シャレード 【1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983】
広くてコンパクトな3気筒傑作モデル
シャレード(Charade)は1977年11月にデビューしたダイハツ製コンパクトカーの名前である。車名のシャレードは身振りや手振りで言葉をいい当てる一種のジェスチャーゲームに由来する“謎解き”を示す英語だった。
シャレードの基本的なコンセプトは、1.3リッタークラスの小型車に匹敵する性能と室内スペースを実現すること。軽自動車と同等の省燃費と運転の容易さを実現すること。さらに、セダンとワゴンの両方の特徴をあわせ持った多用途性を実現することの3点であった。このコンセプトに従えば、横置きエンジン方式による前輪駆動方式、テールゲートを持ったハッチバック構造などモデルの概要が見えて来る。それは当時として最先端のメカニズムとスタイルになっていた。
フロントに横置き搭載され、並列に置かれるトランスミッションを介して前2輪を駆動するエンジンは、シャレードのために新しく設計されたユニットで、乗用車用としては世界初となる直列3気筒の4サイクルSOHC6バルブ、排気量は993ccであった。吸・排気バルブを動かすカムシャフトの駆動にはコッグドベルトを用い、また、3気筒エンジンには不可避となる振動の軽減のために、カムシャフトからギアで駆動されるバランスシャフトを持っていた。圧縮比8.7と2バレルキャブレター(ストロンバーグ型)を1基備え、55ps/5500rpmの最高出力を発揮する。
トランスミッションはフルシンクロメッシュ機構を持った4速マニュアルがメインだが、5速マニュアルも設定されていた。サスペンションは前・マクファーソンストラット/コイルスプリング、後ろ・5リンク/コイルスプリング。ブレーキはディスク(前)とドラム(後ろ)の組み合わせでサーボ機構を備える。タイヤは6.00-12サイズのバイアスタイヤが標準で、上級モデルでは155SR12サイズのラジアルタイヤが標準で装備された。車重は630〜660kg程度で、今日の軽自動車よりも断然軽い。車の性能を決める大きな要素は、重量とエンジンパワーの比率なのだが、シャレードは1馬力あたりの重量が5人乗車時でも17kg/ps前後と軽く、最高速度140km/h、0〜400m加速19.7秒と、実用上十分以上の性能を発揮した。
ボディサイズは、全長3460mm、全幅1510mm、全高1360mm、ホイールベース2300mm。車輪をボディの四隅に追いやることで、乗員の全てをホイールベースの中に置くことができ、また室内の無駄なスペースを極力排除することで十分な室内スペースを確保した。投影面積は約5.2m2。カタログでは“ゴ・ヘーベ・カー”と称しシャレードの合理精神の結晶として誇らしく紹介していた。
シャレードは投影面積5m2の中に、生活にフィットする使いやすい機能、性能、経済性を集約したクルマだった。カタログのコピーは“もう豪華さや、大排気量や、見かけの大きさでクルマを評価する時代ではありません。これからは既成概念にとらわれず、自分のライフスタイルで、モノの本質をしっかりと見定めていく時代。「5m2カー」シャレードは、そんな時代へのダイハツからの新しい提案です”と魅力を語りかけた。
カタログでは同時に5m2カーの先輩としてルノー5(5.3m2)、プジョー104(5.5m2)、フィアット127(5.5m2)、VWポロ(5.5m2)、フォード・フィエスタ(5.6m2)などを写真付きで紹介、コンセプトの正しさを表現したのである。
軽自動車クラスと当時主流だった1.3〜1.5リッタークラスの中間を埋めるモデルとしてデビューしたシャレードは、合理的な設計と高い性能、65万3千円から79万8千円と比較的安価な価格設定もあり、日本にはなかった車種として注目を集めた。自動車専門誌「モーターファン」が主催していた1978年度の日本カーオブザイヤーを獲得したことからもそれは裏付けられた。当初4ドアハッチバック一車種のみだったが、デビュー翌年の1978年9月に2ドアのハッチバッククーペがシリーズに加わる。マリンウィンドウと名付けられたリアクォーターウインドウが円形となる特徴的なスタイルは、このクラスにもパーソナルカーの存在が必要であることを伺わせた。エンジンや駆動系はもちろん、室内スペースや乗車定員に変更はない。2ドアになったことで、不足気味であったボディー剛性は格段に向上、走りの性能は一段と高められることになる。
コンパクトサイズながら優れたユーティリティを持ち。走りと経済性に秀でたリッターカーとして存在意義の大きいシャレードだったが、ユーザーの多くは小型車と同じという税制上の不利やボディサイズの中途半端さを嫌い、相変わらず1.5リッタークラスのクルマを買い続け、シャレードの販売は残念ながら伸び悩んだ。シャレードの合理精神はクルマ好き以外には、さほど共感を得られなかったのである。
シャレードは。優れた性能を実証するため積極的に海外ラリーに挑戦した。とくにモンテカルロ・ラリーでの活躍は印象的だった。初参戦となった1979年の第47回大会では出場マシン中、最小排気量だったにも関わらず4000kmを走り切り完走。翌48回大会ではクラス2位に食い込む。そして1981年の第49回大会で見事にクラス優勝を成し遂げたのだ。総合でも出場263台中の28位と善戦した。出場マシンはほぼ市販モデルそのままの状態だったから、シャレードの勝利は実力の証明と言えた。その他にもオーストラリアで開催されたトータルオイル・エコノミーランでは第5回、第6回大会で連続優勝を飾るなど、そのポテンシャルの高さは驚くほどだった。“山椒は小粒でピリリと辛い”という諺どおりの実力を世界に向けてアピールしたのである。