シビック・フェリオ 【1991,1992,1993,1994,1995】

サブネームを付けたセダン版シビック

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セダンモデルの強化

 バブル景気の絶頂期に企画された5代目のEG型系シビック。開発目標として「これからの小型車の基本形となるニュー・ベンチマークカー」を掲げた開発陣は、自社の基幹モデルに持てる技術を積極的に投入する。具体的には1:低燃費と走りの両立2:若者のための「スペース・デザイン・コンセプト」3:乗り心地とハンドリングの高次元のバランス4:クラス最強レベルの空力性能の追求5:安全性能の徹底追求などの実現を目指した。
 もう1点、5代目では重要な目標を立てた。従来はハッチバックの影に隠れていた4ドアセダンのイメージアップを図ろうとしたのである。パッケージングに関しては“2カップルズ・セダン”をテーマに、前後席2組のカップルが自在にコミュケーションできる空間を創出。スタイリングもスポーティに仕上げた。

 エンジンは吸気バルブ休止と希薄燃焼方式を実現した1.5L・VTEC-E(94ps)、吸気バルブタイミング・リフト切り換えの1.5L・VTEC(130ps)、そして吸排気バルブタイミング・リフト切り換えの1.6L・DOHC VTEC(170ps)の3種類のVariable Valve Timing&Lift Electronic Controlユニットを新開発する。さらにセダンには、ハッチバックに未設定のリアルタイム4WD機構(エンジンは1.6LのOHCとDOHC)も組み込んだ。

サブネームは“休日”

 創始者の本田宗一郎が逝去した約1カ月後の1991年9月、5代目となるシビック、通称“スポーツ・シビック”がデビューする。ボディ形式は3ドアハッチバックと4ドアセダンの2タイプで、セダンにはエスペラント語で“休日”を意味する「フェリオ」のサブネームが付けられた。
 フェリオのルックスは、ハッチバックモデルよりもずっと立派に見えた。ボディサイズはハッチバックに比べて325mm長く、25mm高く、ホイールベースが50mm長い。緩やかに弧を描くルーフラインや厚みのあるトランクルームのデザインなども、存在感を高めるのに一役かっていた。
 グレード展開も充実していた。ベーシック版の1.3Lエンジンを積むELをボトムに、VTEC-Eエンジンを搭載するETi、VTEC仕様のVTi、DOHC VTECのSiR、そして4WDのRT系など、計7グレードを設定する。車両価格もハッチバックの同グレードの1万円高に抑えていた。

新4WD機構の採用

 RVブームの最中ではあったが、シビック・フェリオは堅調な販売成績を記録し続け、過去のシビック・シリーズの中でもセダン比率が高いモデルに成長する。
 この勢いを維持しようと、本田技研はフェリオのバリエーションを拡大していく。1992年9月にはMLグレードとETiのAT仕様を追加。1992年10月には派生モデルのHAM産シビック・クーペがラインアップに加わる。同時期にフェリオのシャシーを流用して専用の内外装を備えたドマーニも登場した。1993年9月にはマイナーチェンジを実施し、デュアルポンプ式4WDや助手席エアバッグ、新冷媒などを採用する。さらに充実装備のExiグレードを設定した。

 シビック・フェリオはモータースポーツの分野にも起用される。1993年から全日本ツーリングカー選手権に参戦し、1996年にベース車がアコードに変更されるまでサーキットを駆け回った。
 ホンダ製コンパクトセダンとしての確固たる地位を築いたシビック・フェリオは、1995年9月にフルモデルチェンジを迎える。もちろん、6代目となる新型シビック・シリーズでもフェリオの名は残され、「シビックのセダン=フェリオ」の図式はユーザーに定着していったのである。