グロリア 【1967,1968,1969,1970,1971】

プリンス自動車が残した最後の名作



日産によるプリンス自動車の吸収合併

 1960年代の初旬、当時の行政府は日本の自動車業界を震撼させる方策を打ち出す。「1965年から乗用車の輸入自由化を実施する」という内容だ。戦後の混乱期を乗り切り、拡大成長を遂げつつあった日本に対して、欧米の自動車メーカーは再三、市場の開放を求めていた。まだ発展途上だった国内メーカーの保護政策を維持したい日本だったが、官民一体となった欧米の圧力には抗しきれず、結局1965年4月からの乗用車の輸入自由化を決断する(実際は1965年10月から自由化を実施)。

 この状況に対して国内の自動車メーカーは、欧米の乗用車に対抗する手段を模索する。海外の自動車メーカーと資本提携するか、国内の競合メーカーと合併するか、それとも独自路線を追求するか−−。ここで国内第2位の自動車メーカーに位置していた日産自動車は、競合メーカーとの合併を選択する。相手は業界3位の規模を誇るプリンス自動車工業だった。プリンス自工は大衆車の展開が遅れたことに加え、高コストの開発体制や施設の整備増強などが災いして会社の経営状態は年々悪化していた。このままでは欧米メーカーに対抗するのは難しい……プリンス自工の首脳陣は苦心の末に合併の話を日産に打診する。プリンス自工の高い技術力と生産車の高性能イメージを評価していた日産は、結果的にこの提案を受け入れることになる。そして1965年5月、日産自動車がプリンス自工を吸収合併する形の契約が成立し、1966年8月から新体制に移行された。

 ちなみに、当時の他メーカーの動向を見ていくと、トヨタ自動車工業が1966年10月に日野自動車と、1967年11月にダイハツ工業と業務提携を締結。いすゞ自動車は富士重工業や三菱自動車工業との業務提携および解消を経て、1970年11月には米国のGMと資本提携を結ぶ。また、三菱自動車工業は1970年10月に米国クライスラー社と第1次基本契約を結び、その後、提携関係をさらに深めていった。

開発中だった次期グロリアは……

 日産自動車とプリンス自工の合併に際しては、まず両社でバッティングしている車種の調整が課題となった。ただし、開発の最終段階に入っていたプリンス自工の試作車は、日産の車種ラインアップの強化戦略もあってそのまま継続される。もちろんその量産化までの過程には、極力コストを抑えるために日産車との共通パーツを使用するという指示が出された。

 開発の最終段階モデルのひとつに、フラッグシップモデルのグロリアが存在した。同車は1965年にボディスタイルのみで先行発表された皇室の御料車、“プリンス・ロイヤル”の造形をモチーフとし、縦四つ目のヘッドライトと縦型リアコンビネーションランプ、そして直線基調のクリーンなボディライン(通称“ロイヤルライン”)を組み合わせ、高級車らしく重厚感にあふれるデザインに仕上がっていた。日産の首脳陣もこのデザインを気に入り、ほぼそのままの形で市販に移す決定を下す。

 一方、メカニズム面に関しては日産車との共用化を推進する。リアサスペンションは先代グロリアの特徴だったドデオン・アクスル式からセドリックと共通の半楕円リーフリジッド式に変更。搭載エンジンはプリンス製のG7型1988cc直6OHC(105ps/5200rpm、16.0/3600rpm)は残したものの、スタンダードモデルには日産製のH20型1982cc直4OHV(92ps/4800rpm、16.0/3200rpm)が採用される。またトランスミッションは、G7型エンジン用がボルグワーナー・フルオートマチック(OD付き3速AT)のままで、H20型エンジンには日産の71型3速フルオートマチックが組み込まれた。さらに、内外装の各部にもセドリックとの共通パーツが用いられる。

御料車のスタイリングイメージでデビュー

 1967年4月、旧プリンス自工の高級セダンに位置づけられていたグロリアがフルモデルチェンジを実施し、「ニッサン・グロリア」の名で発表される。ボディタイプは4ドアセダンとバンの2タイプを設定。セダンではG7型エンジンに4バレルキャブレターを組み合わせるスーパーデラックスと2バレル仕様のスーパー6、H20型エンジンを積むスタンダードモデルの3グレードを、バンではG7型エンジン搭載のデラックスとH20型エンジン仕様のスタンダードの2グレードをラインアップした。

 A30の型式を付けた新しいグロリアは、プリンス・ロイヤルの流れを汲むスタイリングのほか、装備内容の面でも大きな注目を集める。サイドウィンドウは国産中型乗用車として初めて全面カーブドガラスを採用。さらに、ヘッドレスト組み込み型のフロントシート(スーパーデラックス)も国産車初のアイテムだった。ほかにも、曇り止め装置付きリアウィンドウやセカンダリーベンチレーター&リアドラフター、脱錠防止装置、前輪ディスクブレーキ、パワー付きタンデム型マスターシリンダー、ロープロファイルタイヤ(6.95-14-4PR)、無反射式コンビネーションメーターなどの先進機構を取り入れていた。

 市場に放たれたA30型系グロリアは、御料車と同イメージのスタイリングや高級感あふれるキャビン空間の演出、快適性が増した走行性能などが好評を博す。また「技術屋集団プリンス直系の最後のモデル」として、熱心なファンから高く支持された。

最後の単独開発車に……

 A30型系グロリアはデビュー後も着々と日産製パーツの使用を拡大していく。1968年10月にはATをボルグワーナー・フルオートマチックからニッサン・フルオートマチックへと換装。1969年11月のマイナーチェンジでは十字型グリルを採用するなどの内外装の一部変更を実施するとともにG7型エンジンがカタログから外れ、代わって日産系のL20型1998cc直6OHCが搭載された。
 1970年10月にはスーパーデラックスをベースに、パワーステアリングやパワーウィンドウなどの快適機構を備えた最高級グレードのGLが追加されるが、そのわずか4カ月後の1971年2月には早くもグロリアのフルモデルチェンジが実施される。230型の型式を持つ4代目モデルは、基本メカニズムをセドリックと共用化していた。ボディも共通で、エンジンフードやフロントグリル、エンブレムといった一部パーツでセドリックとの違いを打ち出すのみとなる。

 結果的にプリンス自動車工業の最後のひと花となったA30型系グロリア。皇太子御成婚を記念して命名された“栄光”という名の高級車は、1971年以降は小公子の主人公の名を冠するモデルの兄弟車となったのである。