エスティマ 【1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

国際派ラグジュアリーミニバンの先駆

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北米市場の新傾向に対応して−−

 1980年代後半の北米市場では、クルマの新しいムーブメントが出現していた。多人数が快適に乗車できて、シートをたためば大容量の荷物が積載できる多機能なクルマ−−いわゆる「ミニバン」の流行である。火つけ役のクライスラー・ボイジャーやダッジ・キャラバン、プリムス・タウン&カントリーの兄弟車を筆頭に、GMやフォードなども多様なミニバンをリリースしていた。
 この状況にいち早く目をつけ、北米だけではなく日本市場でもミニバンを展開しようと計画したのが、トヨタ自動車だった。同社の開発陣は1980年代中盤からオリジナル・ミニバンの企画を立ち上げ、北米市場のモデルだけではなく、欧州のルノー・エスパスなどを研究しながら、開発を進めていった。
 従来の商業車であるバンボディのワゴン化ではなく、ミニバン専用の乗用シャシーを開発するにあたり、開発陣は「可能な限り広くて使いやすい居住空間を構築する」さらに「乗用車と同レベルの走る楽しさを確保する」ことを目標に掲げた。これらを実現するために編み出した手法は、床下に、しかもセカンドシート下部付近にエンジンをレイアウトするアンダーフロア型ミッドシップだった。さらにエンジン自体も横に75度寝かせて配置し、室内の平床化を達成した。

 世界に類を見ないミニバンレイアウトの斬新さは、内外装でも存分に表現された。トヨタの北米デザインスタジオであるCALTYが手掛けたスタイリングは、ボンネットからAピラー、そしてルーフラインにかけてなだらかな弧を描き、さらにボンネットやサイドパネルにも丸みを持たせる。内装は鳥が羽根を広げたようなインパネデザインに連続性を持たせたドアトリムを組み合わせ、未来的な造形と包まれ感を創造した。全身で新世代ミニバンのオリジナリティを表現する−−そんな開発陣の意気込みが、開発過程で随所に発揮されたのである。

日本初の本格ミニバンがデビュー

 トヨタの新世代ミニバンは、1989年に開催された第28回東京モーターショーで初陣を飾る。「プレビア」の名で参考出品されたミニバンは、その斬新なレイアウトを観客に披露するために、動くカットモデルまでも用意された。
 1990年初頭に入ると、まずアメリカ市場でミニバンの販売を開始する。同年5月には、「エスティマ」の車名で日本でのリリースも始まった。
 デビュー当初のエスティマは、セカンドに独立式シートを装着した7人乗りだけをラインアップする。エンジンは2.4L直4のみ。駆動方式はMRとなる2WDとビスカスカップリング付きフルタイム4WDが選択できた。2分割式サンルーフの“ツインムーンルーフ”の装備も話題を呼ぶ。1993年2月に入ると、ユーザーからの要望が多かった8人乗り(セカンドシートはベンチ式)のXグレードを追加する。同時にXグレードは装備の一部を簡略化し、車両価格を安めに設定した。

魅力度を高めるために−−

 斬新なコンセプトで登場した新世代ミニバンのエスティマ。しかし、販売成績は予想外に伸びなかった。当時は一般ユーザーの注目が高性能なスポーツカーやワゴン、クロカン4WDに集中しており、ミニバンの利便性はあまり理解されなかったのだ。また日本市場では大柄なボディが、北米市場では2.4Lエンジンの非力さが災いしていた。
 開発陣は早速、エスティマのテコ入れ策を実施する。1992年1月には日本向けに5ナンバーサイズのエスティマ・ルシーダ/エミーナを設定。1994年8月にはエスティマのマイナーチェンジを実施して、スーパーチャージャーエンジンを搭載する。1998年1月には再びマイナーチェンジを敢行。スタイリングの変更や新グレードのアエラスの設定などで魅力度を高めた。
 アンダーフロア型ミッドシップという凝ったメカニズムを採用したエスティマは、2000年1月にフルモデルチェンジを実施し、カムリ用のFFシャシーを使った新型に移行する。しかし新型になっても、トヨタの先進ミニバンの地位は譲らず、ハイブリッドエンジンの搭載など、新機構を積極的に導入した。