ビガー 【1981,1982,1983,1984,1985】
ベルノ店の先進フラッグシップ
CVCCの開発と進化によって厳しい排出ガス規制を克服し、1979年の第二次オイルショック乗り切った本田技研は、来るべき1980年代に向けて新型車の開発と販売車種の拡充を意欲的に進めていく。
その戦略の一環として、首脳陣は開発中のアコードのメカニズムを使った兄弟車を設定する決断を下す。トヨタや日産のように、ひとつのシャシーで別のクルマを造る方策は、新型車の開発コスト削減や車種ラインアップを拡充するうえで有効な手段だった。また1978年に設立された新販売網のホンダベルノ店側からも、プレリュードに続く専売車種の増加を要望されていた。
開発陣は早速、アコードの基本メカニズムを流用した新型車の開発に着手する。エクステリアはベルノ店のイメージに合わせて、個性的でスポーティなデザインでまとめる。具体的には、4灯角型ヘッドランプや専用グリル、リアバンパー内ライセンスプレート、ボディー同色エアダムスカートなどを装着した。インテリアは基本的にアコードと共通で、国産車初のステアリング内蔵スイッチ式クルーズコントロールやエレクトロニックナビゲータ、運転席と助手席の性格を分けたパーソナルシートなどの新機構を組み込む。ほかにも世界初の車速応動型バリアブルパワーステアリングや2P・4W(2段階/4輪車高調整)オートレベリングサスペンションといったハイテク機構も積極的に採用した。
アコード初の兄弟車となるニューモデルは、アコードのフルモデルチェンジと同時期の1981年9月にその姿を現す。車名は英語で“活力”や“力強さ”を意味する「ビガー」と命名。キャッチフレーズは「FFハイオーナーカー」、「クルマが、個性になる」と冠していた。
ボディータイプはアコードと同様に、3ドアハッチバックと4ドアセダン=サルーンの2タイプを設定する。エンジンはEK型1.8L・OHCだけの設定で、アコードに用意していたEP型1.6Lはラインアップされなかった。さらに先進機構のクルーズコントロールも、ビガーでは全グレードに装備された。このあたりは、ビガーがベルノ店のフラッグシップモデルの役割を担っていたことに起因している。ベルノ店の最上級車にふさわしい走りの余裕と装備の充実−−販売側のそんな性格づけが、アコードとのエンジン&装備面での違いを生み出したのである。
開発陣がさまざまな工夫を凝らし、販売店のベルノ側でも大いに力を入れたビガー。しかし、販売成績はそれほど伸びなかった。ハイテク機構を満載するもののスタイリングが地味、車格の割りに小回りがきかない、ATが依然として3速……。要因は色々と挙げられた。
打開策として開発陣は、1983年6月に大掛かりなマイナーチェンジを実施する。エンジンは新設計の12バルブ・クロスフローエンジン(ES型)に換装。組み合わせるATはロックアップ機構付きの4速ホンダマチックに一新する。内外装もより上級化され、4輪アンチロックブレーキの安全装備も組み込まれた。
クオリティが高まったビガーだったが、それでも販売台数の向上にはつながらなかった。この点は兄弟車のアコードも同様で、北米仕様(オハイオ工場産)は大ヒットしたものの、国内での販売成績は伸び悩んだ。
結果的に開発陣は、3年9カ月という早いサイクルでビガー(とアコード)のフルモデルチェンジを実施する。2代目となったビガーは、初代モデルの反省を生かし、リトラクタブルライトを配した斬新でスタイリッシュなセダンに変身したのである。