プリメーラ 【1990,1991,1992,1993,1994,1995】

欧州に学んだ先進パッケージセダン

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国際戦略車の模索

 1990年代には技術の世界一を目指す−−いわゆる“901運動”で盛り上がっていた1980年代後半の日産自動車。ヒット作も相次いで生まれ、ハイソカーのシーマやユニークなパイクカー群、さらにフェアレディZやスカイラインGT-R、シルビアなどのスポーツ車が販売成績を大いに伸ばしていた。
 そんな最中、社内ではオースター/スタンザに続く新たな国際戦略車が企画される。目指したのは、日本だけではなく欧米市場でも通用するミドルクラスの本格セダンだった。具体的には1:機能美を追求したスタイル2:居住性に優れた快適な室内空間3:卓越した走行性能という3つの要素を高次元でバランスさせる戦略を打ち出す。
 スタイルに関しては、低くて短いフードに長いキャビン、そしてハイデッキのリアボディーを構築し、外面をフラッシュサーフェイス化して優れた空力特性(Cd値0.29)を実現する。各パーツのデザインもシックに仕上げた。居住空間は先進のキャビンフォワードの採用によってワンクラス上の室内長を確保し、加えて欧州のセダンを参考にした新形状のエルゴノミックシートを装着する。走行性能については、スカイラインやフェアレディZなどにも採用したマルチリンク式のフロントサスペンションを組み込み、さらに2タイプの“プラズマ”SR型エンジンを搭載して磨きをかけた。エンジンサウンドにも気を使い、専用のS字型ストレートマフラーを装着するなどして高質で耳に心地いい音を目指す。

「コンフォート・パッケージ」の登場

 日産の新しい国際戦略車は、「コンフォート・パッケージ」というキャッチを冠して1990年2月に市場デビューを果たす。車名はスペイン語で“第一級”を意味する「プリメーラ」を名乗った。ボディータイプは4ドアセダンのみ(1991年10月に英国工場産の5ドアハッチバックを追加)で、エンジンは2Lと1.8Lを選ぶことができた。
 シックで上質なスタイリングに優れたパッケージングを内包したプリメーラ。しかし、ユーザーが最も高く評価したのは硬めの足回りと卓越したハンドリングだった。「欧州車と真っ向勝負ができる走りのセダン」「世界最高のFF車」「シャシーが勝った走行性能」など、走りに関する様々な賛辞が送られる。このキャラクターは従来のセダン購入層とは異なる顧客、いわゆる走り好きのユーザーの大注目を集め、販売成績は日産の予想以上の数値を記録した。

マイナーチェンジで性格が変わった!?

 走りのセダンとして高い人気を獲得したプリメーラ。しかし、一部のジャーナリストやユーザーからは「街乗りでの乗り心地が硬すぎる」という苦言が呈される。この意見を重視した開発陣はダンパーやブッシュ類のセッティング変更などを実施し、従来型よりもしなやかな方向に味つけした。
 1992年9月、足回りのセッティングを見直し、同時に内外装の変更も実施したマイナーチェンジ版のプリメーラが発表される。完成度が高まった国際戦略車。だが、ユーザーの評判はいま一つだった。当時はクルマ好きのあいだで硬い足回りが欧州車(とくにドイツ車)に近いと解釈されていたため、しなやかな乗り心地になったプリメーラを歓迎しなかったのだ。走りの完成度は高まったものの、個性が薄まったプリメーラは、結果的に従来型ほどの販売成績は残せないままに推移する。その内にRVブームが起こり、ユーザーの注目はクロカン4WDやステーションワゴンに移っていき、プリメーラの存在感はさらに薄くなっていった。
 ユーザーの指向を捉え切れなかったマイナーチェンジ版の後期型プリメーラ。しかしそのぶん前期型の人気は非常に高く、1995年にフルモデルチェンジした後も、長い間「走りのセダン」としてファンから熱烈な支持を集めたのである。