トヨタ
1960年代

スポーツ800

トヨタ初のライトウェイトスポーツ
スポーツ800は、2シーターの本格スポーツとして登場。 790ccの空冷水平対向エンジン(45ps)を搭載し、 軽自動車並みの軽量ボディを颯爽と走らせた。 タルガトップのオープントップを持ち、 「ヨタハチ」のニックネームで、 若者も含め、多くの自動車ファンを魅了した逸材である。
いすゞ
1960年代
1970年代
1980年代

117クーペ

芸術的なスタイルのロングセラーモデル
ジウジアーロの手がけた芸術作品とも呼べる117クーペ。 美しいフォルムをそのままに、13年間に渡って生産。 当初は、手作りで、月に30台の少量生産。 172万円という価格も誰もが手の届く額ではなく、 多くの人にとって憧れの1台だった。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

ローレルHT

日産初の流麗2ドアスペシャルティ
国民所得の増加や道路網の整備などで 急速に進展する日本のモータリゼーション。 大衆車で満足していたユーザーは、 次第により上級なクルマを求めるようになる。 そんな状況に対応して日産自動車は、 「ハイオーナーカー」に 流麗なハードトップを設定した。
日野
1960年代

コンテッサ・クーペ

ミケロッティと出会った伯爵夫人
1964年9月、日野自動車は、 コンテッサの新型モデル、1300をリリース。 まずはセダンが発売され、 1965年4月、クーペがデビューした。 国際的なデザインコンクールで 多くの栄冠に輝いたクーペは、 ミケロッティ作のスタイリングと、 走りでも注目を集めたRR車の傑作である。
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代

警察車両(パトカー)の歴史

新しい「機動力」の確保
第二次世界大戦後の混乱期の日本では 強盗や殺傷事件などの犯罪が多発していた。 これに対してGHQの公安課は、 日本の自治体警察に自動車による警ら活動を指示する。 1950年には日本で初めて警視庁にパトカーを配備。 新たな「機動力」は次第に全国に広がっていった。
マツダ
1960年代
1970年代
1980年代

ファミリア・プレスト

“急速”のサブネームを持つ本格派
1966年に登場したカローラやサニーの効果で、 にわかに盛り上がる日本のマイカー・ブーム。 東洋工業が販売するファミリアも その一翼を担っていったが、 戦闘力のさらなるアップを目指して、 1970年にビッグマイナーチェンジを実施した。
マツダ
1960年代

R360クーペ

乗用車市場への進出が叶った2+2の力作
戦前からオート3輪を手掛け、 戦後、軽3輪トラックのジャンルで 成功を収めたマツダ(東洋工業)。 次に狙うは乗用車マーケットへの進出である。 スバル360が人気を博していた市場に、 マツダが送り込んだ新型車は、 2+2に割り切った斬新なクーペモデルであった。
マツダ
1960年代
1970年代

ルーチェ・ロータリークーペ

ロータリー搭載のFFスペシャルティ
1967年にコスモスポーツをデビューさせた 東洋工業は、ファミリア・ロータリークーペなどで ロータリゼーションを進めていた。 市販モデルとしては4番目のロータリー搭載モデルは 豪華装備を持つルーチェ・ロータリークーペ。 FFレイアウトという 新機能を備えてのデビューとなった。
トヨタ
1960年代
1970年代

トヨペット・コロナ・マークII

上級な装備と車格を持った新戦略車
カローラとともにトヨタの屋台骨となった ミリオンセラーカーの3代目コロナのイメージを受け継ぎ、 より上級にシフトしてデビューしたマークⅡ。 セダン、ハードトップ、ワゴン、バンのモデルを持ち、 コロナより大きくクラウンよりコンパクトな 新たな市場の開拓を狙っての登場だった。
三菱
1960年代

コルト800

先駆となった流麗なファストバック
コルト800は600の後継モデルとして登場。 国産で初めてとなったファストバックのボディーに、 小型車では珍しい2ストローク3気筒エンジン(45ps)を 搭載してのデビューとなった。 ライバルたちがオーソドックスな3ボックスを採用する中にあって、 そのスポーティなデザインの巧みさと先進性が魅力だった。