MID4 【1985】

先進技術を投入したミッドシップ4WDスポーツ

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日産技術陣の夢を凝縮

 1985年の東京モーターショーで大注目を浴びたMID4は、日産の持つ先進技術を惜しみなく投入したスーパースポーツだった。その高い完成度から市販化が期待され、1987年のモーターショーには進化版MID4もお披露目されたが、結局はショーカーで終わり公道を走ることはなかった。しかしMID4で試みられた数々の先進テクノロジーは、その後の市販モデルに組み込まれ新次元の走りを生むことになる。MID4は日産の技術陣の夢と可能性を凝縮した存在、本当の意味での“ドリームカー”だった。

 MID4のハイライトは、ミッドシップとフルタイム4WDレイアウトを組み合わせた点にあった。開発陣が目指したのは、ミッドシップが持つ優れた走りの基本性能に、フルタイム4WDの卓越したスタビリティを組み合わせたかつてない走りの世界。モーターショーのパンフレットでは「高度なテクニックを使わずに、アウトバーンを軽快に走れる時代になる。」というコピーで、MID4の方向性を明示した。MID4はテクノロジーの進化により、手に汗にぎった200km/hオーバーの世界を安全に誰もが楽しめるものとした新世代スポーツだった。

パワーユニットは3.0LDOHC。すべてが先進!

 新世界の実現のためMID4はすべてが目新しかった。ドライバーの背後に搭載するパワーユニットは当時フェアレディZなどに搭載されていた3.0リッターのV6を4バルブ・ツインカム化したもの。最高出力は230ps/6000rpmである。高速回転に対応する直動式ハイドロリックバルブリフター、鋭いレスポンスに威力を発揮するツインスロットル&ドライブバイワイヤ機構、可変吸気システム(NICS)、白金電極プラグなどスポーツカーの心臓に相応しい磨き込みを実施していた。フロントサスペンションは、理想的なトー変化&キャンバー変化が得られるシステムで、とくにコーナリング時の限界性能を左右するキャンバーの対地変化をゼロに近づけていた。リアは低中速のシャープなハンドリングと高速時の安定性を両立するためにダイアゴナルAアーム式のリアサスペンションと走行状況によって後輪をステアさせるHICAS付きである。

 駆動方式はセンターデフ方式のフルタイム4WD。プラネタリーギア式のセンターデフを採用し、スタティックな重量配分だけでなく発進・加速時の重量配分を含めた最適な駆動力配分を実現。さらにビスカスカップリングをLSDとして使うことで1輪がスリップした場合でも、駆動力を自動的に他のタイヤに振り分け高いスタビリティを実現していた。

 MID4に投入したメカニズムの大半は1989年にデビューするZ32型の4代目フェアレディZや、復活を遂げたR32型スカイラインGT-R用として結実する。その意味でMID4は1990年代の日産車を予言する存在だったと言える。

室内は200km/hオーバーでの操作性を考慮

 スタイリングは当時としても保守的だった。ミドルクラスのミッドシップスポーツらしい精悍な印象は持っていたものの、各部の造形はオーソドックスそのもの。この面はもうちょっと冒険が欲しいと感じた。とはいえ空力特性に対する吟味は注意深く行われており、ショーに出品された赤いボディのクルマには未装備だったが、写真が公開されたクリーム色のモデルにはリアスポイラーを装着。シャシー下側の空気の流れも積極的にコントロールしていた。ちなみにボディパネルはFRP製である。

 インテリアは意識的にシンプルだった。ドライバー正面のコンパクトなメーターナセルに計器をまとめ、中央のセンターコンソール部に空調&オーディオを配置。ステアリングはグリップ部が太い本革巻きの3本スポークである。ブラックとシックなグレーでまとめた配色を含めて目新しい印象はなかった。しかしシンプルで機能を最優先したコクピットには意味があった。200km/h以上のハイスピード領域で操作性と快適性を両立させた結果だったのだ。超高速時に大切なのは必要な情報だけをドライバーに届け、不必要な情報は可能な限り排除すること。その研究結果から6連メーターのみをドライバー正面に配置したのである。しかもメーターは高速クルージング時に指針が垂直に指すようにし瞬時に情報を読みとれる工夫をしていた。ちなみにMID4の室内設計も後のフェアレディやスカイラインに継承された要素。MID4は1990年代に向け日産車のポテンシャルを大幅に引き上げたメモリアルカーなのである。