レパードJフェリー 【1992,1993,1994,1995,1996】

パーソナルな高級を追求したドライバーズカー



新たなコンセプトで登場した3代目

 英語で豹を意味するレパード(Leopard)という名のモデルがデビューしたのは1980年9月。日産の上級車種の一つで、トヨタのセリカXXやソアラといったパーソナルカーからマークIIなどの高級セダンまでを直接のライバルにしていた。一つの車種で広範囲な市場に対応しようというわけである。レパードが目指したこの手法は、確かに合理的な戦略ではあったものの、クルマの性格が曖昧になってしまう傾向が強く、結局はそれが結果として大きな成功を収めることができなかった最大の理由となった。

 1986年2月のフルモデルチェンジでは販売台数の伸びない4ドアハードトップをカタログから外し、2ドアのパーソナルクーペ1車種の展開へと方向転換、ユーザーに混乱をもたらした。そして、1992年6月の2回目のフルモデルチェンジで3世代目となったレパードは、パーソナルカーであった2ドアクーペを中止し、4ドアセダンのみの展開とした。ネーミングもレパードJフェリーとなった。車種展開が頻繁に変わったのでは、市場で安定した人気を得るのが難しくなる。

「美しい妻と一緒です」のコピーに込めた思い

 レパードJフェリーのカタログをめくると「美しい妻といっしょです」というコピーが目に飛び込んでくる。高級車のメッセージとしてはいささか異質だが、「時代とともに高級車という概念も変わりつつあります。人々の価値観やライフスタイルがどんどんと新しいものになってゆく時だから、従来の伝統や威厳といったものにとらわれない、自由な発想を大切にしたいと思います。Jフェリーは、こうした流れの中から生まれた、新しい高級パーソナルセダンです」という説明を読むと理解できる。

 Jフェリーは外に向かって見かけや豪華さを主張する旧来の価値観ではなく、オーナー自らの心の充足という新価値観で作り上げたパーソナルセダンだった。だからこそ仕事の仲間ではなく、美しい妻と一緒に乗るのが似合ったのである。

優雅で伸びやかなアメリカンデザインを採用

 市場での評価は決して芳しいものではなかったが、純粋にクルマとして見た時、Jフェリーは極めて完成度の高いモデルであった。日産のラインアップではセドリック/グロリア系とシーマ系の中間に位置付けられていたから、かなりの高級車である。

 スタイリングデザインはアメリカのカリフォルニア州に設立された日産のデザインセンターの一つである、日産デザインインターナショナル(略称:NDI)が手掛けたもので、曲面を主体にした、同時代のアメリカンテイストに溢れたものとなった。基本的なシャシーコンポーネンツはシーマ系からの流用であり、エンジンはシーマやセドリック/グロリア系の一部と共用している。つまり、両シリーズの良い部分を拾って仕立て直したものだ。

 エンジンは排気量4130ccのV型8気筒(DOHC32バルブ、出力270ps/6000rpm)と2960ccのV型6気筒(DOHC24バルブ、200ps/6000rpm)の2種。トランスミッションはエンジンを含む総合制御システムを組み込んだ電子制御タイプの4速オートマチックのみ。一部車種にはトラクションコントロールやリミテッドスリップデファレンシャルなどを用いた駆動力総合制御システムも搭載されていた。駆動方式は縦置きフロントエンジン、リアドライブで4輪駆動仕様の設定はない。

革新的すぎたコンセプトが躓きの要因

 曲面を多用したスタイリングからは、あまり大きさは感じられないが、ボディサイズは全長4880mm×全幅1770mm×全高1390mm、ホイールベース2760mmとかなり大きなもの。その分室内は十分に広く、高級車としての存在感を感じさせる。このJフェリーのスタイリングは、この後の日産車のスタイリングテーマとなり、ブルーバードやプレセアなど小型車にも導入されることになる。

 ニッサンにとっては主要な輸出先であったアメリカ市場を強く意識したJフェリーは、日本国内市場では大きな人気には繋がらなかった。高級車のスタイルとしてはあまりに革新的に過ぎたのかもしれない。この後、4年のライフスパンを保った1996年3月にフルモデルチェンジされて、Jフェリーの名を消し、再びレパードの名の下にセドリック/グロリアをベースとした4ドアハードトップに戻された。レパードは悲運のクルマである。