トヨタ
1950年代
1960年代

クラウン デラックス

日本を代表する高級サルーンの誕生
初めてトヨペットの名を冠した小型車SA型から8年。 トヨタは高級セダン、トヨペット クラウンRS型を発売する。 トヨタの総力を傾け、 3年の歳月を費やして生まれた新型サルーンは、 当時の先端技術を存分に注入。 国産車の基準を大きく引き上げた名車は、 以来、高級車の代名詞となる。
ダイハツ
1970年代
1980年代

MAXクオーレ

ゆとりを極めた新規格モデル
MAXクオーレは新規格スタートを ボディーサイズをそのままにした フェローMAX550で乗り切ったダイハツが、 ついに放ったニューモデル。 室内のくつろぎと安全性のアップを狙った新型は、 従来の優れたメカニズムを踏襲し、 走りのバランスにも優れた秀作だった。
ダイハツ
1970年代
1980年代

タフト

コンパクトながらパワフルな本格4WD
ジープやジムニーなどオフロードを走る多目的車が、 マニアのハートを捉えた1970年代半ば。 扱いやすい1リッターエンジンを 搭載してデビューしたタフトは、 ダイナミックは走りを小柄なボディに凝縮。 レジャーカーとしての魅力に溢れ、注目を集めた。
ダイハツ
1960年代

コンパーノ・スパイダー

小粋なイタリアン調オープン
ダイハツは、1961年の全日本自動車ショーに 2ドアセダンを出展し、乗用車への進出を明らかにする。 これは市販に結びつかなかったが、 1964年に、ついに「ダイハツ乗用車第一号」となる コンパーノ・ベルリーナを発売する。 このコンパーノをベースに生まれたのが 4人乗りの「スパイダー」。 ヴィニアーレによる美しいデザインを 踏襲してのデビューだった。
スズキ
1970年代

フロンテ

2ストロークエンジンへの執念
カローラやサニーなどのマイカーが 一般に普及し始めた1970年代の初頭、 ボトムラインを支える軽自動車にも より快適性が求められるようになる。 そんな状況のなかで鈴木自工は、 主力車種のフロンテを新型に切り替えた。
スズキ
1960年代

スズライト・フロンテ360

スズキ初の量産軽乗用車の誕生
1955年、スズキ初の4輪モデル、 スズライトSFが誕生。 スバル360が登場する3年前、 国民車構想の発表と同年のことだ。 セダン、バン、ピックアップでのデビューだったが、 やがてバンのみに。 乗用モデルが再び登場したのは1962年。 スズキは、このフロンテ360で、乗用車を復活させたのだ。
いすゞ
1980年代

アスカ

GMのワールドカー戦略の日本版
いすゞ自動車は1971年にGMと資本提携し、 GMのワールドカー戦略の一端を担うようになる。 まず最初に“Tカー”、いすゞ版では初代ジェミニを発表。 1980年代に入ると、GMは新たな“Jカー”構想を立ち上げ、 いすゞ版では「アスカ」の名で市販に移された。
スバル
1980年代

レックス・セダン

人気の軽。FFに移行した2代目モデル
スズキがリリースした商用車登録の軽自動車、 いわゆるボンネットバンの大ヒットによって、 日本の軽自動車市場は再び活気を取り戻す。 各メーカーもこぞって新型車をリリース。 富士重工はレックスを2代目に移行させ、 ついにFF方式のレイアウトを採用した。
スバル
1970年代

レックス5 AⅡG

新規格Kカーのパイオニア
1976年4月、三菱からミニカ5が 発売となったのとほぼ同時期に、 やはり500ccユニットを搭載して スバルからレックス5が発売。 軽自動車の新規格化を踏まえてのデビューだった。 ライバルに比べての大きなアドバンテージは、 ボディそのものの拡大にあった。
スバル
1960年代
1970年代

ff-1

ライバルを凌駕したFF&フラット4
性能は素晴らしいが、内外装が地味。 富士重工が開発した小型車のスバル1000には、 そんな風評がつきまとっていた。 そこで富士重工の開発陣は スバル1000の大改良を実施。 ff-1の名で市場に送り出す。