公開済み: 2020年6月15日更新: 2020年6月15日記事カテゴリー: 歴史館 日産 2000年代2010年代 エルグランド 【2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010】 “夢”と“くつろぎ”と“感動”を提供した最高級ミニバン 記 事 諸 元 ギャラリー 会員登録(無料)でより詳しい情報をご覧いただけます →コチラ 続きを読むにはログインして下さい。 Tweet Tweet 記 事 諸 元 ギャラリー 123
日産 1980年代1990年代2000年代 フェアレディZ 300ZX ハイテク技術を積極的に採用した新世代Z-CAR 好景気に華やぐ1980年代後半の日本の自動車市場。 潤沢な開発資金を有する自動車メーカーは、 市販モデルのハイテク化を積極的に推し進めていく。 日本屈指のスポーツモデルである 日産自動車のフェアレディZも、 渾身のフルモデルチェンジを実施した。 公開済み: 2021年9月29日更新: 2021年9月29日記事カテゴリー: 歴史館
日産 1990年代2000年代 テラノ オールラウンド性を高めた全地球対応SUV 2代目のテラノは、 全方位で走りの性能を磨いた逸材だった。 ビルトインフレーム方式の 軽量で強靱なモノフレームボディ、 路面を選ばないオールモード4×4機構、 パワフルでスムーズなエンジン群……、 厳しい大自然のなかはもちろん、 都会でもスマートさを失わないダンディな存在。 2代目は大きく進化していた。 公開済み: 2021年10月8日更新: 2021年10月8日記事カテゴリー: 歴史館
日産オースチン 1950年代1960年代 A50ケンブリッジサルーン 乗用車作りを学んだ日産の記念碑 日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。 公開済み: 2021年10月27日更新: 2021年10月27日記事カテゴリー: 歴史館