ローレル 【1984,1985,1986,1987,1988】

スクエアスタイルを強調した5代目

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排ガス規制を完全に克服した1980年代前半、
日産自動車は新カテゴリーの参入に加え、
主力車種のモデルチェンジを積極的に図っていく。
1984年にはアッパーミドルサルーンの
ローレルが5世代目に移行した。
市場の声を重視して──

 1980年代前半の日産自動車は海外戦略に力を入れる一方、国内市場への新型車投入にも積極的だった。マーチによるコンパクトカーマーケットへの参入、レパードでのビッグスペシャルティ分野の開拓など、大幅な市場拡大に乗り出す。同時に既存車種のモデルチェンジも相次いで実施し、新世代の日産車を強調する戦略をとった。
 そんな最中の1984年10月、同社のアッパーミドルサルーンに位置づけられるローレルがフルモデルチェンジを果たす。5世代目となるC32型のスタイリングを見て、当時の自動車マスコミは驚いた。1970年代のサルーンを彷彿とさせる四角くてカクカクとしたボディに戻っていたからである。適度に丸みを帯び、クリーンなラインを基調にしていた先代のC31型とは大違いだった。

 このデザインを採用したのは、「市場調査を反映したから」だったという。丸みを持たせたボディラインが主流だった当時、ユーザーはスクエアで落ち着いたスタイルを欲していると判断したわけだ。開発主担は旧プリンス自動車出身の伊藤修令で、同氏は5代目ローレルの開発と並行して、基本シャシーを共用化するR31型7thスカイラインのプロデュースも手掛けている。

ユニークなエンジンラインアップ

 5代目ローレルのボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップの2タイプを用意していた。4ドアセダンはタクシー仕様としても使われ、ボディ四隅の見切りのよさで好評を博す。エクステリアパーツでは量産車で世界初採用となる電動格納式ドアミラーが話題を呼んだ。
 外装デザインと同様にインテリアも直線基調のシックなデザインでまとめる。上級グレードのメダリストには木目調パネルや高級オーディオを装備し、アッパーミドルサルーンの性格を強調した。ボールナット式からラック&ピニオン式に変更したステアリング形式も、ハンドリングの安定感が増したとしてユーザーの好評を獲得した。

 さらに5代目ローレルで注目を集めたのがユニークなエンジンバリエーションだ。先代から引き継いだCA18S型とLD28型のほかに、VG20E-T型2L・V6OHCターボと新開発のRB20E型2L・直6OHCを設定する。つまり、シリンダーのレイアウトが異なる2機種の6気筒エンジンを搭載したわけだ。「VG20E-T型はパフォーマンスを重視するユーザー、RB20E型はアッパーミドルサルーンらしい上質感を味わいたい人に向けた」と、当時の開発スタッフは解説する。広範囲に6気筒エンジンを楽しめたのは、5代目ローレルの大きな魅力といえた。

マイチェンでちょっと丸くなる!?

 5代目ローレルは86年10月にマイナーチェンジを実施する。RB20DET型2L・直6DOHC24VターボやRD28型2.8L・直6OHCディーゼルの搭載、装備の充実などがトピックだっだが、ユーザーが最も注目したのは、またしてもスタイリングだった。各部の角が微妙に丸まり、上質でシックな雰囲気に変身していたのである。

「開発スタッフの中には、本当は最初からこのスタイリングにしたかった人も多かった」というが、とにかくアッパーミドルサルーンらしい上質な雰囲気が増したことは確かである。柔らかいボディラインで見た目の上質感を演出するというこのコンセプトは、結果的に1989年1月に登場する6代目に引き継がれていった。

COLUMN
丈夫でハイパワー。L型の伝統を引き継いだRB型
RB型というとスカイラインのエンジンとして有名だが、最初に搭載したのは5代目ローレルだった。L型に代わる日産自動車の主力直列6気筒エンジンの開発が本格化したのは1980年代初頭。企画当初から4弁DOHCヘッドの搭載や排気量の拡大を想定し、さらにコスト削減も狙ってCA型やVG型エンジンの一部パーツを使えるように設計した。型式に付く数字は排気量、Eはインジェクション仕様、Dはダブルオーバーヘッドカムシャフト、Tはターボ付きであることを示している。RB型の愛称はトヨタの1G系“レーザー”に対抗して、“プラズマ”と呼ばれた。