ジェミニ 【1993,1994,1995,1996,1997】
ホンダ・ドマーニのOEM車となった第4世代
新型車のリリースとOEM車の増強、そして海外事業の拡大で業績を伸ばそうとした1980年代後半のいすゞ自動車。しかし、想定外の事態が同社を襲う。いわゆる“バブル景気”の崩壊だ。1990年代初頭になるといすゞの業績は急速に悪化し、事業拡大に対する投資のツケに苦心することになる。さらに、GMの戦略が色濃く反映された新型ジェミニや新型ピアッツァの販売も伸び悩んでいた。
熟慮の結果、いすゞの首脳陣は車種体系の大幅な見直しと資本提携の強化を選択する。そして1992年12月には、乗用車の自社開発・生産の中止を発表した。この決定には「GMの下請けのような乗用車の開発には意味がないし、日本市場の嗜好に合わせたクルマも造りづらい」という現場の意見も含まれる。これ以降、いすゞは一般ユーザーに対してビッグホーンやミューを中心とした“SUVスペシャリスト”を標榜するようになった。
一方、提携強化に関しては、1993年4月に本田技研工業との商品の相互補完契約を締結。さらに、車体工業の吸収合併(1994年5月)や日産自動車および日産ディーゼルとの商用車の相互OEM供給に関する契約の調印(1994年8月)などを実施した。
本田技研工業との商品相互補完は、契約の締結から4カ月ほどが経過した1993年8月になって早くも形として表れる。ホンダの小型上級サルーンの「ドマーニ」(1992年10月デビュー)をベースとする4代目「ジェミニ」が発表(発売は同年9月)されたのだ。
「これからの日本のクルマ環境に最適なファミリーセダンの創造」をテーマに開発されたホンダ・ドマーニをベースとするだけに、4代目ジェミニは“ジャストパッケージング”や“ファインドライバビリティ”といった特徴を謳う。
パッケージングに関しては、取り回しに優れる扱いやすいボディサイズ(全長4415×全幅1695×全高1390mm/ホイールベース2620mm)を実現したうえで、伸びやかなキャビンスペースや高いアイポイント、面圧分布に工夫を凝らしたソフトフィットシートなどを盛り込み、快適で高機能なインテリア空間を得ていた。さらに、“ISUZU”ロゴを刻んだステアリングホイール(運転席SRSエアバッグを標準装備)やフロントグリルなどの専用アイテムも装備した。
優れたドライバビリティを支える動力源については、ZC型1590cc直4OHC16VエンジンのVTEC仕様(130ps/14.8kg・m)とハイパー16V仕様(120ps/14.5kg・m)の2機種をラインアップする。ドマーニに設定するB18B型1834cc直4DOHC16V(140ps/17.4kg・m)の供給を受けなかったのは、「ひとクラス上のアスカCXに1.8Lモデルがあったことが主な理由」(当時のいすゞスタッフ)だったそうだ。
2機種のエンジンに組み合わせるミッションは、5速MTと4速ATを設定。ATに関しては、VTEC仕様がロックアップ機構付き7ポジション4速を、ハイパー16V仕様がロックアップ機構付き4速を、ハイパー16V仕様の4WDがLOWホールド機構付き2ウェイ4速を採用した。また、4WD機構についてはセンタービスカスカップリング方式のリアルタイム4WDを設定。同時に、ABSを組み込む“イントラック(INNOVATIVE TRACTION CONTROL SYSTEM)”も導入した。
上級版の1600G/G(VTEC仕様)、標準タイプの1600C/C(ハイパー16V仕様)、4WDモデルの1600C/C 4WD(ハイパー16V仕様)という3グレード構成で市場に放たれた4代目ジェミニは、「OEM車としては意外なほどユーザーから好評だった」(同)という。「GMが深く関わった3代目ジェミニよりもパッケージングに優れ、運転もしやすかった」「シンプルで上品な3BOXデザインが、初代と2代目のスタイルを彷彿させた」などが主な理由だったようだ。ただし、不満点も聞かれた。従来モデルで高い人気を誇ったディーゼル仕様の設定が、4代目ではなかったのである。
ビジネスにも使える経済性に優れた仕様がほしい−−。この要望に応えるモデルが、1995年1月に発表、同年2月に発売される。“VTEC-E”と称する低燃費型のD15B型1493cc直4OHC16Vリーンバーンエンジン(94ps/13.4kg・m)を積む1500C/Cが登場したのだ。ガソリン仕様ではあったが10・15モード走行燃費で20.5km/L(5速MT)を誇った1500C/Cは、主にいすゞ関係先の業務用途車として活用された。
ほかにも、リアルタイム4WDからデュアルポンプ4WDへの進化(1994年5月)やいすゞ独自色を強めた内外装へのマイナーチェンジ(1995年10月)が行われた4代目ジェミニ。最終的に同モデルは、1997年1月にベース車の全面改良が行われるまで地道に販売され続けたのである。