インプレッサ 【1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

走りのいいレオーネの実質的な後継車

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新しい小型車の企画構想

 1990年代に向けて、1.5L〜1.8Lクラスの新しい中間車を早急に設定しなければならない--。海外進出の出遅れや国内外での販売不振による経営難、さらにアメリカでのスバル・イスズ・オートモティブ(SIA)の設立などで見送られていた小型車構想は、1987年に再スタートを切ることとなった。
 ブランニューモデルを企画するに当たり、富士重工のスタッフはレガシィのプラットフォームをベースに、排気量を1.5Lまで縮小した水平対向エンジンを搭載する案を打ち出す。ボディ形状に関しては、当初はセダンのみの1車型を予定していたが、ライバル車との差別化やユーザーが求める“スバルらしさ”を追求した結果、コンパクトなラゲッジを持つワゴンも設定する決断が下された。
 ちなみに、後にWRC(世界ラリー選手権)にも参戦する高性能スポーツモデルのWRX系は、初期の段階では開発を本格化させていなかったという。当時のスタッフによると、「開発陣はもともと走り好きがそろっていたため、WRX系に開発のウエイトが集中してしまう可能性があった。だからベーシックモデルの完成にある程度メドが立った後、商品企画から開発部門に高性能モデルの設定を伝え、WRX系の開発を本格化させた」という。またWRXというグレード名についても、「WRCへの参戦を前提にした未知の高性能車ということで、開発時からWRXと呼んでいたが、それが市販時にそのまま使われた」そうだ。

スタイリッシュボディでデビュー

 富士重工の新しい小型車は、レオーネの販売を中止した翌年の1992年10月に市場デビューを果たす。車名は“印象”などの意を持つ英語の“impression”に由来する“インプレッサ”(IMPREZA)と名乗った。ボディタイプはサッシュレス4ドアのセダンとコンパクトなラゲッジを備えた“スポーツワゴン”の2種。エンジンは全車とも水平対向4気筒ユニットで、初代レガシィから引き継いだWRX専用のEJ20型1994cc・DOHC16Vターボを筆頭にEJ20型のボア径を4.1mm短縮したEJ18型1820cc・OHC16V、EJ18のストロークを9.2mm縮めたEJ16型1597cc・OHC16V、そしてEJ16のボア径を2.9mm短縮したEJ15型1493cc・OHC16Vを設定する。駆動方式に関しては、MTモデルにビスカスLSD付きのセンターデフ式4WDを、ATモデルにはトルクスプリット式の4WDを組み合わせ、EJ16型とEJ15型エンジンにはFF仕様も用意した。

 富士重工が大きな期待を込めてリリースした新しい中間車は、好感を持って市場に受け入れられる。とくに人気が高かったのがスポーツグレードのWRX系とベーシックワゴンのCS/CX系で、WRX系は走りを重視するファンが、CS/CX系は女性を中心とした若者層に高く支持された。

スバルらしくラインアップが成長

 高い人気を獲得し、新しいユーザー層も開拓したGC/GF型インプレッサは、その勢いを維持しようと、矢継ぎ早にイメージの強化とラインアップの拡充を図っていく。1993年8月にはインプレッサWRXを駆ってWRC(世界ラリー選手権)に参戦。そのベースモデルとなるWRX-STiも1994年1月に発売し、その後マニアックなマイナーチェンジを毎年繰り返してポテンシャルを高めていった。スポーツワゴンに関しては、1993年10月に高性能モデルのWRXグレードを設定。このときにターボエンジンとATが組み合わされ、駆動機構には遊星ギア式センターデフを持つVTD-4WDが採用された。

 インプレッサの改良とラインアップ拡充はまだまだ続く。1994年10月にはマイナーチェンジを実施して内外装の新鮮味をアップ。同時にセダンWRX系のパワー向上(240ps→260ps)も図る。1995年1月には輸出向けの2ドアクーペを“リトナ”のネーミングで国内投入。さらに同年10月には、スポーツワゴンをSUV風に仕立てた“グラベルEX”を発売した。

“全性能モデルチェンジ”を敢行

 他メーカーのクルマではフルモデルチェンジをむかえる場合が多いデビュー4年後の1996年10月、富士重工はインプレッサを新型に切り替えず、“全性能モデルチェンジ”と称するビッグマイナーチェンジを実施する。当時の開発スタッフによると、「バブル景気の崩壊でフルモデルチェンジに充てる資金がままならなかったこともあるが、開発側としては現行モデルもまだまだやることはたくさんあると判断した」という。その言葉通り、全性能モデルチェンジ版の新インプレッサは魅力にあふれていた。フロントマスクやリア回りのデザインはより精悍になり、内装の質感や機能性も向上する。さらにWRX系のエンジンは、国内自主規制の280psにまでパワーアップした。この間、インプレッサはWRCの舞台でも勝ち続け、1995年から97年まで連続してマニュファクチャラーズタイトルを獲得するという日本車初の偉業を成し遂げた。

 全性能モデルチェンジ以後もインプレッサの改良は続けられ、1998年3月にはEJ22型エンジンを積んだ22B-STiの発売を、1998年9月には内外装の変更と機能パーツの強化を図ったマイナーチェンジを、1998年12月にはスポーツワゴンをクラシカルに仕立てた“カサブランカ”の限定販売などを敢行する。そして2000年8月にはついにフルモデルチェンジが実施され、2代目となるGD/GG型に移行した。
 8年もの長きに渡って生産され続けたGC/GF型インプレッサ。ひとつのシャシーやエンジンを徹底的に熟成させ、完成度を高めていくそのやり方は、2代目のGD/GG型にも継承されることとなった。