ギャランGTO 【1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976】

鮮烈パワーの俊足“ヒップアップ・クーペ”

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三菱を代表するスポーツモデルの開発

 国産車には珍しく、オーソドックスかつ伸びやかな性能とスタイルで好評を博した「コルト」シリーズによって、三菱重工の自動車生産は国産車市場でも大きなシェアを占めるまでになっていた。そして1970年4月に三菱重工業から分離独立するかたちで三菱自動車工業が設立された。
 当時の主力車種となる「コルト・ギャラン」は、4ドアセダンが先行デビューし、遅れて同じシャシー・コンポーネンツを使った4座の2ドアハードトップがラインアップに加わった。ギャラン・シリーズは三菱系のモデルとしては珍しく(?)垢抜けたスタイリングが、スポーティー指向の強まりつつあった当時の市場では好評で、とくにハードトップ仕様は「コルト・ギャラン」シリーズの中でも大きな販売割合を占める人気モデルに成長する。三菱自動車は、ギャランを軸にしたワイドラインアップを当初から計画していたが、ハードトップの好調はその計画実現に拍車をかけた。次なる開発目標は、もっと高度なスポーツモデルだった。

 こうした背景の下、1969年10月に開催された第16回東京モーターショーに、三菱自動車はコルト・シリーズ中最強の「コルト ギャランAII-GS」のコンポーネンツを流用し、同年代のフォード・マスタングにも似た2ドア・フルファストバックのスタイルを持つ「三菱ギャランGTX-1」と名付けた試作モデルを展示した。エンジンは1600ccの直列4気筒DOHCが搭載されていた。完璧なランニングモデルであり、各部の完成度の高さは、このまま市販しても十分なほどであった。三菱自動車は、比較的地味なイメージであった「コルト」シリーズを、このモデルで一挙にスポーティーシリーズへと転換させようと狙っていた。モーターショーの会場で「ギャランGT-X」は高い評価を得て、三菱自動車は量産化への自信を深める。そして各部を熟成したうえで、翌1970年11月から「コルト・ギャランGTO」として市販を開始した。

トップスピード200km/hを実現!

 「ギャランGTO」は、同じギャラン・シリーズのハードトップ・モデルのように、セダンをベースとしてそれを2ドア化した派生車種ではなかった。内外装ともにスタイリングは完全オリジナルで、シャシーも各部を改良。ドライブトレーンにも新設計パーツを多く使用した生粋のスポーツモデルとなっていた。三菱、そしてコルトのイメージリーダーカーとして設計者が思う存分に腕を振るった入魂のスペシャルティカーだったのだ。
 バリエーションは、主にエンジン仕様の違いにより3車種が用意された。最もベーシックなモデルは、排気量1597ccの直列4気筒SOHCでシングル・キャブレターと8.5の圧縮比で最高出力100ps/6300rpm、最大トルク14.0kg・m/4000rpmを誇った「GTO・MI」で、最高速度170km/h。販売中心モデルは「GTO・MII」で、「MI」と同じOHCエンジンながら、キャブレターをSU型2基とし、圧縮比も9.5に高めるなどしてチューンアップ、最高出力を110ps/6700rpm、最大トルクを14.2kg・m/4800rpmとし、最高速度185km/hを可能としていた。

 トップ・レンジとなるのが「GTO・MR」だ。三菱初のDOHCエンジンとなる4G32型直列4気筒エンジンを搭載していた。排気量は前2車と同じ1597ccだが、キャブレターをソレックスのツインチョーク型2基とし、圧縮比も9.5に高めるなど高度なチューニングが加えられて、125ps/6800rpmの最高出力と14.5kg・m/5000rpmの最大トルクを発揮した。このクラスの市販型エンジンとしては、文句無く最強のエンジンとなっていた。軽量なボディ(980kg)とも相俟って、最高速度は200km/h、0→400m加速は16.3秒で駆け抜けた。さらに、走行安定性を高めるために、リアサスペンションのリーフスプリングは4枚とされ、トルクロッドを付加するなどの対策を施していた。タイヤは165SR13サイズのラジアル・タイヤが標準装備されていた。

洗練された空力ダックテール

「GTO・MR」の外観上の特徴は、エンジンフード上に付けられた一対のエアインティーク(但し実効の無いダミー)とボディサイドだけでなくトランクリッド部まで回り込んだストライプ、メッキリム付きのホイールなどである。前年のモーターショーに展示された「GTX-1」では、フロントの矩形2分割のグリルの中に付けられていた2個のドライビングライトが外されていたこと以外、細部を除いてほとんど「GTX-1」そのままと言えるものだった。

「GTO」シリーズは、国産車では初めてボディの空力対策に総合的に取り組んだクルマで、その特徴的なテール部分のスタイルにより「ダックテールGT」などとも呼ばれた。価格は最高性能を持った「GTO・MR」でも112万5千円とパフォーマンスに対してリーズナブルだったため、腕に自信のある走り屋に好まれた。同クラスの高性能車であったいすゞ ベレット1600GTRRが116万円、マツダ・コスモ・スポーツが148万円もしていたのだから、性能面で優位に立つ「GTO・MR」が、マニアの人気を集めたのは当然だった。
 しかし、同時期に登場したセリカ1600GTの87.5万円と比較すると割高なイメージは拭えなかった。一般のユーザーにとっては憧れても購入の対象にはならなかった。さらに1973年に突如起こったオイルショックと厳しさを増す排気ガス対策により、「GTO・MR」は短命に終わった。ただしGTOシリーズ自体はエンジン排気量をしだいに拡大し魅力をキープ。三菱のスポーツイメージの牽引車として1976年12月まで販売された。