レグナム 【1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002】

高性能ワゴン・ブームに対しての三菱の回答

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ライバルを凌ぐ魅力的なモデルの創造

 スポーツ・ユーティリティ・ビークル=SUVを中心にした日本のレクリエーショナル・ビークル=RVのブームは、バブル景気が崩壊した1990年代中盤になると人気の中心がステーションワゴンに移り、富士重工のレガシィ・ツーリングワゴンを核とした高性能4WDワゴンが隆盛を極めるようになる。この状況に対し、ミドルクラスに本格ワゴンを設定していなかった三菱自動車工業は、急ピッチで同クラス車の開発を推し進めた。

 新しいステーションワゴンの基本メカニズムは、開発が進行していたEA/EC型系の新型ギャランをベースにする。サスペンションは前後マルチリンク式で、ステーションワゴンのキャラクターに合わせて入念な改良を加えた。動力源は世界で初めて量産化に成功した直噴ガソリンエンジン(4G93型1.8L直4DOHC)をメインに、6A12型2L・V6OHCや6A13型2.5L・V6OHC、さらに6A13型にDOHCヘッドとツインターボ機構を組み込んだ強力2.5Lユニットを設定。スタイリングに関しては、ギャランの派生モデルというイメージを払拭するために、専用デザインパーツを可能な限り装着した。

先進技術を満載して市場デビュー

 三菱自工の新しいミドルクラスのステーションワゴンは、EA/EC型系ギャランの発売と同時期の1996年8月にデビューを果たす。車名はラテン語で王位・王権を意味する“レグナム”を名乗った。

 市場に放たれたレグナムは、1990年代の三菱車の特徴だったアグレッシブなルックス、当時のクルマ好きの表現でいうと“ガンダムチック”なスタイリングで注目を集めた。逆スラントした強面のフロントマスクに抑揚のあるボディライン、そして派手めだったエアロパーツ群などが、レグナムの最大の特徴と見なされたのだ。またツインターボエンジンを搭載するVR-4系に採用された先進機構、具体的にはAYC(アクティブ・ヨー・コントロールシステム)やASC(アクティブ・スタビリティ・コントロールシステム)、5速のINVECS-ⅡスポーツモードATなども脚光を浴びた。

 当時の三菱の最新技術を結集してデビューしたレグナム。しかし、販売成績の面ではレガシィの牙城は崩せず、また他のライバル車にも遅れをとる。アグレシッブなルックスが大人のユーザーに敬遠された、リアサスにマルチリンクを採用したためにタイヤハウスの張り出しが大きく、さらにシートアレンジの多様性にも欠けていた、最大の売りであるGDIがハイオク仕様で、しかも思いのほか燃費が伸びなかった--。不振の要因は色々と示された。

三菱を襲うスキャンダル、後継モデルは……

 販売成績を向上させようと、三菱自工はレグナムに様々な改良を施す。1997年11月にはGDIエンジンのモデルにVR-4系のエクステリアを採用した“ヴィエント”系を設定。1998年8月にはマイナーチェンジを実施して内外装の意匠を変更し、さらに4G64型2.4L直4DOHCのGDIエンジンを積む新シリーズをラインアップに加えた(同時にツインターボ以外のV6エンジンは廃止)。2000年5月になると、ベーシックエンジンの1.8L・GDIが2Lにまでキャパシティアップされ、同時に側面衝突安全性の強化も実施される。
 精力的に商品力の強化を図ったレグナム。しかし、販売成績は低調に推移する。また三菱自工自体も総会屋への利益供与やリコール隠し問題が発覚し、企業イメージが急激に失墜していく。さらに2000年には、ダイムラー・クライスラーの傘下に入る旨が決定された。

 結果的にレグナムはフルモデルチェンジを実施しないまま、2002年8月に生産が中止される。実質的に後を引き継いだのは、1クラス下に位置するランサー・セディアをベースにしたワゴンモデルだった。