セリカ 【1981,1982,1983,1984,1985】
3代目は大胆ウエッジシェイプに一新
アメリカのスペシャルティカー・ブームを研究し、セリカをデビューさせて日本でのスペシャルティカー市場を開拓したトヨタ。しかし、1970年代後半に入ると日産自動車のシルビア/ガゼールなどのライバル車が猛追し、セリカの販売シェアは次第に落ち込み始めた。来るべき1980年代に向けて、スペシャルティカーを再構築しなければ−−。トヨタの開発陣は、明確な目標を持って新型セリカの企画を立ち上げた。
企画当初で提案されたのは、スペシャルティカーのカテゴリー分けだった。中核のセリカと上級車のセリカXXのキャラクターを、従来型以上にはっきりと区別しようとしたのである。その結果、セリカは若者層にターゲットを絞り、XXは年齢も収入ももう少し上の層を狙う。もちろんメカニズムやスタイリングなども別仕様とし、それぞれに明確な個性を持たせようとした。
若者向けのセリカは、とくにスタイリングにこだわった。従来型で不評だった曲線基調のフォルムを転換し、ウエッジをきかせた直線的なフォルムを構築する。見た目と走りの安定感を高めるために、ワイドトレッド化も実施した。
キャビン空間のデザインも開発陣が重視した項目で、スポーティ感や先進性が一目でわかるアレンジを目指す。メーターは上級グレードにデジタルディスプレーを導入。内装材もスペシャルティカーにふさわしい上質な仕様で、カラーリングにも工夫を凝らした。
3代目となる60型系セリカは、1981年7月に市場デビューを果たす。ボディータイプは2ドアクーペと3ドアハッチバック(LB)の2種類を用意。エンジンは従来の改良版となる18R-GEU型、3T-EU型、2T-GEU型のほか、新世代レーザーエンジンの1S-U型1.8L・OHCエンジンが搭載された。ちなみにレーザー(LASRE)とはライトウエイト・アドバンスド・スーパー・レスポンス・エンジンの頭文字を組み合わせて命名されたものである。
発表された新型セリカのスタイリングを見て、車好きの意見は賛否両論だった。当時の営業マンによると、「とくに話題を呼んだのはライズアップ・ライトを組み込んだフロントマスク」で、「斬新でカッコいい」という肯定派と「アクが強すぎる」という否定派にはっきりと分かれたそうだ。どうやら後者の意見が多かったようで、新型の販売成績は全般的に伸び悩んだ。
一方、走りに関する評価は予想以上に高かった。フロントエンジン&リアドライブのレイアウトはいっそう熟成し、俊敏なハンドリングとコントローラブルなコーナリング性能を実現していた。当時の提携先だった英国のロータス社がチューニングを手掛けた一部車種のサスペンションも、「エンジンパワーの路面伝達能力が高く、しかもしなやかな乗り心地が楽しめる」と好評を博した。
開発陣は販売のテコ入れ策として、セリカの車種追加や意匠変更を相次いで実施していく。1982年9月には1.8L・DOHCターボ車を設定。その1カ月後にはグルーブBマシンのホモロゲーションモデルとなるクーペ1800GT-TSを限定で販売する。そして1983年8月にはマイナーチェンジを実施し、ヘッドライトをリトラクタブル式に改めた。
さまざまな対策を実施して販売成績を伸ばそうとした3代目セリカ。しかし、その努力は結果的に報われなかった。上級車のセリカXXの影に隠れてしまった、スペシャルティカー好きがソアラやプレリュードに流れてしまった、スタイリングそのもののアクが強すぎた……。要因はいろいろと考えられた。
販売成績は回復しないまま、セリカは1985年8月にフルモデルチェンジを実施し、4代目の160型系へと移行する。新しいセリカは前回の反省を生かし、“流面形”と称するスタイリッシュな外観に変身していた。さらに、伝統のFRの駆動方式もFFへと一新されたのである。