世界的に厳しくなる排出ガス規制や燃費基準にNSXを対応させるためには、莫大なコストが必要だったからだ。

最終的にホンダ初のスーパースポーツは約15年間、累計1万8000台超を販売して車歴に幕を閉じる。第2世代のNSXの発売は、10年以上が経過した2016年まで待たなければならなかった。