レガシィ・アウトバック(輸出仕様) 【1993,1994,1995,1996,1997,1998】
スタイリッシュでタフな新感覚ワゴンSUV
メーカーのアイデンティティを象徴するモデルを商品化し、それによってブランドイメージを高める手法は、王道中の王道。世界中のメーカーがチャレンジしている。しかし、成功例は非常に少ない。だが、スバル・レガシィの派生モデル、アウトバックは、その数少ない成功例である。今ではスバル(SUBARU)を代表するフラッグシップに成長。その座を揺るぎないものにしている。
スバルは、乗用車派生4WDのパイオニアである。1972年にレオーネに4WD仕様を設定。卓越した走破性で世界中を驚かせた。レオーネ4WDは主要輸出国のアメリカでも好評を持って迎えられ、「廉価で、丈夫で、悪路に強い」という評判を得る。しかし、レオーネ4WDの高い実用性に目をつけたのは、ほとんどが都会ではなく、農村部に住むユーザーだった。その結果、スバルには“ファーマーズカー=農民のクルマ”という、いささか地味なイメージが定着してしまう。
スバルは、1989年の初代レガシィ以降、開発体制を一新。クルマの高機能化、洗練化を図る。その結果、ファーマーズカーというイメージは次第に払拭される。だが、それは同時にスバルの没個性化も意味していた。1990年代に入ると、アメリカのディーラー関係者から、「スバル独自の4WD技術、高い走破性を生かしたイメージリーダーが欲しい」という声が、日本の開発陣に届くようになった。
2代目レガシィは、日本ではワゴンブームの波に乗り、パワフルな水平対向ターボエンジンを搭載したGTグレードを中心に一大ブームを巻き起こしていた。しかしアメリカでは、今ひとつ人気の波に乗り切れていなかった。当時アメリカではJEEPチェロキーや、シボレー・ブレイザーなどの比較的コンパクトサイズのSUVが人気を博していた。販売の最前線に立っているアメリカ側は「レガシィもSUVを作るべき」と要求する。
スバルの開発陣は、アウトドア関係の遊びに長けているスタッフが多かった。レガシィのSUV化については様々なアイデアを持ち合わせていた。今までは、かつてのファーマーズカーのイメージ問題のために、意識的にSUVイメージは避けていたというのが真実。実際は開発陣も作りたいジャンルだった。
レガシィのSUV化はスムーズに進む。メカニズムは、4WDシステムの高い走破性を一段と際立たせるため最低地上高を200mmに高め、全天候型タイヤを装着。外観はフロントバンパーにフォグランプを内蔵し、専用グリルと2トーンカラーでイメージチェンジ。内装はカーゴルームに換気用のファンを追加し、釣りなどで魚などの生ものを積んだ場合でも匂いが室内にこもらないように工夫した。説明すると僅かこれだけだが、実際に完成したレガシィのSUV仕様は、標準モデルより数段逞しく、しかも悪路に踏み込めるオールラウンド性を身につけていた。
SUV仕様は、“アウトバック”のネーミングが付けられアメリカで発売される。デビュー直後から販売は絶好調。上質なイメージの新種のワゴンSUVとして高い人気を得る。もともとスバルの支持率が高い農村部はもちろん、都会のユーザーもこぞってアウトバックを買い求めた。そしてしだいにレガシィの1グレードではなく、スバルの主力モデルの座を確固たるものにする。
アウトバックは当初、アメリカ市場専用モデルとメーカーでは考えていた。しかし世界各地の販売を求める声に応え、日本やイギリスを中心とする欧州マーケットでも1995年から導入を決定。日本市場ではグランドワゴンを名乗った(日本でアウトバックを名乗るのは2003年以降)。
レガシィ・アウトバックは代を重ねる毎に存在感を高めた。2014年に登場した5代目モデルからは、ツーリングワゴンが廃止され、アウトバックとセダンの2シリーズに集約。アメリカ市場ではレガシィ・アウトバックではなく、単にアウトバックを名乗る独立モデルとして、月販1万5000台以上を誇るベストセラーカーに成長した。今やアメリカを含め、スバルは独自の4WD技術を持つプレミアムメーカーと認知されている。そのポジショニングを明確に主張した第一作は、1993年に輸出仕様としてデビューしたアウトバックだった。