1960年代

高速道路の歴史1 /1963-

物流革命を起こした高速産業道路
海外の技術を吸収し、独自に発展させていく──。 日本のオハコともいえるこの政策は、 何もクルマに限ったことではない。 クルマが移動する“高速道路”にも当てはまる。 国は1950年代初頭に高速道路建設の調査を開始。 さまざまな困難を乗り越えながら、 建設に取り組んでいった。
1950年代
1960年代

特殊車両の歴史1 第一期/1930-1960

「働くクルマ」の普及
国土のインフラを効率的に整備するうえで 必要不可欠なのが工事現場に従事するクルマ、 いわゆる特殊車両である。 日本では時の政府の富国政策のもとに 1930年代から本格的に使用され始めた。 世界屈指の建機メーカーであるコマツの歴史から 日本の特殊車両の変遷を振り返っていこう。
プリンス
日産
1960年代

スカイライン2000GT

スポーツカーの速さを持った“初代赤バッジ”
スカイライン2000GTを生みだしたもの、 それは誇り高いプリンス技術陣の悔しい思いだった。 1963年の第一回日本グランプリでプリンスは メーカー間の紳士協定を忠実に守り 市販状態そのままのクルマで参戦。惨敗を喫する。 自らの技術力に対し絶対的な自信を持っていたプリンスにとって 敗北は受け入れることのできない屈辱だった。 第二回日本グランプリでは絶対に優勝する! その強い意思が奇跡を生み、スカイライン神話を樹立する。
日産
オースチン
1950年代
1960年代

A50ケンブリッジサルーン

乗用車作りを学んだ日産の記念碑
日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。
トヨタ
1950年代
1960年代
1970年代

トヨタの歴史2 第二期/1958-1972

日本No.1メーカーへの成長と足固め
オリジナル乗用車のクラウンやコロナなど、 積極的に新型車を発売した1950年代半ばのトヨタは、 来るべき1960年代に向けて小型車の開発に乗り出す。 さらに自社の技術力を世界にアピールする スポーツカーの製作にも意欲を見せ始めた――。
ホンダ
1960年代
1970年代

S800

世界を驚嘆させた“時計のように精緻な”マイクロスポーツ!
1962年、東京モーターショーのホンダ・ブースは熱気に溢れていた。 そこに展示されていたのは人々の夢をかき立てる2台のスポーツカー、 S360/S500の2台である。 ノーズに精緻な直列4気筒DOHCエンジンを搭載した 2シータースポーツは1966年にS800に進化し、 ホンダの高い志と走ることの素晴らしさを全身で表現する。 ホンダ黎明期の傑作マイクロスポーツは、 世界中のマニアの心を鷲づかみにした“小さな大物”だった。
ダイハツ
1960年代
1970年代

ダイハツの歴史2 第ニ期/1968-1977

新たな経営戦略と車種展開の拡大
中堅メーカーが経営基盤の強化を 模索していた1960年代後半、 コンパクトカー・メーカーのダイハツ工業は 資本強化のためにトヨタと業務提携する。 1970年代に入ると月販3万台の実現に向けて、 車種ラインアップと工場の拡大に驀進した。
トヨタ
1960年代
1970年代

2000GT

世界が驚いた日本が誇るサラブレッドスポーツ
トヨタ2000GTは、欧米のコレクターからも “クラシック”として認知されている名車中の名車。 見る者を魅了する流麗なフォルム、精緻なメカニズムもさることながら、 世界速度記録への挑戦や007シリーズのボンドカーへの抜擢など、 名車にふさわしいストーリーの持ち主だ。 トヨタ2000GT、それは成熟に向かっていた日本の「夢の結晶」だった。
ダイハツ
1950年代
1960年代

ダイハツの歴史1 第一期/1907-1967

コンパクトカー・メーカーとしての発展
国産初のガソリン自動車“タクリー号”が 産声を上げた1907年(明治40年)の日本。 同じ年に大阪では、注目の新会社が創立される。 内燃機関の製作と販売を目的に立ち上げた、 その名もずばり“発動機製造株式会社”だ。 同社は戦後、ダイハツ工業として発展していく。
スズキ
1960年代
1970年代

スズキの歴史2 第二期/1966-1977

軽自動車メーカーとしての発展
スズライト・フロンテやバンの開発で、 軽自動車メーカーとしての確固たる地位を 築き始めた鈴木自工は、1960年代後半に入ると 小型車のマーケットにも進出する。 同時に軽自動車のラインアップもさらに強化。 排出ガス規制にも2ストロークで挑んだ。