スカイラインRS 【1981,1982,1983,1984,1985】
DOHC16Vでマニアを魅了したレーシングスポーツ
スカイラインにRSと呼ばれる高性能モデルが加えられたのは、1981年10月のことである。車名に付けられたRSとはRacing Sports(レーシングスポーツ)のイニシャルで、スポーティーなイメージを象徴するものとなっていた。
シャシーコンポーネンツは、同じスカイラインシリーズの中でも高性能仕様となるターボGT-E・Sと共用している。2段階切り替えができるショックアブソーバーや高性能に対応したミシュラン製のラジアルタイヤ、サスペンションのチューニングなどは基本的に等しい。異なる点はオプション設定だったパワーステアリングのアシスト量(スポーティーカーらしくRSは重めの設定になっていた)や標準ホイールがアルミ製になったこと程度。軽量化を徹底するため、スペアタイヤはスペースセーバー型となり、ラジオやエアーコンディショナーの装備もオプション設定としていた。
RS最大の特長はエンジン。モータースポーツへの積極的な展開を前提に白紙の状態から開発されたものだった。FJ20型と名付けられた直列4気筒DOHCエンジンは、排気量1990ccで1気筒あたり吸・排気に各々2つのバルブを持つ16バルブ仕様となっていた。
圧縮比は9.1、キャブレーションはシーケンシャル・インジェクションと呼ばれる各々のシリンダーごとに状況に応じて最適な燃料噴射を行うシステム。これにより、150ps/6000rpmの最高出力と18.5kg-m/4800rpmの最大トルクを得ていた。今日でも十分通用する高性能である。
標準的なエンジンでは見られない、高度な設計と素材を惜しみなく注ぎ込まれており。たとえば、普通のDOHCエンジンならカムシャフトの駆動は静粛性やコストの面から、ゴム製のコッグドベルトなどを使う所だが、FJ20型では敢えてタフなダブルローラーチェーンを使っていた。シリンダーヘッドはアルミニウム合金が奢られ、バルブスプリングも2重構造にしてあるという具合。ほとんど製造コストを無視したと言える高度な設計は、日産の看板モデルにふさわしいものだった。トランスミッションは5速マニュアルが組み合わされ、当初はオートマチックの設定はなかった。
駆動方式は縦置きエンジンによる後輪駆動。後部デファレンシャルギアには標準でLSD(リミテッドスリップ機構)が組み込まれていた。スポーツ仕様のサスペンションは前がマクファーソンストラット/コイルスプリング、後ろがセミトレーリングアーム/コイルスプリングで、スタビライザーを標準で備える。ブレーキは前がベンチレーテッド式、後ろがソリッド式の4輪ディスクとなる。
ボディバリエーションは、2ドアハードトップと4ドアセダンの2種が選べた。インテリアのデザインはシンプルさに徹したもので、モータースポーツへの参加を前提にしていることが見て取れる。車重は2ドアハードトップが1115kg、4ドアセダンが1105kgとなっていた。価格はハードトップが217万6千円、4ドアセダンが212万1千円であった。その高性能振りから考えれば、きわめてお買い得なレベルだった。
スカイラインシリーズの頂点に立つことになるスカイラインRS。レーシーで高回転になるほど快音を発したFJ20E型は絶品だった。スカイラインを再びマニアの憧れにしたRSは、時代を象徴する一台だった。
6代目のスカイラインは名優ポール・ニューマンがイメージキャラクターに起用していた。ポール・ニューマンは俳優としても超一流だが、1979年のル・マン24時間レースで準優勝を果たすなどレーシングドライバーとしても超一流だった。
CMの撮影のため米国コネチカット州ライムロック・サーキットでRSに触れたポール・ニューマンは、撮影を忘れしばらく走りに没頭。ピットに戻ると「The SKYLINE is terrific!」と思わず叫んだという。「terrific(テリフィック)」とはGood(よい)、Better(大変よい)、Best(最高)のさらに上をいく誉め言葉。和訳すると“おそろしいほど魅力的”といったところだろうか。
メカニックが具体的にどこを気に入ったのか尋ねると「すべてさ!」と即座に答えた。RSの豪快なDOHCサウンドと、その速さに魅了されたのだ。走りのスカイラインの完全復活を、ポール・ニューマンは即座に見抜いたのである。